第5章 新たな出逢い
第18話 地元の応援とツンデレ天使
皐月賞、日本ダービーが終わると、次の大きなレースは、安田記念と宝塚記念。そしてしばらくは夏競馬開催で、GⅠがなくなり、また秋のGⅠ、クラシックが始まる。
それが延々と繰り返されるのが、日本競馬のサイクルだが、今の私にとっては、GⅠは対象外のレースとなるから、まずは目の前で「勝ち星」を積み上げていくしかない。
1年目以上に勝てなかった私は、5月末に実戦に復帰した後は、割と順調だった。
6~7月まで約2か月間で、5勝を勝ち、通算勝利数を15に伸ばす。
そんな中、再び「故郷に錦を飾る」チャンスが訪れていた。
ブリーダーズカップゴールドというレースが毎年8月、北海道の日高地方にある、門別競馬場で開催される。
元々、「ブリーダーズカップ」というのは、アメリカで最も権威がある、いわば「競馬の祭典」として知られているレースだが、日高の生産者(=ブリーダー)がある時、このアメリカのブリーダーズカップのようなレースを作れないか、と地方競馬全国協会へ打診し、それがきっかけで作られたレースだ。
だが、実はほとんどのレースで、地方馬よりも中央の馬が勝っており、地元・ホッカイドウ競馬の騎手でも勝った人間はほとんどいないのだった。
2036年8月14日(木)、門別競馬場、11
天候は、曇り。馬場状態は「稍重」。
同レースは、JBCレディスクラシック(JpnⅠ)を除くと、南関東以外で実施される唯一の古馬牝馬のダートグレード競走だ。地理的なものもあってか、出走馬はほぼ中央所属と北海道所属。
ここに、最近勝ち初めて勢いに乗る、ピリカライラックが出走できることになり、私に出番が来た。私にとって重賞2回目の挑戦だ。
しかも、エンプレス杯で負けて以降、持ち直した彼女は、4歳でありながら、出走する年長の古馬勢に負けない人気があり、3番人気。
一方で、1番人気の馬は、長坂琴音騎手が乗るスノーエンジェルという馬(牝・5歳)だった。
ちなみに、私にはまだ「減量」というメリットがあるが、このレースではその減量によるメリットはそもそも対象外で使えない。
私は、出来るだけ長坂騎手のことは考えないようにしよう、とすら思って装鞍所から、パドックに馬を乗り入れた。
最近、高齢のため、足を悪くした祖父は、応援には来られないようだったが、代わりに私の目に飛び込んできたのは、意外な物だった。
「がんばれ、石屋優騎手」
「優ちゃん、ファイト!」
「北海道の希望の星、ピリカライラック」
横断幕だった。
競馬場のパドックには、よくこうした「横断幕」の応援のメッセージが見られるが、今まで中央ではほとんど私に対するこうしたメッセージの類は見られなかった。
ここが、一応は地元、日高地方であることを思い出し、私は嬉しく思うと同時に、
「優ちゃん!」
聞き覚えのある、甲高く、よく通る声が複数響いてきた。
見ると、その横断幕の後ろにいたのは、私の高校時代の友人たち。友人たちは地元で就職した子はもちろんいたが、札幌や東京に出た子もいた。それでも幾人かは帰省したのだろうか、そこに姿があった。
特に仲のいい友人の「有本
やはり人間、地元の応援というのは、格別なのである。
私は、手を振って、笑顔で応えた。
だが、パドックを回って、返し馬に行く直前の近場馬道で、声をかけられた。
「呑気なものね。応援されてるからって、調子に乗らないことね」
例によって、棘のある声をかけてきたのは、長坂琴音騎手だった。
(相変わらずだな、この人は)
まるで私を敵視しているかのような、口調と表情で声をかけてくる彼女に、少し戸惑いながら、どう声を返すべきか迷っていたら。
「石屋騎手。気にしなくていいよ」
別のところから、妙に明るい声がかかった。
振り向くと、右斜め後方には、同じレースに出る、中央の
馬場騎手は、確か2番人気の、サウンドスケープ(牝・6歳)という馬に乗る予定で、年齢的には長坂琴音騎手と同い年で、彼女とは競馬学校の同期だったと記憶していた。
「馬場騎手」
「こいつは、ただのツンデレだ。内心、認めたくないから、君に冷たく当たってるけど、本当は羨ましいのさ」
「ちょっ、誰がツンデレですって! それに別に羨ましくなんてないわ」
「お前以外いるか」
「聞き捨てならないわね」
「まあ、お前の場合、ツンが9割、デレが1割くらいだけどな」
「何ですって!」
その二人のやり取りが、おかしくて私は自然と笑ってしまっていた。ある意味では、これが緊張をほぐしてくれたのと、私は長坂琴音騎手について、少し勘違いをしていたと思い直すきっかけになったのだった。
「何を笑っているのかしら?」
「何でもありません。それより、長坂騎手。勝負である以上は、負けませんよ」
私が、思いの他、笑顔から一転して、真剣な表情を見せたのに驚いたのか。彼女は、心なしか照れたような表情で、ソッポを向いて、
「ふん。せいぜい不甲斐ない戦い方はしないことね。そうしたら、少しはあなたのことを認めてあげなくもないわ」
などと、回りくどく言うものだから、私はますます面白くなってしまっていた。
何しろ、テレビで見せるような「完璧な」美しさと笑顔を見せる長坂騎手とは、真逆なほどの「ツンデレ」っぷりだったからだ。
だが、反面、
(良かった。この人、ただのコミュ障なだけなのかも。っていうか、素直じゃない)
