RE: 川端弥生・3

 成宮は救いを求める私をいたぶることに恍惚を感じているようだった。


 ――嫌っ、助けてっ!


 すると扉を叩く音がぴたりと止まった。


 数秒の沈黙の後、扉の鍵が突然、ガチャリと鈍い音を立てる。続いてレールの上を引き戸が滑る音がした。


 私の上にのしかかっていた成宮が飛び上がるように身を起こし、私から離れて距離を置いた。


 私は目隠しを外し、入口に目を向ける。すると倫太郎だけでなく、風見くん、それに綾ちゃんの姿もあった。綾ちゃんは手にブレードの長い鍵を握りしめていた。


「成宮、現場は押さえた、覚悟しろよ」


 倫太郎の野太い声が生徒会室に響く。


「生徒会長がこんな酷いことをしていたなんてな、僕もれっきとした証人だぞ、ひざまずいて弥生さんに謝れ!」


 風見くんも倫太郎に続く。はじめて見た険しい顔は、私のことを本気で心配してくれている証拠だ。


「お前ら、どうして鍵を開けられたんだ? ここの鍵はボク以外は手にできないはずだ」


 綾ちゃんが毅然としていう。


「更木先生が内緒でマスターキーを貸してくれたからっ!」


「なんだとっ! あいつはどうして……」


 しかし成宮は一息つき、肩をすくめ、明らかに演技とわかる呆れた仕草をしてみせた。


「……どうして生徒の恋路を邪魔するんだよ。見かけによらず堅苦しい先生なんだな。せっかく川端がボクと楽しみたい、と言ってくれたのに」


「なんだと、この期に及んでしらを切る気かっ!」


 倫太郎は逆上するが、成宮はまるで動じる様子はない。完全にしらを切るつもりのようだ。


「おいおい、まさかボクが強要したとでも? じゃあ川端に訊いてみるか」


 成宮は冷たい視線で私を見下ろして尋ねた。


「なぁ、ボクが誤解されるのは困るんだ。ちゃんと説明してもらえるかな」


 襲われていた、といえば怒髪天の倫太郎は成宮に殴りかかるだろうけれど、そんなことをしたら成宮の思うつぼだ。


 もしも私が成宮の悪行を主張をしても、結局は成宮が教師たちを上手く丸め込み、倫太郎が悪者にされるだけだ。


 成宮が私を脅迫した証拠はどこにもないのだから。


 しかも、この場をやり過ごされたら、今度は風見くんと綾ちゃんが報復を受けるだろう。成宮の腹心は校内のいたるところにいるのだ。そうなると防ぐ手立ては結局、私が犠牲になることしかない。


