川端弥生――高校二年の春から――・4
☆
「そしたらね、今日、私とデートしてほしいのっ!」
勢いよく電話越しに切り出した私の誘いに、風見くんはためらいなく乗ってくれた。
ショッピングモールの最寄りの駅で待ち合わせをしてから、二人で並んでショッピングモールへと向かう。
私はアパレルショップを、風見くんはスポーツショップを眺めて、ファーストフード店で食事をとり、それから青空カフェでお目当ての幻のプリンを食べる。
風見くんは、短距離走で好成績を収めたこと、生物学に興味があること、それに綾ちゃんと幼馴染でいる理由も話してくれた。
本当は風見くんから見た綾ちゃんがどんな子なのか、そのことに興味があったけれど、風見くんは綾ちゃんの話題をほとんど持ち出さなかった。
風見くんは真面目と冗談が入れ替わり立ち替わりで、一緒にいると新鮮で楽しいと思える男の子だった。ごく自然にコーデを褒めてくれたり、怒ったふりなのをわかっていながらプリンを奢ってくれたり(というわけで景品ゲット)、奇跡的に遭遇した駆け出しのバンド、「ラストプラネット」のゲリラライブでは一緒にノリノリで踊ってくれたり。
時々、視線が私の胸元に移ったりするけど、私は心の中でそれくらい見てもいいよ、って許してる。視線すら正直すぎるから、むしろ好感が持てちゃうんだもの。
男女の間に友情っていうものがあるのなら、こんな男の子と仲良くなりたい、そう思える人だった。
どこにでもいそうなのに、どこか一風変わった雰囲気を醸している風見くん。それは多分、風見くんの胸の中には、いつも綾ちゃんに対する情愛みたいなものがあって、笑ったり怒ったりしながら人を慈しむ優しさをよく知っているからだ、って私は感じていた。
風見くんは自分でそのことに気づいているかどうかわからないけれど。
だから私の風見くんに対する想いは、綾ちゃんといつまでも素敵な関係でいて欲しいという、憧憬にも似た願いだったんだよ。
風見くんは受験に向けて真剣に勉強に取り組むようになったから、私は邪魔しちゃいけないと思って連絡を控えるようにしていた。
綾ちゃんに風見くんとのデートのことを話した時、にこにこしながら聞いてくれて、良かったね、また誘ってあげてねと言っていたけれど、無理して笑ってるような気がした。
だから私は綾ちゃんに遠慮して、あけっぴろげに風見くんを誘ったりはしないことにした。
風見くんがリレーの選手として推薦してくれた時は、正直嬉しかった。誰にも疑われず風見くんと同じ時間を過ごすことができるのはナイスアイディアだ。けれどあと二人の代表選手の名前を聞いた時は、なんでこのメンバーなのよっ、と思い閉口した。
もう二度と顔を合わせることはないと思っていた元彼の倫太郎、秘密の友達の綾ちゃん、そして綾ちゃんの幼馴染で、私を推薦した風見くん。
練習の顔合わせの時、私は倫太郎と視線を合わせることができなかった。
気を緩めればすぐに視界が滲むのに、その姿を目で追ってしまう。私がずっと応援していた、その凛とした背中を。
胸が早鐘を打つのは運動したせいだけじゃない。倫太郎の姿を見てしまうと、私は今でも倫太郎のことを好きなのだと、まざまざと自覚させられる。自分から別れを言い出したのに、未練があるのは私の方みたい。胸の中が火鉢のように、熱を持ってくすぶっている。
それから風見くんと組んで難しいバトンパスを教えてもらい、何度も何度も練習する。風見くんはテンポが良くて教えるのも上手だ。倫太郎を意識しすぎる私の不安定な気持ちをたしなめてくれるみたい。
そして、おおむね成功させられるようなったところで休憩を取る。
綾ちゃんと倫太郎を眺めていると、不思議と息が合っていて旧知の仲のようにも見えた。全然、接点はなさそうな二人なのに。
疑問に思い風見くんに尋ねてみる。
「ねえ、あの二人って前から知り合いだったのかなぁ」
「いや、松下のことは話に持ち出したことがなかったんだけど、五月にはすでに親しい間柄だったみたいだ。僕に内緒にしていたんだと思う……」
――えっ?
私の胸中に疑念が沸き起こる。綾ちゃんは私に倫太郎のことを一度たりとも話したことはないし、綾ちゃんは自分のことをほとんど話さない。話したがらないようにも思えた。
まさか綾ちゃんは、倫太郎と……?
だとすれば、私に接触してきた理由は元カノがどんな女か知りたいから……?
友達になるなんて、上辺だけの綺麗ごと……?