と思ってしまうと、どうにも親しみやすさすら感じてしまうのだった。
(尊い。ツンデレ天使だな)
本人には言えないが、私が勝手に名づけた彼女のあだ名。性格は本当にツンデレだが、外見は天使のように美しいからだった。
レースは、20時ちょうどに出走予定。
この時、私が乗るピリカライラックは7枠10番、長坂騎手が乗るスノーエンジェルは2枠2番、馬場騎手が乗るサウンドスケープは5枠6番。レースは12頭立てだ。
私にとって、約1年ぶりに走る、この門別競馬場。
ここ、門別競馬場のダート2000メートルは、外回り走路を使用して、ホームストレッチ側の観客席から見て右側のポケット走路からスタートして、一旦ゴール前を通過して、馬場を一周するコースだ。
スタートから最初のコーナーまでが470メートルとかなり長く、先行争いは激しくならないものの、ここでの駆け引きが勝敗に大きく影響を与える。
最後の直線が330メートルある。直線が長いため、序盤からぶっ飛ばすレースにはならず、各馬の隊列やポジションはじわじわと形成され、馬群も縦長になるため、内枠・外枠の不利はほとんどないと言われているが、実際には内枠の馬はあまり活躍ができていない。
データからすると、距離が長いこともあり、脚質では「逃げ」が不利、「先行」が有利とされている。つまり、ピリカライラックにとっては、不利だ。
だが。
ゲートが開く。
まずは、「逃げ」の脚質を生かすべきだが、私は彼女を制御して、あえて先には行かせないようにする。シンドウとは違い、彼女は「素直な」馬だから、よく聞いてくれる。
先行は予想通り、ホッカイドウ競馬所属の騎手の2頭で、逃げるように進むが、3番手にスノーエンジェル、5番手にサウンドスケープがつけており、ピリカライラックは7番手。
そのまま長い直線を回り、私は徐々にペースを上げていき、2コーナーを回って向こう正面で6番手、3コーナーから4コーナーで4番手まで、少しずつペースを上げて、外から上がる。
あとは、最後の直線勝負。
ここの直線はそこそこ長い。
本来、逃げ馬である彼女の力を生かすため、ここまで「溜めて」いた脚を、外から使うことにした。
先頭は入れ替わっていた。先頭は6番のサウンドスケープ、次は2番のスノーエンジェル。この2頭が叩き合いをしていた。
その外側から、一気に追い上げていく。
残り200メートルを切る。
まだ2馬身くらいはあった。
だが、
(行けるか、ギリギリか)
という状態でも、彼女の脚色は衰えなかった。
最後の100メートルを切った辺りから、さらに伸びて、スノーエンジェルとサウンドスケープをかわし、最終的には、わずかな差でゴール板を通過。
ギリギリの勝負だった。
1着は、私のピリカライラック、2着は馬場騎手のサウンドスケープ、3着は長坂騎手のスノーエンジェル。
つまり、1~3番人気と、真逆の3、2、1番人気の順で、順位が確定した。
私にとっての、初めての「重賞制覇」だった。
さすがに、嬉しくて、思わず馬上からガッツポーズをしていた。しかも喜び余って、途中で鞭を落としていた。
レースが終わった後、ウィナーズサークルで勝利騎手インタビューを受けていた私は、笑顔で手を振る、故郷の友人たちに向けて、
「故郷に錦を飾ることが出来ました」
と喜びを表現して、笑顔を見せると、彼らから歓声が上がっていた。
北海道、門別での競馬。中央のように、大きな歓声も、大勢の観客もそこにはいない。
だが、それでも私にとって、ここでの「勝負」、ここでの「勝利」は特別なものだった。
ようやく、しかし思いの他、あっさりと「重賞」を制覇し、父が示した条件の一つをクリアしていた私。
後検量が終わって、ジョッキールームに行くと、苦々しげな、というより、子供のように拗ねた表情を浮かべた長坂騎手と、それを見て今にも吹き出して笑い出しそうな馬場騎手が待っていた。
「はい」
長坂騎手は、私が落とした鞭をわざわざ拾ってくれたらしく、ぶっきらぼうに、顔を背けて返してくれるのだった。
「ありがとうございます」
「まったく。勝利に浮かれすぎよ。鞭を落とすなんてね。ただの重賞、それも地方でしょ。この程度で満足しないでちょうだい」
励ましているのか、けなしているのか、悔しいのか、まったく素直ではない彼女の態度に苦笑しながらも、私は、恐らく初めて自分の「望み」を他人に口にするのだった。
それは、私が「彼女」に少しだけ気を許した証拠なのかもしれない。
「わかってますよ。私だって、いつかきっとGⅠを勝ってみせますから」
「当然ね。女性だから勝てない、なんて言われるの、私は我慢できないから。それじゃ、次の勝負でまた会いましょう」
そう言い残して、長坂騎手は、表情を隠すようにして、身を翻して、去って行ってしまうのだった。
残された私に、馬場騎手が笑いながら告げるのだった。
「まったく素直じゃないな。本当は、君との勝負を楽しみにしてたんじゃないかな」
「どうでしょうね。まあ、素直じゃないというのは、私も同感ですけど」
私と、馬場騎手の笑い声が響いていた。
これが、私と長坂騎手の、ある意味での「和解」というか、「わかりあい」の端緒であり、そこから長く続く「本当の闘い」の始まりでもあった。
22歳。私は、重賞に勝利した。
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