 成宮は人を追い詰めて、残酷な目に遭わせることにかけては天才的だ。きっとまた成宮のおもちゃとなり、ビデオに映されて――。


 その時、私の中にあるひらめきが舞い降りた。


 ――そうだ、証拠は残っているはず。


 よく思い出すんだ。あの時、成宮に無理やり見せられたの映像を。遠目に固定カメラで撮られた映像があったはずだ。


 つまり、成宮の発した言葉も私にしようとしたことも、すべてが記録されているはずだ。


 おぼろな記憶を頼りに、あるはずのカメラの位置を推測する。


 ――きっとあそこだ。


 壁際には背丈よりも高い本棚が置いてある。並べられた本の中に正方形の箱がひとつ、紛れていることに気づいた。黒い箱で、下部が丸く切り抜かれている。


 ――あれがビデオカメラだ。


 風見くんに視線を送ると、風見くんははっとした表情になった。私が伝えたいことを察知してくれたようだ。


 そこで私は賭けに出る。大きく息を吸い、風見くんに向かって叫ぶ。


「あそこの本棚の黒い箱!」


 そして箱のある方向を指差した。瞬間、成宮の表情が激しく歪む。同時に風見くんは足を踏み出していた。


「なんでわかったんだ!」


 すかさず箱を回収しようとする成宮に私は飛びつく。


「させないっ!」


 成宮が憎悪の眼差しで私をにらみ拳を振り上げる。


 左の頬に激しい衝撃が走り、身体はソファーに跳ね飛ばされた。頭の中がぐらりと揺れ、耳の奥がキーンと鳴いている。


 気を保って顔をあげると、風見くんは襲いかかる成宮の手をひらりとかわし、本棚にある黒い箱を手中に収めていた。


「返せっ!」


 成宮が風見くんを捉え羽交い締めにする。同時に綾ちゃんの声がした。


「俊介、こっち!」


「綾、頼む!」


 風見くんは呼応して綾ちゃんに向かって箱を放り投げる。綾ちゃんはキャッチし、箱から中身を取り出す。


 中身はやはりビデオカメラだ。録画状態を示す赤い光が灯っている。


 ――よしっ、これで成宮のやっていたことを暴ける。


「ちっ、やってくれたなァ――ッ!」


 激怒した成宮は風見くんを蹴り飛ばし部屋の扉に向かう。ビデオカメラを手にした綾ちゃんはすかさず成宮から距離を置いた。


「成宮、もはや逃げても無駄だぞ」


 倫太郎が成宮の背中に呼びかける。


 すると成宮は入口の前でぴたりと足を止め、部屋の鍵を自身でロックした。観念したのだろうか。


 ところが落ち着き払った様子で、奇妙な雰囲気に不安が煽られる。


 成宮はゆらりと部屋の入口脇の壁に歩み寄る。そこにはプロ野球選手となった卒業生から贈呈された木製バットが立てかけてある。


 成宮はうつむいたままバットを手に取り、そして皆の方を振り向いた。


 恐ろしい予感が私の脳裏をよぎる。皆も警戒し緊張の色を浮かべる。


 成宮は俯いたまま、独り言のような小声を発する。


「くっくっく……むかしむかしある生徒会室に、馬鹿な生徒が四匹、紛れ込んできました。


 価値のない彼らは輝かしい未来のある一人の生徒を不条理に追い詰めようとしました。


 けれど困った生徒を助けようとする救世主が現れました……」


 そして顔を上げて見せた成宮の表情に私はぎょっとする。


 到底、人間の顔とは思えなかった。


 目は見開いて血走り、口角は耳元まで裂けたようにつり上がっている。


 悪魔としか思えない歪んだ表情を浮かべた成宮は、嬉々として続ける。


「救世主は言いました。『不要な人間は処分すれば良いのだ』と……」


 成宮は追い詰められ気がふれたようだ。後に続く言葉は大方予想できた。


 危険を察した倫太郎は皆に下がるように指示する。


「ここは俺に任せろ」


 そして携えた竹刀袋から竹刀を取り出した。ことあるごとに持ち歩いている、倫太郎の片腕であり、お守りでもある。


 成宮はかっと目を見開き、雄叫びをあげた。


「そして救世主は四人のクズどもを撲殺しましたァ――ッ!」


 成宮は一縷の迷いすらなく、バットを大きく振りかぶり、倫太郎目がけて襲いかかってきた。


「竹刀でバットに勝てるわけねーだろうがァァァドアホがアアァァ!」


「……保身を図った末、ついに本性を現しやがったな、成宮圭吾」


 倫太郎は竹刀を中段に構え、目を細めた。


 どこまでも研ぎ澄まされた、鋭い刃のような空気を纏っている。


 私が知っている、現役時代の倫太郎が醸す雰囲気そのものだった。


「お前がいなくなりゃ怖いモノナシだアアァァ――! くたばれエェェ――!」


 高々と振り上げたバットは、倫太郎の頭部に向かって振り下ろされる。


 瞬間、倫太郎の刀は一陣の風となる。


「突きィィィ――ッ!」


 バキィ――ン!


 乾いた破裂音が耳をつんざく。


 倫太郎の打突はバットのグリップの直上を正確に打ち抜いていた。バットは突きの衝撃で真っ二つになり、折れた先端部が回転しながら宙に舞い上がり、生徒会室の天井に深々と突き刺さった。


 雌雄は一瞬で決した。成宮は手中にある、重量を失ったバットの残骸に呆然とする。


 倫太郎は隙を見せた成宮に対し、間髪入れず技を繰り出す。


「お前がしたことは絶対に許せねえ、俺たちの怒りを喰らえ――ッ!」


 竹刀の先端が成宮の喉元目がけて突き込まれる。防具を纏っていない状態で喉元に竹刀を突き立てられれば、成宮はただで済むはずがない。


「待ってッ!」


 私は思わず叫ぶ。


 喉元に竹刀が到達する寸前、倫太郎はぴたりと動きを止めた。


 戦意を喪失した成宮は脱力し、その場にへたり込む。


 倫太郎はゆったりと振り向き、炎が滾る瞳でこういう。


「なぜ止める。人のルールで罰するだけじゃ、こいつに対する報復は生ぬるい」


 私は首に巻き付けられた革のベルトをほどいて歩み出、竹刀に手を添えて収めさせた。


「倫太郎、こんな奴のためにあなたの大切な刀を汚す必要なんてないわ。でも、もちろん復讐はさせてもらう」


 それから顔面蒼白で突っ伏している成宮を見おろしていう。


「あのね、あなたにとっては価値がない人間かもしれないけど、私にとってはかけがえのない、大切な友達なの。私自身より大切だと思ってる。


 でもね、みんなも私のことを大切に思ってくれていたから、自分が犠牲になっても、結局は誰もが苦しんじゃうんだよね。私はあなたにそのことを気付かされたわ。


 だからそのお礼に、私からお返しをさせてもらいたいの。私もあなたの言う通りにしたわよね」


「な……何をするつもりだよ。ちょっとだけ、じゃれ合っただけじゃないか。それに撲殺なんて冗談に決まってるだろ……」


 成宮はこの期に及んで命乞いとも取れる言い訳をしながら、最大の武器である爽やかな笑顔を浮かべてみせた。


 もう、おぞましいという感情しか湧いてこない。


「あたしはか弱い女の子だから、倫太郎よりはマシかもね」


 間髪入れず、成宮の胸を蹴り倒す。仰向けになった成宮の腹の上に跨ってにらみを利かせる。


「これ、倫太郎と私の苦しみの、ささやかなお裾分け。ちゃんと受け取ってね」


 できる限りやわらかな口調でそういってから、拳を握りしめる。


 息を止め、成宮の顔面目がけて、ひと思いに振り下ろした。


「げふっ!」


 成宮の頬骨に拳がくい込む。


 とたん、私をかろうじて正常な思考に繋いでいたなにかが、ぶつりと鈍い音を立ててちぎれた。


 理性という、常識の枠組が吹き飛ばされる。まるで糸が切れた凧のように、自由奔放に。


 ずっと抑圧してきた悔しさと、苦しみと、絶望が轟音を響かせて暴発する。


「――返せっ! 私の夢を、青春を、人生をっ! あんたが奪ったもの、全部返せっ! 返せ――ッ!」


 沈みゆく太陽が生徒会室をくすんだ紅色に染め上げている。幻想的な色彩の中、狂ったように叫び、右の頬を、左の頬を、とにかく力の続く限り殴り続ける。


 涙で霞む視界の中、成宮の腫れた顔が揺れうごいていていた。


 いくら殴っても、ひどい心の痛みは和らぐことがない。それでも私はただ、五年前の世界から意識が消えゆくまで、すべての想いをぶつけて、ただひたすらに――。





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