第12話 ラストスパートに賭けろ!
2035年、つまり1年目にして10勝という条件をクリアしないといけない私の騎手人生。
9月以降は、一進一退の状態だったが、10~11月までの間に、何とか4勝をして、残り1勝となっていた。
ところが、「あと1勝」がなかなか勝てない。
プレッシャーもあり、早く勝たなければ、と思い、かえって逆に焦ってしまい、それが悪循環に繋がり、勝てない日々が続く。
気がつくと、もう年末の雰囲気が漂ってきており、その年の最終レースが近づいていた。
後がない私の、運命を分けるレースは、阪神競馬場で行われる。正確には、このレースの後にもレースはあったが、「この日」、「このレース」が私の運命を分けることになる。
2035年12月29日(土)、阪神競馬場、5
天候は晴れ、馬場状態は「良」。
しかも「運が悪い」ことに、珍しく18頭立てのレース。つまり、「勝つ確率が下がる」レースだった。
私が任されたのは、ヨウテイサクセス(牡・2歳)という名前の馬だった。ヨウテイとは、恐らく北海道を代表する山、
血統は悪くなく、父はマイル戦線で活躍していたが、母はほとんど無名に近い。
私の競馬人生が続くか、終わるかの瀬戸際を託すには少々、「頼りない」馬ではあったが、これも運命と受け入れる。意外にも追い込まれていた私は冷静だった。
人気としても3番人気と悪くない。
阪神競馬場、芝1600メートルの特徴として、阪神ジュベナイルフィリーズや朝日杯フューチュリティステークスにも使われる人気コースでもあるが、スタート地点は向こう正面中間やや左の地点。スタートから最初のコーナーまで400メートルほどあり、ポジション取りがしやすいことが挙げられる。
コースは外回りコースを使用し、大きく緩やかな3~4コーナーが特徴的で、直線手前から少し下り坂で、残り200メートル付近から80メートル地点まで高低差1.8メートルの上り坂となっている。
ここの特徴として馬群に「まぎれない」というのがある。つまり、内枠・外枠の有利・不利はあまり関係がなく、単純な馬の力の有無で、勝敗が決まりやすい。最後の直線は、東京に次ぐ約473メートルと長いので、「差し」、「追い込み」馬が有利。
事前に頭に叩き込む。このコースでの新馬戦の平均タイムは1分36秒4くらい。ヨウテイサクセスはどちらかというと「先行」、「差し」タイプだった。
だが、問題があった。参加する馬の中に、クロウジェニオン(牡・2歳)という馬がいて、1番人気だったが、騎乗していたのは大林翔吾。そう、あの凱くんの父親だ。
武政騎手には及ばないものの、通算2000勝以上を挙げている、有名な騎手であり、この時44歳。手強い相手だった。
とは言っても、競馬で騎手をやっている以上、こうした対決はいくらでもある。
私は私の役目を果たすだけだ。
ヨウテイサクセスはちょうど真ん中あたりの5枠10番、対してクロウジェニオンは外の8枠17番。
ゲート入りはスムーズに行われ、いざ出走となる。
ゲートが開き、一斉にスタート。
さすがに18頭の多頭立てだと、馬群が塊になる。団子状態のまま、18頭が先頭に殺到するから、すごい光景になる。
もちろん、私は最初からトップは狙わない。ポジション取りだけを意識し、馬群の中ほどに入り込む。
レースは先頭集団、中団、後方の3つの群れに分かれて展開され、私は中団のやや後ろ、先頭から10番目くらいにつける。
先頭から最後方までおよそ10馬身くらい。スローペースの展開になっており、最後方とは距離があまりなかった。
私は馬群に埋もれないように、必死に進路を探ろうとする。
3~4コーナーまでの下り坂になっても、前に馬がいて、空きがなく、進路が塞がれていた。
(仕方ない)
4コーナーを回る辺りで、思いきって、馬を外に斜行させ、少しずつ進路を開くように移動する。
4コーナーを回ると最後の直線。
ここでの叩き合いが勝敗を決する。
先頭は、2番人気の馬で、大林翔吾騎手のクロウジェニオンは3番手を追走していた。
真ん中から外が空いていたので、私は必死に鞭を打って、外側から攻めようとしたら、斜行しすぎて、外埒沿い近くまで行ってしまいそうになり、慌てて手綱を戻す。
ほんの少しだけロスをしたが、立て直し、前方を抜ける。
ちょうど前は、横一線に近くなっており、自分の順位が何位なのか正確にはわからないほどだったが、恐らくは5~7番手くらい。
(行けるか!)
