第19話 大器晩成型

 競馬とは、実に不思議なものである。そして、「人間」と同じように「馬」もまた「生き物」である以上、不思議な共通点があることが、たまにある。


 通常、サラブレッドの世界では2歳~3歳でデビューし、5歳~8歳くらいまで活躍し、引退というケースが最も「一般的」と言える。


 ところが、人間にもいるように、馬にも稀に「大器晩成型」というのがいる。


 若い頃は、ちっとも活躍ができない。しかし、一般的には「ピーク」を過ぎたと言える頃に、突如、才能が開花するように、活躍を始める。

 近頃は、そんな馬自体が少なく、どちらかというと「早熟型」が多い傾向にあるのだが。


 2036年10月19日(日)、東京競馬場、6Rレース、ダート1300メートル、3歳以上1勝クラス。


 天候は、晴れ。馬場状態は前日に降った雨の影響で「重」。


 実は、同日、阪神競馬場では、牝馬のクラシック第3弾、秋華賞が開かれるため、世間の注目はそっちに集まっており、こんなただのレースに注目なんて集まっていなかったし、阪神競馬場にもいなかった私には、ただの「消耗戦」に過ぎないと思っていた。


 この一見、何の変哲もない、ただのレースで、私は才能の一端を目撃することになるのだ。


 そもそもダートの1300メートルというのはかなり特殊な距離とコースだ。中央競馬の数々のレースの中で、この東京ダート1300メートルしかない。

 スタート地点は向こう正面の半ば付近。3コーナーまでの距離は約340メートルあり、芝同様にスタート後間もなく緩やかな上り坂が待ち構えている。3~4コーナーはほぼ平坦。最後の直線距離は501.6メートルで、日本のダートコースで最長距離を誇る。途中、緩やかな上り坂があるのも特徴だ。

 つまり、本来は「逃げ」や「先行」が有利なダート短距離戦だが、「差し」や「追い込み」もそこそこ決まるコースとも言える。


 そして、このコースこそが、後に「奇跡」のレースの舞台の一つとなる。


 任されたのは、6月のデビューから負け続け、つい先月の9月にようやく未勝利戦を勝った、リングマイベル(牝・3歳)という馬。

 一見、どこにでもいそうな黒鹿毛の馬で、体重も標準的な牝馬クラスの465キロくらいだった。

 しかし彼女は、生まれつき体が弱く、そのため怪我をしがちで、デビューが遅れ、3歳になってようやくデビューしても全然勝てなかったのだ。性格も、まるで病弱な女の子のように、どちらかというと物静かで、おとなしい馬だった。


 そんな中、3枠3番で、5番人気だった彼女。

 他に、特に注意すべき馬も、騎手もいなかったように思えた。強いて言えば、1番人気の馬には、馬場貴久騎手が乗っていたくらいか。


 そして、レース準備は淀みなく進み、いよいよ発走となる。

 少し調教した段階では、彼女の脚質はどちらかというと「差し」、「追い込み」に近いように感じていた。


 頭数は、10頭。

 ゲート入りはスムーズに終わり、いざゲートが開かれると。

 いきなり、彼女はスタートに失敗して、後方に取り残されるように、最後方に近い形となる。


 正確には10頭中の8番目。

(ああ、こりゃダメだな)

 最初から、私はこのレースにおける、この仔はダメだ、と諦めかけていた。半ば「捨てる」気持ちにすらなっていた。


 実際、1300メートルの短距離戦だし、向こう正面から1、2コーナーを回って、すぐに最後の直線になってしまう。

 その間、ずっと後方に控えていた彼女。覇気さえ感じられないくらいだった。


 最終コーナーを回って、約500メートルはある長い直線に入る。

 しかも残り400メートルを切ってもまだ、最後方から数えた方が早い7番手だった。その上、内沿いは、他馬が完全に「壁」になって突き抜けられない状態で、行く手を阻んでいた。


 だが、私も騎手である以上、簡単にレースを諦めたくはない。

 ダメ元で、そこから馬を誘導して、外に持ち出してスパートをかけるように鞭を使う。


 すると、

(おっ、いい加速)

 と思った途端、私の想像以上にぐんぐん脚が伸びて行き、外から1頭、2頭とかわし、残り100メートルの段階で、あれよあれよという間に、順位が2着まで上がっていた。ついさっきまでの覇気の無さが嘘のように、股の下から気迫を感じた。


 しかも、最後はギリギリながらもかわしてハナ差の1着でゴールイン。

 掲示板を見ると、タイムは「1分17秒69」、上がり3ハロンは「36秒3」。これは古馬クラスの平均ペースとも言える速いタイムだった。


 こんな速い馬が、まだ1勝クラスにいるのが不思議に思っていると。


 レースが終わってから、熊倉調教師に対面した時、

「どうも不思議な馬ですね」

 と、つい感想を言っていた私に対し、彼は、珍しく眉間に皺を寄せ、難しい顔で告げるのだった。


「こいつは、小さなストライドが特徴的な馬だが、短距離では使えるな」

 熊倉調教師は感慨深そうに呟いていた。


 彼によれば、リングマイベルは、両親ともにアメリカ産まれのいわゆる「外国産馬」。


 と言っても、その血統からすれば、父は確かにアメリカのGⅠを4勝していたが、母はほとんど無名だし、それより上の血統、つまりブルードメアサイアーにもそれほどの大物はいなかった。


 この「不思議な馬」との出逢いが、私にとっての大きな「出逢い」の端緒となった。しかも、「彼女」との付き合いは、思った以上に「長く」なるのだ。

 この戦いに勝ったことで、2036年の途中で、私はようやく通算成績を18勝に伸ばしていたが、GⅠ騎乗条件の31勝はまだまだ遠い目標だった。

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