第11話 捨てる神あれば拾う神あり
9月にまさかの降着で、またも1着を逃していた私だが、すぐに次のチャンスは巡ってきた。
それが、ある意味での「運命」にもなっている馬、シンドウだった。
前回は、新馬戦で、見事な末脚を発揮して、内埒沿いから差し切って、私にとって初勝利をプレゼントしてくれた馬。
私が他の馬に乗っている間に、オープンクラスに上がっており、久々に調教をして、来る戦いに備えた。
2頭立ての「併せ馬」と呼ばれる調教で、同じ厩舎に所属している騎手と、調教を行う。
出逢った頃から、ものすごい暴れ馬で、言うことを聞かない馬だったが、その自由奔放なところは相変わらずで、ある意味では「王様気質」な馬だった。
まるで「俺が乗せてやってるんだから、ちゃんと走らせろ」と言わんばかりに偉そうな態度を取る馬なのだ。
だが、その分、彼は気分が乗った時には、爆発的な力を示すことを私は知っていた。そして、難しい気性ながらも、彼を「やる気に」さえさせれば、いい走りをしてくれることもわかってきた。
人間社会にも、時折こういう「気分屋」タイプがいて、会社の上司を困らせたりするが、それに似ている。
次の決戦の場は、中京競馬場だった。
その1週間ほど前。夜、美浦の独身寮に帰ると不意にLINE通知が来た。海ちゃんだった。
「今、話せますか?」
少しクールなところがある彼女は、あまり口数が多くない。男の子みたいな雰囲気があるから、LINEもいつもすごく短い。
「いいよ」
と、私も簡単に返すとすぐに電話が来た。
「海ちゃん。どうしたの?」
「来週の
その一言だけで、十分だった。
野路菊ステークスには、私が乗るシンドウも出る。彼女が乗るのは同じく2歳オープン馬のジェットアタッカーという馬だという。
確か、青毛の大柄な馬で、すでに新馬戦、条件戦も軽くクリアしており、シンドウと同じく2歳戦線で注目されている馬だ。
「そっか。負けないよ」
「私もです」
短い会話だけが交わされ、お互いの健闘を祈った。彼女とは一番いい関係でいられているかもしれない。
そして、準備をする間に、あっという間に決戦の日がやって来る。
2035年9月22日、中京競馬場、9
天候は晴れ、馬場状態は「良」。
中京競馬場の芝2000メートルは、スタート地点がスタンド中間のやや左寄りの地点にある。上り坂の途中からスタートして、コースを1周する形態になっている。最初のコーナーまではおよそ400メートル。1~2コーナーまでのカーブは緩やかに上り坂。3~4コーナーまではスパイラルカーブで緩やかな下り坂。
直線の半ばで約2メートルの急坂があるが、最後の直線240メートルはほぼ平坦。
重賞の愛知杯や金鯱賞にも使われている、中京競馬場を代表するコースで、ポジション争いに脚を使ってしまいやすい構成になっている。
そして、7頭立てと、少頭数の戦いにおいて、私のシンドウは大外枠の7枠7番で2番人気、海ちゃんのジェットアタッカーは、真逆の内枠1枠1番で1番人気だった。
前回に続く、同期対決、しかも彼女は私よりすでに勝っている。負けられないと思った。
シンドウの状態は、良く、馬体が「ガレる」、つまり痩せていることもなく、馬体重は若干多めのプラス8キロだったが、特に問題はないように見えた。
見た限り、そして返し馬をした感じだと、彼自身はいつもと変わらないように見えるが、賢い馬だから、私のことをよく覚えているようで、それなりには信頼してくれているようにも見えた。その証拠に、昔みたいに無闇に暴れるようなことはなくなった。ただし、プライドが高いのか、変な指示をすると、途端に従わなくなるところは相変わらずだった。
非常に「扱いづらい」癖のある馬だが、逆に言えば、扱えれば負ける気はしないくらいの能力を持っている馬。
勝負は私の腕にかかっている。
スターティングゲートに各馬が並ぶ。枠入りはスムーズに終わった。
出走と同時に、大外の私は、ある程度のポジション取りを狙いに行く。コースの特性上、坂道の途中から始まるから、脚を使ってしまいがちになるが、元々坂道が得意なこの馬は、それをもろともせずに駆け上がり、3番手という好位置をキープする。
だが、やはりどこか「ズブい」ところがあるのか、それともやる気がいまいちなのか、掴みどころがない馬で、1~2コーナーの坂道までは良かったが、その後の直線でずるずると失速し、後方から数えた方が早い5番手に沈む。
海ちゃんのジェットアタッカーは2番手と好位を走っていた。
3~4コーナーは緩い下り坂。あとは最後の直線。その直線に入ってもいまいちパワーが出ない気がするシンドウ。このままだとマズい。
