最終章 ちいさな天使の、最後の賭け・3


 あたしは回転木馬をテーブルに置き四体の馬と睨み合いを続ける。


 メルはだいぶ傷が癒えたみたいだけど、ミリがつきっきりでいるのは、あたしと顔を合わせるのが気まずいからだろう。


 気づかなければ穏便だったのだろうけれど、気づいてしまった以上、元の関係に戻ることはできない。


 でも、誰かを助けるのは天使の使命だから仕方ないし、二人が気に病んでもあたしが申し訳ない気持ちになるだけだ。二人に無邪気な笑顔が戻ってほしいと思う。


 ……俊介、もしも俊介だったら、こんな時はどうするのかな?


 あたしは心の中にいる俊介に語りかける。高校以来、ずっと会えなかったけれど片時も忘れたことはなかった。


 だからなのか、なんとなくわかる。楽観的な俊介はきっと、奇跡を起こせるって前向きに考えるだろう。


 もしも奇跡が起こせるなら、高校時代に戻って俊介にもう一度会いたい。あの幸せだった日々を渇望してやまない。


 しかも、俊介と協力すれば成宮の悪事を暴けるかもしれない。


 けれど一体、誰に回転木馬を渡せばよいのか。どうすれば、回転木馬を受け取る四人目がその人になるというシナリオを描けるのか。


 そして、あたしが奇跡を起こすためには、願いが溜まった状態の回転木馬を奪い取らなければならない。


 そこであたしは、ひとつのアイデアを思いついた。一本の絹糸のように、細いけれどつややかに輝くインスピレーションだ。


 ――そうだ、まだ生きている過去の自分を標的にすればいい。それも命が潰える直前の。失敗して魂が消滅しても、誰も気づくことはないのだから。


 けれど過去のあたしに回転木馬を渡した場合、想いを伝えるために俊介にそれを託してしまうだろう。過去の自分自身なだけに確信するけれど、それでは後が続かない。


 俊介はあたしに回転木馬を返す役割が最善だ。あたしの想いを知ったら、必ずあたしに渡してくれるからだ。


 そうするとあと二人、思惑通りに回転木馬を繋いでくれる人間が必要だ。


 条件は、信頼できる相手を持たない同級生だ。そんな人間を二人見つけ、かりそめの信頼関係を築かせる。その目的のために、あたしは密かに他人の夢の中を旅し続けた。


 ほとんどの生徒は友人や仲間がいて、多かれ少なかれ高校生活を謳歌しているようだった。


 けれど懸命な捜索の末、ついに見つけることができた。


 計画遂行にこの上なく最適な二人を。


 彼らはどちらも成宮圭吾に嵌められて孤立した同級生だった。


 ひとりはいじめに遭い友人を失った「川端弥生」。もうひとりは悪者扱いされ剣道での活躍の場を失った「松下倫太郎」。


 それも二人は過去に恋人関係で、別れても互いを想い続けている。


 夢の中は悲哀の色で染められていたから、別れた後も互いを心の拠り所にしているのは間違いない。


 ――この二人なら、回転木馬の橋渡しに一役買ってくれるはず。


 松下倫太郎は俊介と仲良くしそうなタイプの人間ではないから、松下倫太郎に回転木馬を託す相手は、過去のあたしが望ましい。彼が川端弥生に繋ぐシナリオが一番しっくりくる。それから最後に俊介だ。


 だからあたしはまず、川端弥生の夢に忍び込み、彼女が過去のあたしと俊介に会えるよう計らった。


 そして、俊介と川端弥生が仲良くなるために過去の自分を橋渡しとして使ったのだ。


 あたしはあえて自分の顔を川端弥生に見せ、謎めいた言葉で誘いをかけ図書室を訪れさせた。


「パンパカパーン! 川端弥生さん、おめでとうございます、あなたは友達をゲットできる権利を手に入れました!」


 案の定、川端弥生は同じ顔をした過去のあたしに気づいて驚き、興味を抱いてくれたようだった。しかも好都合なのか悲しいのか、俊介は川端弥生のことが気になっていたみたいだし、過去のあたしは――川端 弥生に俊介を託すつもりで――足早にその場を後にした。


 そのいじらしい気遣いがなおさら、川端弥生の好奇心を煽ったようだった。


 けれど、川端弥生にその気はなかったようで、俊介とはそれ以上、接触の機会がなかった。


 俊介よりも過去のあたしの方が、放課後にカフェを楽しんだりおしゃべりをしたりと、濃厚な信頼関係を築いてしまっている。これでは本末転倒だ。


 俊介が川端弥生にとって信頼できる人間に昇格するには、まだまだ理解が足りないようだった。


 だからあたしは川端弥生の夢の中で俊介とデートするようにけしかけ、二人の仲を取り持つことにした。この思惑はなかなかいい具合に成功した。


 あたしは並行して松下倫太郎の夢にも忍び込んだ。


「失礼極まりないわこのオトコ! だから彼女に振られるんじゃん。美人なのに残念だったわねぇ」


 彼は好戦的な性格だったから、挑発した方が事が円滑に進むと考えたのは正しかった。疑い深い性格だったけれど、似た顔の女の子を探すように仕向け見つけたことで、あたしの言うことをいとも簡単に信じてくれるようになった。


