第8話 馬が見えない景色
私は確かに「勝った」。デビューから3か月という遅咲きで、ようやく初勝利を掴んだのだが。
やはり、尊敬する憧れの先輩ジョッキー、長坂琴音から言われた一言が心に残ってしまい、どうにも釈然としないのだった。
だが、そうは言っても、プロである以上、騎乗依頼は来るし、気持ちの整理をつける暇もなく、次のレースはやって来る。
地方でも走った。主に浦和と川崎が多かったが、正直、全く勝てていなかったばかりか、掲示板にも絡まないのだった。
色々と気持ちが引っ掛かる中、迎えた7月。
その日の騎乗は、函館競馬場。
そう。日高から場所は遠いが、故郷の北海道に帰ってきた。
函館競馬場での中央競馬開催は、毎年6月と7月の12日のみ。北海道はとてつもなく広いから、実は私にとって、函館は初めて来る土地だった。
しかし、北海道人が内地と呼ぶ本州以南にはない、清々しさがそこにはあった。
まず湿度が全然違う。津軽海峡を越えただけで、こんなに違うのか、と思うほど涼しくて、快適な気候。
特に7月なのに、夜になると各段に涼しい。この感覚は本州以南では味わえないだろうし、昨今は地球温暖化だから、尚更だった。
だが、元々、馬という動物は「暑さに弱い」。なので、実はこの時期の北海道の方が過ごしやすいのだ。
私が乗る馬は、「彼女」だった。
「ピリカ」
私が、短縮形でピリカと呼ぶ、ピリカライラック。
前回は、3月に未勝利戦で、勝利をプレゼントできずに敗退。しかしながら、初心者ゆえの焦りが彼女に伝わり、それが原因で、うまく「折り合い」がつかずに、最終的には「一杯に」なってしまって、バテた。
実はこの仔と会うのは、久しぶりで、しばらくは別の騎手が乗っていたらしいが、いずれも未勝利戦で勝てなかった。
そのままズルズルと7月まで勝てない状態が続くが、まだ3歳とはいえ、そろそろ勝たせてあげたいと思うのが人情。
私は、一旦、余計なことを考えるのを辞めて、彼女に対峙した。
相変わらず栃栗毛の美しい毛並みを持つ彼女は、どこか「可愛らしく」て、大人しい女の子に見えた。
人間でも馬でも、あまり変わらないのは、男(牡)の方がヤンチャで、気が強いのが多いこと。女(牝)は、どちらかというと穏やかな気質の仔が多い。もっとも、最近は、牝馬でも牡馬相手に勝つことがあるから、一概には言えないが。
だが、久しぶりに会って、
「ピリカ」
と声をかけると、彼女はすっと寄ってきた。
私のことを覚えているのだろうが、どちらかと言うと、私を「試す」かのように、首をすりつけてきて、私を「測って」いるようにも見える。
前回の失敗のことがあるから、私はとにかく、緊張しないように、緊張させないように、出来るだけ自然体で、彼女に接する。
発走の60分前より少し前に、
時は来た。
2035年7月14日(土)、函館競馬場、3
天候は曇り。馬場状態は「
函館競馬場のダート1700メートルは、平場での使用頻度も高く、スタート地点はスタンド前右手の直線入口地点になる。
最初の1コーナーまでの距離は、平均的な距離と言えるが、4つのコーナーは高低差があり、コーナーを回る巧拙が重要な鍵になる。
なお、最後の直線は約260メートルとかなり短い。
頭数14頭の、外枠の8枠13番。微妙な位置だと思ったが、このレースには、ある有名な騎手が参戦していた。
3枠4番、ミリオンエアー(牡・3歳)に乗るのは、伝説的名騎手と名高い、武政修一騎手。
私にとって、今や憧れではなくなりつつある、長坂琴音騎手とは違い、武政騎手は、「雲の上の人」に等しいから、気軽に声をかけることも畏れ多く、私は淡々とレースを待った。ミリオンエアーは2番人気、ピリカライラックは5番人気だった。
このピリカライラックの脚質は「逃げ」だということはわかっている。だからこそ、私は出走の前に、熊倉調教師に、
「今日は全速力で逃げます」
と宣言をして、
「勝手にしろ」
と、半ば呆れられていた。というより、この人は、ほとんど馬に興味がないのでは、と思うくらいにいい加減な放任主義だった。