私は、道の半ばにある「急坂」に賭けた。彼はどうも「坂道」がポイントな気がしていたからだ。幸い、進路は外側が空いていた。
直線を100メートルほど走って、半ばにある約2メートルの急坂。ここで、
「よし、行け!」
鞭を打った。
瞬間、彼は躍動した。急にペースを上げて、しかも「大跳び」のような、大きなストライド走法で、一気に差を詰める。
外から1頭、2頭を瞬く間に抜いて、3番手に上がる。
いつの間にか先頭は、ジェットアタッカーになっていた。
残り100メートルの標識を通過。ほとんどギリギリだろう。だが、私はシンドウの実力を知っている。この馬は、使いようによっては、「化ける」と知っている。それも後方からの奇襲のようなやり方が、彼に合っていることも理解してきた。
ここでさらに、前回のように鞭を打って、さらに加速する。
幸いというか、前2頭はほぼ横一線に並んでいて、わずかにジェットアタッカーが先頭だった。
(行けるか、ギリギリか)
残り80、70、60メートルくらいか。
ようやく1頭を抜いて、2番手。残り50メートルでジェットアタッカーに並ぶ。
そして、ゴール板が見えてくるようなギリギリのタイミングで、並んでもつれ合うようにして、ゴールイン。結果的には壮絶な叩き合いになっていた。
実際、ほとんど同着に見えた。
当然、「審議」のランプが灯っている。
この結果を待つ間は、いつだって緊張するし、私が最も嫌いな時間だった。
そして。
「7」
の数字が確かに、掲示板に点灯していた。わずか「ハナ差」での勝利だった。
ガッツポーズを取る私。
いつものように、検量が終わった後のわずかな時間。ジョッキールームで休んでいると、彼女がやって来た。負けた割には落ち着いているように見える。
彼女は、いつものようにクールな無表情に近い、しかしながらわずかに口元に笑みを浮かべて声をかけてきた。
「さすがですね、優さん」
「そんなことないよ」
「これで5勝ですね。やっぱり優さんは、弱くないです」
「そんなに褒められると、照れるよ」
私は、いつも同期や先輩から、どちらかと言うと「馬鹿にされて」きた経緯があるから、褒められ慣れていない。
だが、「私のファン」を名乗る彼女だけは、違っていた。私を見る目が、他の人とはどこか違う視点なのかもしれない。その意味では、彼女の意見は貴重だった。自分で、自分を客観視するのは難しいからだ。
だから、聞いてみた。私の何が「弱くない」と思ったのか、を。
「そうですね。シンドウは、すごく扱いづらいと聞いてます。多分ですが、私だったら、あんな差し切り勝ちはできません」
「えー。そうかなあ。別に普通だよ」
「そう思ってるのは、優さんだけかもしれませんよ。今度、あの馬に他の人が乗っている時のレース映像を見て下さい」
そう言われると、悪い気はしないし、確かに他の人がシンドウに騎乗しているレースは気になると言えば、気になるのだった。
だが、私としては先日の「降着」の件もあり、自信が持てていなかったのも事実。そのことを話すと、
「そんなの大したことじゃありません」
彼女は、まるで気にもしていない様子だった。
「でも……」
「いいですか、優さん。あなたは、多分『馬の気持ち』がわかる人なんです。それは私や他の人にはない才能です。多分、私なんかよりずっとすごい騎手になりますよ」
「いくら何でもそれは褒めすぎ。さすがに馬が何を思ってるかなんてわからないよ。わかるような気がすることはあるけど」
「それでも十分すごいです」
さすがに、そこまでおだてられると、逆に信じられなくなる私だったが、彼女は別れ際に不思議なことを言い残して、去って行くのだった。
「今はまだかもしれませんが、3年後、いや5年後かもしれませんが、その頃には私は完全に抜かれていると思います」
まるで、未来を見てきたかのような「確信」めいたことを呟く彼女が不思議でならなかった。
私は、この年、残り3か月を残して、5勝を挙げた。残り5勝。これでも半分だった。
なお、海ちゃんに言われたように、他の騎手がシンドウに騎乗しているレースを、動画で見てみた。
(何か違う。違和感がある)
というのが、私の正直な感想で、言わば、「騎手が馬に振り回されている」ように見えた。逆に言えば、「無理矢理抑えつけている」ようにも見える。
もっとも、だからと言って、私が「彼」を完璧に制御しているという傲慢な考えも過信もなかったが。
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