第17話 最も勝つことが難しいレース
皐月賞で、鮮烈なGⅠ勝利を飾り、一躍その年のクラシック戦線で、注目馬となった、芦毛の馬、シンドウ。
「最も速い馬が勝つ」と言われる、皐月賞を制したことで、人気はうなぎのぼりに上がり、連日、テレビやインターネットを賑わせていた。
特に、不良馬場を物ともせず、内側から「ワープ」するように1着になったことが、動画などでも話題になっていた。
4月12日に、他馬との接触による落馬で、左鎖骨を骨折し、入院していた私は、22日に退院したが、実戦復帰はまだ先だった。プレートを左鎖骨に入れたまま、5月18日に1か月ぶりに実戦に戻った私だったが、またも勝てない日々が続いていた。
そして、ようやく実戦復帰を果たした翌週に、大レースがやってくる。
2036年5月25日(日)、東京競馬場、11
天候は晴れ、馬場状態は「良」。
「ダービー」は、全てのホースマンの「夢」と言われる。騎手はもちろん、馬主・生産者・調教師・厩務員。競走馬に関わるすべての人間にとって、「一生に一度は掴みたい」、壮大な夢、それがダービー。
「ダービー」の名を冠するレースは、世界中の様々な国にあるが、競馬発祥の地、イギリスには、こんな言葉がある。
"ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になることより難しい"
言ったのは、イギリスの歴史的な首相として名高い、名宰相であるウィンストン・チャーチルと言われている。
それほどに勝つのが難しく「最も運の良い馬が勝つ」と言われ、歴代の名騎手と呼ばれる人たちでさえ、このダービーを勝つのに、何年もかかっている人がいっぱいいた。
なので、私にとっては、もちろん「いつかは勝ちたい」夢ではあったが、今はまだその舞台に立つことすら出来ない身。
幸い、その日は、東京競馬場の1レース、3レース、6レースに出走予定だった私は、それらのいずれのレースでも、掲示板を外していた。
つまり5着以内に入ることもなく、落ち込んだ顔で、ジョッキールームに戻ってきて、そこに備え付けられているモニターで、レースを観戦することにした。
熊倉調教師からは、珍しく、
「ダービーを見るのも勉強だ。よく見ておけ」
と事前に言われていた。
「さあ、いよいよクラシック2冠目を決めるレースが迫ってきました。解説の丸川さん、シンドウは堂々の1番人気ですが、どうですかね?」
前回の皐月賞とまったく同じキャスターと、解説者が、並んでテレビ局で対談していたが。
レースの前評判では、皐月賞を圧倒的な力で制したシンドウが1番人気、皐月賞の前評判とは逆に5着だった、フリーズムーンは4番人気になっていた。つまり、皐月賞と逆の現象が起きていた。ジェットアタッカーは、またもや怪我が回復せずに回避していた。
騎手は、前回と同じくシンドウが武政修一騎手、フリーズムーンが大林翔吾騎手。
シンドウは3枠5番、フリーズムーンは8枠16番。
「そうですね。順調に行けば、シンドウで間違いないでしょうけど、ダービーは何が起こるかわかりません。そういった意味では、フリーズムーンにも、他の馬にもチャンスがあります」
解説の丸川さんは、そう言っていたが、要は「明言を避けて、無難な答えを引き出した」逃げの解説にも、私には見えた。
そうこうしているうちに、パドックから本馬場入場に入り、各馬の紹介がされることになる。
シンドウは、馬体重が500キロで、プラス2キロ。フリーズムーンは、馬体重が446キロプラマイゼロ。どちらも仕上がりはいいように思えた。
固唾を飲んで、ジョッキールームで見守るのは、そこにいた、私以外にも幾人かの新人の騎手も同じだったが、その場に、私の同期はいなかった。
盛大なラッパの音が鳴り響き、関東のGⅠを告げる音が鳴り響き、万雷の拍手に迎えられ、テロップに大きく「東京優駿」と出る。
枠入りは順調に進み、いよいよゲートオープン。
武政修一騎手は、スタートには成功したようで、鞍上から押して出た。
ところが、シンドウは1コーナーでインコースの後方の位置取りとなり、そのまま後方に張り付いたような展開になる。
最近わかってきたことだが、シンドウは、「先行」、「差し」タイプだと思っていた私の見込みが間違っており、彼は「差し」、「追い込み」タイプだとわかってきた。そのため、後方待機からでも、一気に「差す」だろうと、私は見ていた。
1000メートル通過タイムが59秒2くらいで、3コーナーあたりになると、前2頭が先行して、3着とは10馬身は離れていた。
向こう正面で、シンドウは外に持ち出し馬群後方に付ける展開となるが、最終の4コーナーを回ると。そのまま直線に向いて後方8番手付近の位置取りのまま、大外から強烈な末脚で追い込みにかかった。鞭が飛んで、シンドウが一気に押し出してくる。
残り200、100メートル。しかし、混戦模様となっている1、2番手がもつれるようにゴールイン。
最終的に、シンドウは届かず、4着。一方、フリーズムーンにいたっては10着だった。
まったく競馬とはわからないものである。
悲喜こもごもの声を上げる、新人ジョッキーたちの声を背に、私は静かにジョッキールームを後にする。
考えていたのは、このクラシックの一大レースのことだ。
(私だって、いつかは勝ちたい。けど、これは確かに「運」が絡むし、難しい)
私の騎手人生は、まだまだ始まったばかりなのだ。
これからいくらでもチャンスはあると、前向きに思いつつも、シンドウの心配をしていた。
(奇跡の血量を持つとはいえ、血が濃すぎるシンドウ。いずれ体に支障が出ないだろうか)
GⅠレースに騎乗する権利がない私は、実質的にシンドウの騎手役からは「降ろされて」いたに等しかったが、初めて私に「競走馬」というものを教えてくれたのは、ある意味「彼」だったから、複雑な思いが胸に去来していた。
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