鳥海綾――三日前――・1
ここはどこだろう……。
冷たくて薄暗い、ブルーの世界。体がゆらゆらと沈んでいく感覚がある。
あたし、このまま消えていくんだ。死ぬって、こういうことなのかなぁ。
お父さんとお母さん、悲しむだろうな……。
それに……俊介はどうだろう。
ずっと連絡を取っていなかったけれど、ちゃんと勉強、頑張ってるのかな? あたしがいなくなっても大丈夫かな……?
でも、最後に会いたかったなぁ。俊介、弥生さん、それに松下くん。
できることなら、夢でもいいから俊介と恋人みたいなデートをしてみたかったなぁ……。
絶対、病気治して、治ったら病気のこと打ち明ける、って思っていたけど……やっぱり駄目だった。
会えなくなってから、ずっと黙っていたこと、後悔してる。
もう、あきらめしか残っていないと、おぼろな意識で死の香りにたゆたう。
その時だった。
目の前に突然、真っ白な翼を背中に携えた女の子が現れた。ゆらゆらと揺れるようにたたずんでいる。
背はあたしと同じくらいで、お面をかぶっていて顔が見えない。あたしが小学生の頃に 流行ったアニメのキャラクターのお面だ。
看護師さんを目指すドジっ子が、特殊能力で病気を引き起こす悪魔を退治する「マジカル☆プリセプティー」というアニメのヒロインだ。ぱっちりした目の部分だけ穴が開いていて、その奥で生きた瞳が覗いている。
「誰?」
お面をかぶった女の子は不自然に肩で荒い息をしていた。乱れた息を整えてから、あたしに向かって語り始める。
「はじめまして、瀕死のお姉さん。あなた、死んだら天使になれる病気なんでしょ? どお、待ち遠しい?」
出会い頭から気遣いのまるでない、ストレートな言動にあたしは困惑する。しかも声色があたしと一緒だ。天使って、みんなそうなのかなって思う。
本当に天使なら、あの世からのお迎えなのか、それとも死期を迎えて現れる幻覚なのか。あたしは半ばやけっぱちで答える。
「いいことなんて全然ないよ。だってあたし、願いが叶ってないもん」
「うふふ、そうなんだ。なんかカワイソウ」
言いながらもお面の下ではほくそ笑んでいるようだ。不敵な雰囲気にあたしは警戒して心の距離を置いて構える。
すると天使の女の子は怪しげな提案をしてきた。
「そしたらね、一度だけ願いを叶えるキャンペーンやってるんだけど、参加する?」
天使が死ぬ前に願いを叶える物語ってありそうだけど、はたして本当だろうか?
あたしは疑いつつも、まずはキャンペーンとやらの詳細について尋ねてみることにした。天使が皆、善良だとは限らないだろうから、慎重に出方を探るためだ。
天使は両手のひらをあたしの目の前に差し出す。
「みてみて、これを使うのよ」
そう言うとドライアイスのような湯煙が手の上に舞い上がり、そして消えた。かわりに手のひらの上にひとつ、オブジェが現れた。
鈍く銀白色に光る回転木馬だ。四体の馬が天井の傘からワイヤーで吊るされている。
「これ、受け取ってね」
強引に差し出すので、おそるおそる手にとってみると、ずっしりとした重みがある。
「純銀でできてるんだよ、すごいでしょ。使い方はねー」
もうすでに、あたしが承諾したような言い方だ。
「ちょ、ちょっと待って。これ、どういうことなの」
「へへぇ~、これはね、過去に戻って願いを叶えることができるの。天使の所有物なのよ」
「かっ、過去に……?」
夢だからなんでもありなのかな、とまるで映画を見ているような気持ちになる。
「そっ、しかもね、叶った願いは回転木馬に蓄えられて、四つ溜まると『奇跡』が起こせるんだって」
「じゃあ、四回、願いが叶えられるの?」
天使はお面の唇の前に人差し指を立て、ちっちっと舌打ちをする。
「そんなポイントカードみたいな虫のいい話はないよ。この回転木馬は一度使ったら、次は誰かに渡さなければいけないから。でもね――」
それから天使は、やり直せる時間が日の出から日没であること、次の人に渡すのは過去の世界でも、戻ってからでもいいけれど、心から信頼できる人しか受け取れないということ、以降に渡す相手は指示できないこと、それにこの回転木馬は「想い」を伝え、大切な人を繋いでいくもの、っていうことを教えてくれた。
「――人間ってたいてい相手の考えていることが理解できていないから、信頼している人が、全然思いもしない人を信頼していたり、その逆だったりするんだって。
期待してもたいてい、回転木馬はどこかにいってしまう。願いが溜まった状態の回転木馬が手元に戻ってきたことは今までに一度もないの。
それに過去に戻ったって、自分だけの力で過去を塗り替えられるわけじゃない。信頼できる仲間の協力が必要なのよ」
天使は願いを叶えると言ったのに、失敗する理由について力説している。なにかおかしい。
「やけに詳しく話すのね、まるであたしにどうしても難題を成功してもらいたいみたい」
「えっ、そっ、そうかしら。あたし、親切なだけだよ~」
そういって指先でお面の頬をちょいちょいと掻いた。
「それに『天使の所有物』っていうけれど、言い方からすると、あなたの持ち物じゃないのよね、これ。本当は誰のものなの?」
「うっ……」
天使は返事に窮する。この天使にはなにかしらの言えない事情があるんだな、と想像できたけれど、訊いて答えてもらえるものではないだろう。
渡す相手を指定できないルールだと考えると、まるで渡す相手を言わずに誘導しているようにも思える。
「とっ、と・に・か・く、あなたは一度、過去に戻れます! そして信頼できる相手にこれを渡すのです!」
「過去に戻る……って、でもいつに……」
あたしが迷いを見せると、天使はすかさず言葉を重ねる。
「あなたの場合は決まってるんだ。五月八日、俊……風見俊介は暇してるから、ぜひとも誘ってデートしてきてね。きっとうまくいくよ。がんばって~」
日付けも行動も決まっている、というのには疑問が浮かんだけど、三年生がまだ受験勉強に必死になっていない早苗月の日曜日。俊介も都合が良いんだろうな、と信じられる日だったから、あたしは納得できた。
夢の中でも、俊介に再会することはあたしの願いでもある。何もしなければもう二度と俊介には会えないのだから、迷いを抱くことはなかった。
「いいわ、あなたの言う通りにする」
「そうこなくっちゃ!」
天使の指示を仰ぎ、回転木馬を手のひらに乗せて目の前に掲げ、心の中で唱える。
――回転木馬よ、あたしの過去を映し出して。
すると手のひらの上で回転木馬が回り始め、まばゆい光をあたりに投影する。光は増大し、過去の記憶を映し出した。
「これが……天使の所有物の力……?」
「そっ、掴んだ日が現在と繋がるんだよん」
時空を超える、という未体験の入口に立ち武者震いする。
「あの映像だから間違えないで」
あたしは天使にいわれるままに、パジャマ姿でごろ寝する自分の姿を狙った。
その画像が目の前を通り過ぎようとした瞬間に――
「えいっ!」
――確かに、掴み取った。
ぱああっと眩しい光が飛散し、あたしの意識は光の中に引き込まれてゆく。
――なっ、何これっ!
そして何かに無理やり押し込まれていくような、奇妙な感覚に包まれた。
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