嘘だ、あの子はそんな他人を騙すような汚い人間のはずがない。
でも、もしもすべてが演技だったとしたら……
「ねぇ、その後、綾の夢って見たの?」
風見くんは綾ちゃんのことを尋ねてきて、私の心臓は跳ね上がった。驚きを隠しつつ小さく首を横に振る。
「ううん、全然出てこないなぁ。せっかく風見くんとデートしたのにね」
やり過ごしながらも、ふたつの矛盾した憶測が胸中で音を立ててぶつかり合う。結論にたどり着けない苛立ちのせいで、私は無意識にあざとい言葉を口にしていた。
「でもさ風見くん、綾ちゃんは幼馴染みなんでしょ、ちゃんと大切にしないとダメだよ」
私の中には確かに、倫太郎と綾ちゃんの仲を、風見くんに邪魔させようとしている自分がいた。
口にしてから後悔の念が荒波のように押し寄せてくる。こんなみっともない私は、やっぱり倫太郎には不釣り合いなんだ、と。
視界に映る倫太郎と私の間の距離が、すごく、すごく遠いものに思えてきた。
寂しい、寂しくてたまらない。倫太郎のそばにいられないことが。他の女子に心を奪われてしまうことが。そして自分がひねくれてしまうことが。
すがるように風見くんに行き場のない気持ちをもらす。
「……風見くん、私ね、大切だって思える人ができたら、そう思えた気持ちはずっと消えないと思うよ。
別れたり会えなくなったりしても。
一緒にいる時ってさ、それが当たり前だって思ってるけど、いなくなったらどんなに大切だったかわかって、寂しくて仕方なくなるよ」
そう言いながら、私は自覚していた。
私は倫太郎に恋をした瞬間から、眩い虹の中にいたんだ。
今では消えてしまった、どんな色彩よりも鮮やかな虹の中に――
その日、綾ちゃんと校舎の裏で待ち合わせをした。練習が終わる頃には辺りは薄暗くなっていたし、誰も通らない裏道だから、見られる心配はまずない。
綾ちゃんは疲れたから今日は早く帰りたいと言ったけれど無理をいって引き止めた。
このくすぶる気持ちのままでは、きっと夜も眠れないだろうから。
「今日はお疲れ様……でも、一体どうしたの」
綾ちゃんは私に気遣うように尋ねてきた。本心なのか演技なのか、ウィスパーボイスの声色では区別しようがない。私はすぐさま切り出す。
「ねえ、風見くんが言ってたんだけど、綾ちゃんは倫太郎と親しい間柄なの?」
五月には親しい仲だったというから、少なくとも四ヶ月前には知り合っていることになる。
「えっ、倫太郎? ……あっ、松下くんのことね。初めて話をしたのは本当にごく最近だよ、先週だったかな」
綾ちゃんはあっけらかんと答えた。
「おかしいわ。だって綾ちゃんは倫太郎に指名されたらしいじゃない」
「うーん、松下くんがどうしてあたしを指名したのか、よくわからないんだ。ただ、更木先生から言われたから断れなくて……」
綾ちゃんの表情から察しようとしても、薄暗くて変化が読み取れない。
「あたしね、今日は疲れちゃったからもう帰りたいんだ……お願いだから、続きは明日にして帰ろうよ」
そう言って綾ちゃんは踵を返した。
「待ってよっ!」
慌てて制服の裾を掴む。ごまかしているようにも思えたし、今、時間を与えたら説得力のある言い訳を考えそうだと思ったからだ。
引っ張られた制服のシャツが乱れ、腰部の肌があらわになった。
「きゃっ!」
綾ちゃんは小さな悲鳴を上げて身を引いた。拒絶の理由はその肌にあった。
昼間はまったく気づかなかった。明るい場所では目立たないのかもしれない。
綾ちゃんの腰回りの肌は、うっすらとだけど、パステルイエローの光を放っていたのだ。綾ちゃんの呼吸に合わせて淡い色彩が変動する。
初めて見たけれど、その色彩が何を意味するのか知らない人はいないくらい有名な難病の症状。
「あ……綾ちゃん……これ、『エンジェル・シンドローム』じゃ……」
綾ちゃんは慌ててシャツを取り繕い、動揺した様子でこういう。
「お願い、このことは絶対、俊介には内緒にしていてほしいの」
悲痛なウィスパーボイスだった。
「ご……ごめん、私、全然知らなくて……」
混乱する頭の中で、私は自分が何もわかっていなかったことに、ようやっと気付いた。
綾ちゃんは風見くんのことを好きなのに、別れる運命しかないから、風見くんを私に託そうとしていたんだ。
――この子は、永く生きることができない。
そんな綾ちゃんを疑った自分を後悔せずにはいられない。嫉妬が生んだ誤解は深い罪だ。激しい呵責の念に襲われる。
その場に崩れるように跪いて顔を伏した。ひたいを床のコンクリートに擦り付ける。
「絶対……言わないからッ! だから許してっ!」
綾ちゃんは私の目の前にしゃがみこみ、そっと手を取ってくれた。
「弥生さん、あたしは大丈夫だから。一緒にリレー頑張ろうね。いい思い出、作ろうね。それから、もうしばらく友達でいてくれる?」
もうしばらく、っていうフレーズは、すでに運命の行方を悟っているようだった。
綾ちゃんは優しくて、綺麗で、哀しい。夢の中の天使よりも、ずっと天使らしい子だ。
私は顔を上げられないまま、ひたすら、ただひたすら頷くしかできなかった。
――私、綾ちゃんのためなら何でもするからっ!
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