 頑固な性格なだけに、一度心変わりをすると予想以上に律儀だ。だから、公園で過去のあたしを待つ約束もきっちり果たしてくれそうだ。


 ようやっとこれで一巡りの経路が完成した。過去のあたしから松下倫太郎、川端弥生、そして俊介へと。


 過去のあたしの想いを詰め込んだ回転木馬を手にした俊介は、きっと最後にあたしにそれを届けてくれるはず。そうすれば「奇跡」が完成する。


 すべての条件が揃ったところで、あたしは最後の賭けに出る。


 正体を気づかれないよう、この世界に持ち込んだお面を被り、過去のあたしに接触を試みる。


 死後のあたしが奇跡を起こす回転木馬を渡したとなれば、あたし自身が奇跡をこいねがうがために企んだことだと気づかれてしまうだろう。


 このお面は、あたしが火葬場で焼かれる時に一緒に棺に込めてほしいとお母さんに頼んでおいた、あたしの宝物だ。こんなふうに役に立つなんて思ってもいなかった。


 そして、過去のあたしに接触するのは、意識がなく死の危機の瀕しているタイミングだ。夢の中を経由して回転木馬を手渡し、『目的の日』に時間跳躍するよう誘導するのだ。


 その『目的の日』とは、俊介が川端弥生とデートをする5月8日、まさにその日だ。


 あたしはすべてのお膳立てを整えた後、命が尽きる少し前の、過去のあたしに会いにゆく。


「はじめまして、瀕死のお姉さん。あなた、死んだら天使になれる病気なんでしょ? どお、待ち遠しい?」


 そして回転木馬は走り出した――。


 最大の焦点は、どうすれば過去のあたしが俊介に会う機会を逸し、回転木馬が松下 倫太郎の手に渡るように仕向けられるか、だった。


 あたしの運命を知らない俊介は、先に川端弥生とのデートの予定が入っていれば、そのデートを優先するはずだ。だから川端弥生とのデートは5月8日に設定した。しかも、五年前に戻った過去のあたしに先を越されないよう、朝一番で連絡するように指示した。


 そして死の淵にいる過去のあたしは、俊介に会うために高校三年生の5月8日に戻れたというのに、切り出した誘いを俊介に断られる。それでも回転木馬を手渡すために俊介を追いかける。


 自分自身のことだから、そうするだろうと確信がある。


 うまくいけば、俊介に会うことができず落胆した過去のあたしは、必ず通る帰り道の公園で、あたしが待たせておいた松下 倫太郎に遭遇するはずだ。


 いや、うまくいってくれなければ困るんだ。回転木馬が松下倫太郎に託されなければ、奇跡の可能性は潰えてしまうのだから。


 結果、そこまでは面白いように事が進んだ。回転木馬は松下倫太郎の手に渡ったのだ。


 記憶を乗せる回転木馬の特性によって、事態を理解した松下倫太郎の同情を買うことができ、過去のあたしと松下倫太郎は接点を持った。あたしの経験していない、新たな過去の幕開けだ。


 けれどその先があまりにも長かった。


 松下倫太郎は川端弥生と同じリレーのグループの選手となり、再び距離を縮めるかと思われた。


 焼けぼっくいに火がつかないかと期待したけれど、よそよそしすぎる二人に進展はなかった。


 それどころか、川端弥生が成宮の毒牙にかかり、学校を辞めてしまう事態にまで発展したことで、この計画は失敗だったとあたしは絶望した。


 だけど、時が再び動き出したのは五年後、病室で皆が再会してからだった。意外にも、死を間近にした過去のあたしが三人に会いたいといったことがきっかけとなった。


 五年間、松下倫太郎が保持していた回転木馬は、再会した川端弥生の手に渡り、彼女を経由してついに俊介の手に渡った。その過程では、期せずして成宮の悪事を阻止することもできた。


 そして回転木馬は皆の手によって、過去のあたしに返されたのだ。


 湖面に映る一連の記憶は、塗り替えられた過去を明瞭に映し出していた。


 ――やった、あたしはついに「奇跡」を手にできる。


 あたしはこれから叶えた願いを蓄えた回転木馬を回収しにゆくのだ。


 ――待っていて、あたしの奇跡、そしてあたしの大切な人、


 風見俊介――。


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