ゲート入りは、前回の時は、入れ込んでしまい、最初から躓いたが、今回はすんなりと入る。
むしろ、この仔は、これからレース前だというのに、妙に落ち着いているように見えた。まるで散歩にでも行くように、緊張感が感じられない。むしろ私の方が心配になる。
ところが。
スタート直後から、彼女は素晴らしいスタートを切った。
いきなり外を突いて、するするっと前に躍り出る。「ハナを切る」という競馬用語に相応しい、スタートで先頭に立つ。内枠の方が有利かと思いきや、実際には、ここの競馬場に内外の有利・不利はあまり関係ないらしい。
坂の頂上からのスタートになり、スタート直後からどうしてもペースが速くなりやすいこの競馬場。
ダート戦なので、各馬がひるまずに前半から飛ばしていく。
ちなみに、最終直線が短いから「差し」、「追い込み」勢には不利で、先行有利と言われるが、逃げも勝率は高い。
そして、「彼女」は初めて、まともに「逃げた」。
もちろん、私がそう指示したが、とにかく突っ走る。
最初の1、2コーナーをいい位置で走れるかが、ここのポイントだと知っていたから、私は半ば強引にイン側に突っ切って、1コーナーを先頭で抜け、2コーナーまで一気に飛ばす。
後続勢は追いついてくるか、と思いきや彼女の脚は意外なほどに速く、あっという間に2番手のミリオンエアーに2馬身も差がついていた。
そして、それは私にとって、初めてとも言える「逃げ」戦法と、そして見たこともない「景色」だった。
通常は、前に何頭もの馬がいて、馬群を分け入るようにして、先頭に立つことを目指すが、この時の彼女は、リラックスして、走りを楽しんでいるようにすら見えた。
視界の先に「馬」がいない。これはすごいことだと思った。
(風が吹いてくる)
視界の向こう側には彼方まで伸びる、土の馬場しかない。
遮るものがない風、太平洋から吹きつける、函館の潮風が全身に振りかかってくる。
そして、そのままの勢いを保ちつつ、ついに4コーナーを回る。2着のミリオンエアーとは3馬身は差がついていた。それでも後ろは団子状態で、どちらかといえば、スローペース気味だったのが、逃げ馬には幸いだった。
最後の直線は、わずか260メートル。武政騎手が鞭を入れて、最終的に1馬身まで迫られていたが、「怖い」とは感じなかった。
前回のように「一杯」になってバテることを内心、恐れてはいたが、むしろ、私は彼女を信じて走らせていた。
そのまま1着でゴールイン。私はようやく2勝を挙げた。
そして、この後、私にとっては、意外すぎることが起こる。
レースを終え、地下道から検量室に着いて、馬を降りる。
彼女を褒めるように、首筋を触り、記者からの簡単なインタビューを受け、前回と同じく、次のレースまで空きがある私は、廊下に出たところで同じような形で、声をかけられた。
「君が石屋さんだね」
振り向くと、競馬界の「レジェンド」とも言える、武政騎手が、優雅にも見える、姿勢のいい体勢で立っていた。
「た、武政騎手。はい、そうです」
さすがに緊張して声が上ずっていた。まさに「雲の上」の神様みたいな人だと思っていたからだ。サインが欲しい、とすら思って、喉からその言葉が出そうになるのを堪える。
「いい走りっぷりだったね。おめでとう」
爽やかな笑顔を見せる、この人はすでに年齢は42歳くらいだったはずだが、通算3000勝は上げている。私が目指している200勝なんて、この人にとっては、ただの通過点にすらなっていないだろう。レベルが違いすぎる。
緊張して声も出ていない私を気遣ってくれたのだろうか。彼は私の騎乗技術が「悪くない」と褒めてくれたが、私はそのことよりも、前に長坂琴音騎手に言われたことが気になって、つい愚痴のように、言葉を発していた。
「でも、私。ただ、馬が好きなだけで、競馬の才能なんてありません」
「どうして?」
と言われたので、この間、長坂騎手に言われたことをそのまま告げると、武政騎手は、小さく笑った。
何がおかしいのだろう、と不思議に思っていると、彼の口から意外な一言が漏れていた。
「いいじゃない、馬が好きで。何が悪いの?」
「えっ」
「だって、そうでしょ。僕が馬主なら、乗ってくれる騎手が馬好きの方が断然いい。馬が嫌いなら、何をされるかわからないでしょ」
なるほど。言われてみると、それは至極当然の論理で、当たり前のことだった。
私は、何を悩んでいたんだろう、と彼の一言を聞いて、私は現金にも立ち直りかけるのだった。
さらに彼は、笑顔でこう続けた。
「長坂騎手が言うこともわからないでもないし、実際、馬を道具としか思ってない騎手なんていくらでもいる。でも、僕は馬が好きだし、『好きこそ物の上手慣れ』だよ」
ああ、この人は、本当に爽やかで、そして、長坂琴音騎手なんかより、余程、人間が出来ている人格者なんだ、と改めて思うのだった。
人生の、そして騎手としても、酸いも甘いも嚙み分けて、この業界で長年生きてきたこの人の言葉は重い。
「今度、もし同じことを言われたら、『馬が好きで何が悪い?』って言い返してやればいいよ」
「は、はい。ありがとうございます」
「それより、君。あの石屋観光牧場の石屋社長の娘さんなんだってね」
「そうですけど、父を知ってるんですか?」
いきなり出てきた言葉に私は、仰天する。石屋社長とはもちろん、父の宗一郎のことだ。一応、「石屋観光牧場」を経営しているから、社長に当たる。
「君がまだほんの小さい頃に行ったことがあってね。馬を大切になさる方だと思ったよ。なるほど。だから、君も馬好きなんだね」
「はい」
驚いた。父が武政騎手と知り合いとは。そんなことは一言も聞いたことがなかったからだ。しかもウチに来たことがあるという。もっとも、小さい頃のことらしいから私にその記憶はまったくなかったが。
最後まで緊張していた私に、彼は明るい笑顔を見せて、最後には、
「がんばってね」
と、背中を押す一言を告げてくれた。
もうそれだけで、私の気持ちは天に舞い上がるほどに嬉しくなっていた。武政騎手との出逢いはそれほどに嬉しいものだった。
私は一通り、仕事を終えて、調教ルームに入る。騎手は公正を期すため、外部との連絡を厳しく制限されており、レース期間中は、ほぼ競馬場に缶詰にされる。
翌々日の月曜日の朝。ようやくフリーになって、時間が出来たため、函館空港に向かう途中、携帯電話を手に取った。
もちろん、父に向けて。
「おお、優か。どうした?」
「どうしたじゃないよ! お父さん、武政騎手と知り合いだったの?」
すごい剣幕で訴える私にたじろいだような父の声が、電話越しから伝わってきたが、それよりも、
「ああ。知り合いって言っても、そんな深い関係じゃねえよ。お前がまだ生まれたばかりの20年くらい前に来たことがある。しゃーないだろ。話したってどうせ覚えてないんだから」
父の言葉によると、およそ20年前、武政騎手がまだデビューして間もない頃に来たらしいが、その頃、私は1歳程度。確かに覚えているはずがなかった。
「しゃーないじゃないよ。教えてよ」
「すまん、すまん」
すっかり私の勢いに押されながらも、笑っていた父。しかし、次の一言に私は凍りつくことになる。
「お前。ようやく2勝したのか」
「うん、まあ」
「言い忘れてたけど、30歳までに、重賞制覇と200勝以外に、もう一つ条件を追加する」
「はあ? 追加?」
「そう。今年いっぱいで最低でも10勝しろ」
「ちょっと、勝手に増やさないで」
さすがに私は、この身勝手な父の行動を非難し、同時に焦っている自分にも気づくが、父は思いの他、冷静だった。
「もう2勝したんだろ? 大丈夫だろ、10勝くらい」
「そんな簡単に言わないでよ」
「じゃ、そういうことで。よろしく」
「あ、ちょっと!」
電話が切れた。
「あー、もう! お父さんのバカ!」
真夏の函館の涼しい風が頬に当たる。
現在7月。成績は102戦2勝。今年一杯なら後、たったの5か月しかない。つまり、1か月に最低2勝ペースだ。果たして、私の騎手人生はどうなるのだろうか。
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