RE: 川端弥生・2


 体育祭が終わった後、グラウンドの片付けをしながら互いの努力を褒め称えあう。勝利した達成感は漂っていた気まずさを一掃した。


 そこで風見くんは思い出したようにいう。


「そういえば成宮って保健室運ばれたけど、大した怪我じゃなかったらしい。まぁ、松下が転ばなくて良かったけどさ」


「ん……まあ、そうだな……」


 倫太郎は奥歯にものが挟まったような返事をする。


 今、ここにいる倫太郎は五年後から現在に時間跳躍している倫太郎のはずだ。そして、そのことを知っているのは私だけだ。


 一方の倫太郎は、私が倫太郎から回転木馬を受け取ってここにいることをまだ知らないはず。


 倫太郎の手を引き、風見くんから距離を置いて小声で話しかける。


「倫太郎、私のことを助けに来てくれたんだよね。五年前から」


 倫太郎ははっとなった。


「事情はさておき、私も五年後から戻って来たんだ、倫太郎から回転木馬を受け取って」


「――なんてことだ、驚いた」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。倫太郎のこんな顔、私は初めて見た。


「それでね、これから倫太郎に助けてもらいたいんだ」


 私が簡潔に事の顛末を話したところ、倫太郎は激しく怒りに打ち震えた。今にも成宮を殴りに行きそうな勢いだったので私は倫太郎をたしなめる。


 倫太郎はすぐさま風見くんに声をかけた。


「おい、風見。お前にお願いがある」


「うん? 松下が僕にお願いなんて明日は雪が降るな」


 風見くんはゆるい感じで返事をしたけれど、倫太郎の真剣な眼差しを見た瞬間、何かを察したようだった。


 倫太郎は風見くんに向かって深々と頭を下げてこういう。


「お前に頼みがある。どうかこいつを、弥生を助けてくれ」


 風見くんは一瞬、目を大きく見開いた。たぶん、「弥生」と呼び捨てにしたことで、私と倫太郎の関係を察したのだろう。かすかに怒りも浮かんでいた。


 そこで私も即座に頭を下げる。


「お願い、どうか私を絶望から救ってほしい――倫太郎に協力してあげて」


 すると私たちの真摯な願いが通じたようで、風見くんは首を縦に振ってくれた。


「わからないけど、まぁわかった。あとで事情はちゃんと説明してくれよな」


「うん、ぜんぶ終わったらちゃんと話すから」


 倫太郎と作戦を立てた後、私は一人、保健室へと向かった。酷いことをされてきただけに、成宮の顔を思い浮かべるだけで不安と恐怖が押し寄せくる。


 ――でも、みんなを信じなくちゃ。そのために倫太郎はこの時代に戻って来てくれたんだから。


 意を決して作戦を遂行する。


 保健室の窓の前に着くと、成宮は私を見つけて、五年前と同じように声をかけてきた。


「ねえねえ、川端にお願いがあるんだけど。さっきので足を痛めちゃったから、生徒会室まで肩貸してほしいんだ」


 私は何も知らないふりをして応対する。


「え? 別にいいわよ」


 相変わらずの爽やかな笑顔の下には、身の毛もよだつような悪魔が隠れている。緊張でつい、返事する顔すらこわばってしまう。


 私の肩にかけた腕でさえ、首に巻きついた大蛇のようで恐怖心を駆り立てられる。


「あいつ……君の元カレはパワーあるな。まぁ、ボクのドジだからしょうがないけど」


「でも、怪我が大したことなくてよかったわ」


 本当は大怪我してもらいたかったと言いたいけれど、邪念はぐっと飲み込んだ。


 生徒会室に着いた。重厚な扉を開き、おそるおそる足を踏み入れる。


「ありがとう、感謝するよ」


 成宮は腹の色とは対照的な白い歯を見せて私の肩から腕を下ろした。


「それじゃあ、お大事にね」


 私が部屋を出ていこうとすると、成宮は私の前に回り込み、入り口の扉の鍵を素早く閉めた。


 やっぱり脚の怪我はフェイクだと再認識する。


「ちょっとだけ話があるんだ。まぁ、座ってくれよ」


 成宮は手をソファーに向けて差し出す。出方をうかがい慎重に腰を据えると、成宮も私の隣にどっかと座った。そしてさっそく本題を切り出した。


「いやいや、君のチームはホント素晴らしかったね。さすがだ」


 そういって口角を上げ私の反応をうかがう。口を閉ざしたままでいると、成宮は笑顔を崩さず続けた。


「まさか別のクラスに友達がいたなんてね。元カレの松下倫太郎くんだけじゃなく、ショッピングモールでデートした風見俊介くん、そして喫茶店で会うおしゃべり友達、鳥海綾ちゃん。