彼、ヨウテイサクセスは思ったより「反応」が良かったのが幸いして、最後の直線の残り1ハロン(200メートル)付近から、私の想像以上に加速してくれた。
そのまま、敵が前にいない状態で、残り100メートルで3番手、残り50メートルで2番手、残りわずかで先頭に並んだかに見えたまま、ゴールイン。
正直、私には自分が勝ったかどうかもわからなかった。
掲示板を見ると、「10」の数字が躍っていた。
(やっとクリアだ)
勝ったという喜びよりも、父の示した条件を「やっと」クリアした、つまりまだ騎手を続けられるという安堵感の方が大きかった。
いつものように、レース後に検量室に向かい、後検量を終えて、次のレースに備える。
その日は、まだ次のレースがあったからだ。
そして、最後のレースを8着という不甲斐ない成績で終えて、10勝を挙げたことより、安堵感が大きかった私が、夕方近くになってジョッキールームで休んでいると。
やや白髪交じりの中年男性が姿を見せたかと思うと、明るい笑顔を見せてきた。
「息子から聞いてるよ。息子の同期の石屋さんだね」
「はい」
武政騎手とは違う意味で、少し緊張してしまうが、相手はもちろん大林翔吾騎手。だが、違うのは、この人が息子と同じく「人懐こい」ところかもしれない。
「おめでとう。これで10勝だね」
「ありがとうございます」
息子から聞いていたのか、それとも私に注目してくれているのかはわからなかったが、人の好意は素直に受け取ることにする。
そういえば、この人、凱くんに「本当に強い騎手や馬が後ろにいると、押し潰されるような『恐怖』に似た感覚を後ろから感じる」と言ったそうだけど、私はまだその「恐怖」の感覚を馬場はもちろん、競馬場でも味わったことがなかった。
そして、それこそが私がまだ「新人」であることの証でもあったのだ。
「君は、まだまだこれからの騎手だ。凱ともども、競馬界を盛り上げて欲しい」
彼は、それだけの祝意を述べて、あっさりと立ち去ってしまった。
いまいち何を考えているのか、わからない人だと思った。わざわざそんなことを言うために、私の元に来たのだろうか。それとも「偵察」か何かなのか。
釈然としないまま、私はその日の仕事を終えて、日曜日のレース後、新幹線で東京経由で美浦に戻る途中、新大阪駅から父に電話をかけた。
「おお、優か」
「お父さん。10勝は達成したよ」
「ああ、見てたよ」
褒めてくれるのか、と思いきや、父が呆れたように嘆息するのが、電話越しにわかってしまった。
「しかし、お前。結構ギリギリだな。大丈夫か、来年以降」
「大丈夫だよ。心配いらない」
私の強気の発言に対し、父はしかし、考えることが違ったようだった。
「お前。まだ1年目だからそんな悠長なこと言ってられるけどな。来年からはもっと厳しくなるぞ」
「何で?」
「考えてもみろ。今年は新人だから、まあ仕方がないと思われている部分があった」
「手加減されてるってこと?」
「そこまでは言わんが、多少の甘さがまだ許される年ではあっただろう」
「来年は違うの?」
「恐らく違う。もっと厳しくなるぞ」
父の一言は重い。しかし、父がこんなに競馬に詳しいとは意外だった。そもそも趣味レベルでしかやっていないと思っていた。あるいは、社会人の先輩としての「感覚的」なものなのかもしれないが。
「まあ、がんばれ」
「うん」
電話を切ってから、私は天を仰いだ。
真冬の大阪の空に、オリオン座の三ツ星が輝いていた。
そして、改めて思うのだ。
(競馬は厳しい。難しい)
と。
日々、勉強をしないといけないし、経験値が浅いうちは、何が起こるかわからない。馬の体重は重いと500キロはある。
レース中に当たれば大きな怪我をしてしまうこともあるだろう。
私の騎手人生はまだ始まったばかり。
まだようやく一年目を終えて、スタートラインから走り始めたばかり。ゴールは地平線のはるか彼方にあるのだった。
2035年の成績、同時に通算成績。出走回数190回に対し、1着が10回、2着が5回、3着が12回。
勝率は.053、連対率(1着と2着に入る率)は.079、複勝率(1着と2着と3着に入る率)は.142だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます