エピローグ・1
病室で皆が集った日から、かれこれ五年の歳月が流れた。
「おっじゃまっしまーすっ!」
「おう、上がれよ。弥生もいるぞ」
俊介がアパートの扉を勢いよく開いて足を踏み入れると、ダイニングテーブルにはピザやチキン、パエリアにシーザーサラダなど、ご馳走が並べられていた。
「いらっしゃい、待ってたわよー。ケーキも買ってあるからね。
あっ、倫太郎はシャンパンのグラス並べておいてくれる?」
弥生は外連味なく手を動かしながら俊介に挨拶を済ませる。
俊介は弥生のエプロン姿に一瞬見とれたが、眼前に長身の男が立ちはだかり視野が遮られた。
「久しぶりだな俊介。どうだ仕事の方は」
倫太郎の愛想のなさは箸にも棒にもかからないものだが、歓迎していることは俊介にはよくわかった。
「やっと慣れてきたよ。就職して二年だからね。成果はまだ出ないんだけどさ」
俊介は大学院を卒業後、地元にある研究所に就職し、生物学の研究に明け暮れる日々を送っていた。
「倫太郎はどうなんだよ、女子高生にはもてないだろ」
二人の会話を聞きつけてキッチンから野次が飛んできた。
「モテないよー! この前のバレンタインもお土産全然ないんだもん。期待してたのにー」
「うるさい弥生、俺は硬派教師で通ってるんだ。大体お前だけで手一杯だってのに」
「さっそく痴話喧嘩かよ、仲がよろしいようで」
俊介は倫太郎をからかいつつあたりを見回す。
リビングの壁にかけられたカラフルな色彩のカレンダーは5月8日を指している。
綾を含めた四人がはじめて会した記念日ということで、社会人になってからも毎年、皆で集うことにしている。
今年は倫太郎のアパートが会場になった。パステルカラーのキッチンマット、テレビ台のお洒落なフォトフレーム、そしてアンティーク調の間接照明。雰囲気は男の一人暮らしではなかった。
インターホン越しに聞こえた「弥生もいるぞ」は今日に限らないことらしい。俊介はかつては自分も気ままな二人身だったなと思い返す。
部屋の端のローテーブルにはトロフィーが飾られている。剣道の社会人大会で準優勝した時のものだ。
「この前言ってた大会のやつだな。やっぱりすげえな、おめでとう」
俊介は親友の倫太郎の活躍を素直に祝福する。
「おいおい、最後に負けたやつにおめでとうはねぇだろ」
倫太郎は親友の俊介の祝福を素直に受け取らない。
「褒めてもらってるんだからちゃんと喜びなさいよ、いつまでも頑固なんだから」
弥生はどうやら猛者の倫太郎よりも強いらしい。
そこで再びインターホンが鳴った。弥生はモニターを覗き込んで倫太郎に声をかける。
「きたみたいよー。倫太郎が出てあげて」
「自分の家みたいな言い方だな、まあいいけどさ」
俊介が「ほとんど自分の家なんだろ」とからかって笑うと、倫太郎は俊介の頭を両手でくしゃくしゃにしてから玄関へと向かう。
5月8日に再び回転木馬を受け取った倫太郎は、成宮に嵌められた一日をやり直そうと決意した。
屋上で追い詰められた生徒を助ける前に、一部始終を記録してくれる味方を探すことにしたのだ。
けれど、頼める友人はいなかったし、その時点では俊介たちとはまだ知り合っていなかった。弥生を男同士のいざこざに関わらせるのは危険だ。その場で何をされるか知れたものではない。
そこで浮かんだのが、自分と同じように外れものとして扱われている男の顔だった。教師の更木だ。
倫太郎は更木に協力を要請したところ、ふたつ返事で承諾してくれた。
「あいつは悪い噂があるから、ここでひとつ手を打っとかないとな」と言っていたので、成宮をひいきしない数少ない教師なのだと信じられた。
そして成宮の策略は不発に終わり、手下だったチンピラ学生の証言により成宮の裏の顔が明らかになった。すると成宮は教師たちと結託し、全校生徒集会で弁明を図った。
しかし、更木がその場で「嘘で真実を隠すのが聖職者の仕事か!」と教師陣を一喝したため集会は騒然となった。
それを機に被害者たちが続々と声をあげ、成宮の悪事が露呈することになった。警察沙汰にまで発展し、成宮は追い込まれ、もはや悪事を働くことができなくなったのだ。
そして倫太郎は何事もなかったかのように部活を続け、スポーツ推薦で大学へ進学し体育教師となった。更木と同じ道を歩んだ倫太郎は、社会人になっても更木との交流があった。
「更木先生、ご無沙汰しております」
倫太郎は自ら扉を開け、うやうやしく頭を垂れる。更木は相変わらずの不敵な笑みを浮かべ、携えた土産袋を掲げてみせた。
「おう、みんな元気でやってるか。松下から集まるって聞いたから、顔見に来てやったんだ」
「先生、遠慮なく上がってください」
「用が済んだらすぐ帰る、邪魔はしたくねえからな」
更木はダイニングテーブルの椅子に腰を据えると、土産袋を開け、のしが巻かれた箱を取り出す。
「箱はいらねーだろ、処分しとくぞ」
そう言って無造作にのしを破り捨てる。
「相変わらず雑ですね、更木先生」
対面する俊介は遠慮なく破られる紙の音に苦笑を浮かべる。
更木は箱の中身をテーブルの上に並べた。ガラス瓶に詰められたプリンが四つ。味は極上だがネーミングがくどいと評判で、いまや全国区だ。
『おおいわっぱら農場生まれのミラクルヨード卵をたっぷり使った超絶おいしいトロトロプリン』
ラベルを見て弥生は歓喜の声をあげる。
「わぁ、私、これいつか食べてみたいと思ってたんです!」
「僕も甘党なんで嬉しいです、どんな味なんだろ」
俊介も頬が緩む。
「そういえば松下から聞いたんだが、川端はファッションビジネス能力検定一級、受かったんだってな。土産はその祝いみたいなもんだ」
「あっ……ありがとうございます……」
弥生らしくない、奥歯にものが挟まったような返事をした。
ファッションビジネス能力検定は、仕事上どうしても取りたかった資格で、二級までは順調に合格できた。
しかし、懸命な努力をしたものの、一級の難易度を打ち破ることはできなかった。
そして倫太郎は落ち込んで泣きじゃくる弥生に回転木馬を渡したのだ。同一の問題に挑戦する二度目の試験は、驚くほど簡単に回答できた。
そして回転木馬は今、俊介の所有物となっている。毎年、この出会い記念日には所有者が持ってくるのだ。
俊介がそれを鞄から取り出しテーブルの中央に飾ると皆の視線が注がれた。四体の馬のうち、三体の瞳が輝いている。
「おっ、忘れなかったか。俺たちを繋ぐ宝物だからな。
でも、お前は叶えたい願いがまだ見つからないのかよ」
「うん、取っておいてるんだ。保険みたいなものかな」
俊介は回転木馬を飾るのと入れ替わりに、テーブル上に散らばるのし袋を片づける。
ふと、のし袋に書かれていた更木の名前に目が止まった。
『粗品
読んでつい、ぷっと吹き出した。
「更木先生って、ラノベの主人公みたいな名前してるんですね。やけに高貴な感じでギャップありすぎですよ」
「ほぅ、お前は人を見る目がないな。俺は昔、それはそれは高貴な存在だったんだぞ」
「まっさかぁ~」
俊介は容赦なく笑い飛ばした。
その時、再び呼び鈴が鳴る。
「「「やっときた!」」」
皆、表情がいっぺんに明るくなり、俊介は早足で玄関へと向かう。
扉を開くとそこに立っていたのはいくぶん小柄な、可愛らしい女性だった。今は名字が「風見」になったが、かつては「鳥海」だった、俊介の幼馴染だ。
ふぅ、とため息をつき、顔はうっすらと汗ばんでいる。
なぜならだいぶ重くなった子供を抱きかかえて階段を昇ってきたからだ。髪を片方で結いた、綾に似た女の子だ。
「お待たせ、えんじゅがおもぉ~い!」
えんじゅと名づけられた子は、俊介の姿に気づくと手足をじたばたさせる。綾は子供を俊介に手渡した。
「綾、おつかれさん。えんじゅちゃーん、あいたかったよー!」
「パパ、あいたかったよー、だいすき」
俊介は懐く娘に表情筋が緩みまくりだ。
「実習が遅くなっちゃってさ。託児所も混んでいたし」
弥生と倫太郎も玄関まで綾を出迎えにきた。
「鳥海、看護学校通いながら子育てしてるなんて大変だな」
綾はただいま看護師を目指して勉強中である。憧れたアニメのヒロインの影響は大人まで持ち越したらしい。
「うん、人生の遅れを取り戻さないとね。でもえんじゅは俊介が面倒見てくれるから大丈夫。懐いてるし、子供の世話だけは几帳面なんだよね」
「倫太郎、もう鳥海じゃなくなって何年経ってると思ってんの。早く慣れなさいっ!」
剛健な肉体は弱点の脇腹に肘を打ち込まれ、一瞬ひるんだ。弥生は笑顔で誤魔化し、綾を案内する。
「どうぞ遠慮なく上がって」
「お邪魔しまーす」
倫太郎は綾のつむじを見下ろし、ふと気になったことを尋ねる。
「鳥海……じゃなくて奥さん、また身長伸びたんじゃねえか」
綾は倫太郎を見上げたが、視線は高校時代よりも幾分近い。
「うーん、あれからちょっとずつ伸びてるみたいなの。もうすぐ百五十センチになりそう。最近、服が合わないのよ」
綾は短めに見えるシャツの裾を引っ張ってぼやく。
「綾ちゃんってやっぱり不思議な子よね。そうだ、今度私が一着デザインしてあげる」
「ほんと? やったあ」
弥生にとっては練習を兼ねているから一石二鳥だ。
リビングでは更木が椅子に腰掛け足を組み、テレビの音楽番組を見ていたが、子供の姿に気づくと立ち上がって歩み寄ってきた。
「おお、こいつが噂の、鳥海と風見の娘か。母親に似てて良かったな、ちょっと抱かせてくれ。今いくつだ?」
「一歳と四ヶ月になりました。クリスマスイブに生まれたんです」
「いっちゃいとよんかげつぅー!」
渡す時、両手を広げ腕をぱたぱたと羽ばたかせる。たどたどしい手つきが小さな翼のようで愛らしい。
「更木先生、落とさないでくださいよ、この子お転婆なので、よく暴れますから」
俊介がおそるおそるえんじゅを更木に手渡すと、更木と目のあったえんじゅの顔が露骨に曇る。
「このひと、なんかコワイよぉ」
「ふはは、いい勘してるぜ、俺はいろいろ怖いぞぉ!」
「わざわざ怖がらせないでくださいよ」
突然、テレビから派手な歓声が湧き起こった。見ると人気のアーティストが登場したところだった。
「ラストプラネット」という、ゲリラライブで噂になり人気を博した四人構成のバンドグループだ。
弥生が爛々とした瞳で画面を見つめていう。
「わぁ、私、昔からこのバンドのファンなの。一度くらいゲリラライブに遭遇してみたかったわぁ」
そして軽快なドラムとギターの音に乗せて歌が流れ始める。曲は「時空ファンタジア」だ。
『You have just gone!
でも忘れるな、奇跡はお前を待っているWOWWOW!
さあ、天使の羽根を焼き尽くせYEAH!
お前を縛る深紅の鎖なんて、その手でその心で断ち切ってしまえ!
I will send you my ”NEVER ENDING”……Uh……』
倫太郎は好みではないのか、半ば呆れたように肩をすくめる。
「ははっ、ノリはいいが歌詞の意味はさっぱりだな」
「私と倫太郎は趣味違うでしょ。この歌詞、なんか深い意味ありそうじゃない」
弥生が不満をあらわにして頬を膨らませると、二人の会話に割り入ったのは更木だった。
「いや、この歌すげえな。俺は鳥肌もんだぜ! えんじゅは共感度マックスだろ?」
「「「「なんでっ!」」」」
その場にいた皆は同時に突っ込んだ。
すると、えんじゅは困惑した表情をして、自分の頬を指先でちょいちょいと掻いた。
「そっか、お前だけは同意してくれるか」
皆が「更木先生はやっぱり変だ」とひそひそ話をしているその隙に、更木はえんじゅをあやす振りをしつつ背を向けた。
隠しながら、右手の親指と中指を合わせ、えんじゅの眉間に近づける。
そして、ゆでたまごのように無垢なひたいを、中指で軽くぴぃんと弾いた。
痛みに驚き顔をしかめるえんじゅに、更木は唇を近づけ小声で囁く。
「これは俺からの報復な。お前のせいで当面 、人間の世界で生活する羽目になっちまったんだからよ。
……っていっても覚えてねえか」
「ふぇ、ふぇ、ふええええん」
泣き出したえんじゅの声に俊介が振り向く。
「あー、やっぱり独身の男は子供あやすの下手ですね。
えんじゅちゃん、パパのところに戻っておいでー」
そして俊介は半泣きのえんじゅをしっかりと抱きかかえた。えんじゅは振り向いて更木を睨んだ後、俊介の胸の中に顔をうずめた。
更木はにやりと口角を上げ、皆に向けていう。
「じゃあ俺の用事は済んだから、そろそろおいとまするわ。
今度来る時は、えんじゅの分の土産も買ってくるからな。
だから、そいつが全部光ったら連絡くれや」
そう言ってテーブルの中央に飾られている回転木馬のオブジェをびしっと指差す。
「じゃあ皆の衆、またな」と言い残し、更木は颯爽と去っていった。
一同はそろって腑に落ちない顔になる。
「これが全部光るんだって、誰か言ったか?」「さぁ?」
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