 いやあ、新入りの二人はいい子そうだねぇ」


 ――やっぱり、みんなのことを持ち出してきた。


 これから起きる事態を倫太郎に伝えると、倫太郎は我を忘れんばかりの怒りに打ち震えた。けれど私がたしなめると次第に冷静さを取り戻し、成宮を追い詰めるための作戦を考えてくれた。


「いいか、成宮は相当に狡猾なやつだ。あいつに罪を認めさせるには現場を押さえる必要がある。脅迫されたら従うふりをして、手を出された時に逃げて鍵を開けるんだ。俺たちが扉の外で待機し、そのタイミングで乗り込む」


 成宮と二人きりになるのは恐ろしくもあり嫌悪感も湧いてくる。でも、倫太郎と風見くんは必ず私を助けてくれるから、二人を信じて成宮に立ち向かおうって決心した。


「彼は足が速いみたいだけど、もうスポーツやってないんだろ? 多少怪我したって問題ないよな。


 彼女は華奢だから簡単に壊れそうだけど、脆いものを壊すと、やっぱり粉々になるのかな。ガラスみたいにさ」


 五年前と同じ台詞を口にした成宮は、決して私の首を横には振らせまいと瞳をぎらつかせている。


 思った通り、成宮は五年前――つまりこの日――隙あらば私を辱めるつもりだった。


「……私はどうすればいいの?」


 成宮は待っていましたとばかりにポケットからハチマキを取り出す。


「まずはこれで目隠しをしてごらん」


 私は目的をわかっていながら黙って自分の視界を閉ざす。


 成宮は「いい子だからそのまま動かないように」と猫なで声で囁く。


 じゃらり、と耳にし慣れない金属音が聞こえた。同時に何かが首に巻き付けられた。記憶にない音と展開にぞっとする。


 首に巻かれたものに触れて正体を確かめてみる。どうやら硬い革のような感触だ。


 ――これ、まさか首輪……? どうして?


 首輪には金属の鎖が繋がれていた。


 追い詰められた緊張で全身の肌が粟立ってちりちりと痛む。成宮は吐息混じりの低い声で耳元に話しかけてくる。


「友達のことを持ち出しても妙に落ち着いてるの、なんかおかしいと思ったんだよな。危機感がないっていうか、誰かが助けに来てくれると思っているような雰囲気だよね。だから拘束させてもらったよ」


 ――まさか、私の雰囲気だけで計画を察知していたとは。


 そう思うやいなや、口を手で抑えられ、ソファーの上に押し倒された。


「んっ――!」


 成宮は思った以上に力が強く身動きが取れない。二度目だから恐怖心が助長されて全身が震える。


「確認しておくけど、これは君が望んだことだからね。あとで嫌だったとか言っても通用しないから」


 そしてソファーの上に横たわる私に馬乗りになる。


 諦めたように全身の力を抜くと、成宮は私の口を塞いでいた手を離し、乱暴にジャージを引きあげ、手のひらを下着の中に滑り込ませた。


 まるで悪霊にとりつかれたかのように身の毛がよだつ。たまらず扉の向こうに力の限り叫ぶ。


「倫太郎、助けてっ!」


 するとドアが激しく叩かれ、「開けろっ!」と倫太郎の怒号が聞こえた。けれど押さえつけられ身動きが取れない。


 成宮を突き飛ばしたとしても鎖に繋がれているから扉まで手が届くことはない。


 成宮は怒りを含んだ声をもらす。


「松下か。どうやらボクの予想は当たったようだね。君は部屋を逃げ出してあいつに救いを求めようとしたんだね。


 いやぁ、ボクを嵌めようとするなんて卑怯極まりない」


 あんたの方がよっぽど卑怯だって思ったけれど、言い返すと何をされるかわからない。


「でもね、あの扉、どんな馬鹿力だってこじ開けるのは無理だね。ただ、扉に耳を当てれば声ぐらいは聞こえるよ。たとえば――喘ぎ声とかさ」


 そして成宮はお構いなしにジャージを無理やり脱がそうとする。


 倫太郎は扉を叩きながら私を呼び続ける。耳元では成宮が荒い呼吸で囁いた。


「どうだ、元カレがそばにいるなんて刺激的だろ。じゃあ続けるとするか」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る