川端弥生――高校二年の春から――・3
翌日、帰宅途中の混雑した電車の中で突然、制服の裾がちょんちょんと引っ張られた。その方向に視線を向けると、綾ちゃんが至近距離で私を見上げ、神妙な顔をしていたのだ。
秘密を探ろうとしていた相手が自ら接触してきたことに驚いて小さく飛び上がる。綾ちゃんは小声でいう。
「ねえ、お願いがあるんですけど、この後、時間ありますか」
周りには同じ学校の生徒の目があるから、私は黙って首を縦に振る。綾ちゃんは次の駅で降りたので、私も続いて降り、追って改札口を出た。距離を取って綾ちゃんについてゆく。
人通りの少ない細道に入り、こじんまりとした喫茶店の扉の前で足が止まる。レンガ造りでアイビーが絡むエントランスは高校生にはそぐわない、大人の雰囲気を醸し出している。
綾ちゃんはその扉を指差し、私に入るように目で指図した。私は周りに誰もいないことを確認しすぐさま立ち入る。
カランと軽妙なドアチャイムの音がし、「いらっしゃいませ」と低くて渋い声が響く。出迎えたマスターは綾ちゃんと私をテーブルに案内する。
喫茶店の中にはアンティークの小物がところどころに飾られていて趣がある。壁に掛けられたオレンジのブラケットが幻想的な雰囲気を醸している。
私が店内を見回していると、綾ちゃんは私に話しかけてきた。
「突然でごめんなさい」
そしてぺこりと頭を垂れた。礼儀正しく、しかも思いつめた雰囲気だ。
「素敵なお店ね。ご用は何かしら」
私の方が用件ありありだけど、慎重に出方をうかがう。目の前の幼く見える同級生は、きっと秘密を抱えている。
「このお店、以前に俊介と一度、来たことがあるんです。子供っぽいあたしには不似合いかなって思いますけど」
「俊介――ああ、風見くんね。彼、仲良さそうだけど、綾ちゃんの恋人?」
本当はそうじゃないって知っているけれど、反応をうかがうためにわざとけしかける。
「いっ、いえ、違います。この前、俊介が川端さんに言いましたけど、ただの幼馴染ですってば!」
頬を赤らめて両手を振り慌てて弁明する。照れた様子はとても可愛らしい。つい、笑みがこぼれる。久しぶりに笑った気がした。
「弥生、でいいわよ。それに同級生に敬語なんてよくないよ」
するとうつむいてもじもじする。恥じらいがあり、あの天使とは性格が真逆と言ってもいいくらいだ。
それから綾ちゃんは決心を固めたように勢いよく顔を上げ、面と向かって質問してきた。
「あっ、あの……弥生さんって、今お付き合いしてる人いるんですか」
「え……?」
一瞬、倫太郎のことが脳裏に浮かんだけど、今はもう別れている。でも、どうしてそんな質問を? まさか……この子、百合?
妙な想像が働き答えに窮すると綾ちゃんの表情が曇りだす。
「やっぱりそうですよね。弥生さん美人だし……、俊介、知ったらがっかりするよなぁ……」
へ? それって……。
「もしかしたら綾ちゃん、風見くんと私に仲良くなって欲しかったの?」
うつむいたまま、こくんと首を縦に振る。
「なぁんだ、驚いたぁ~、私、ちょっと恥ずかしいっ」
自分の誤解につい、吹き出してしまった。
その後、私は綾ちゃんと連絡を取り合い、たびたび喫茶店で会うようになる。
私は綾ちゃんに危害が加わらないよう、いじめに逢っていることを話した上で、学校では絶対に他人のふりをしてねとお願いした。
綾ちゃんは同情するだけでなく、事情を理解し「あたしの友達になってくれる?」と、自分から言い出してくれた。
私は綾ちゃんの気遣いが嬉しくて、つい涙ぐんでしまい、ごまかすために「風見くんが知ったら驚くよねー」といって大笑いのふりをする。
それからの私は、風見くんと友達になったこととか、将来はデザイナーを目指しているんだとか、生徒会長は実は嫌な奴だとか、話したいことがとめどもなく溢れてきて、ずっと綾ちゃんに聞いてもらっていた。綾ちゃんは頷きながら傾聴してくれていた。
倫太郎のことは思い出すだけで泣いてしまいそうだったから、決して口にはしなかったけれど。
一方の綾ちゃんは自分のことはあまり話さず、風見くんの話題ばかりだ。
彼は楽観的で何でもすぐに行動を起こす好奇心旺盛な子で、でも悪いことは許さない正義感もあるんだって。
しょっちゅう意味のわからない褒め言葉をひらめくこととか、甘党でプリンが好きだとか、短距離走が得意で県大会に出場したことがあることも、綾ちゃんから教えてもらった。
嬉しそうに思い出しながら話していて、その時の綾ちゃんはまるで夢見る少女のようにきらきらとした表情だった。
純朴で心の綺麗な優しい子、それでいてしっかり者。私の綾ちゃんに対する印象は絶賛ものだった。
話を聞いていると、綾ちゃんと風見くんの関係は色鮮やかで、まるで虹を掲げたように眩いもののように思える。
だから私が疑問を抱くのは自然なことだった。
どうして綾ちゃんが私と風見くんの仲を取り持つのだろうか、と。
☆
「むふふ~、うまく友達になれたみたいだね」
綾ちゃん似の天使は再び夢に現れ、しかもリアルタイムで状況を把握しているような口ぶりだ。
最初は綾ちゃんが「天使に似た綾ちゃん」だったけれど、綾ちゃんは私の大切な友達になったから、この子には「綾ちゃん似の天使」という降格処分を心の中で下していた。
「でもさ、まだ風見俊介とはあんまり仲良くないよね」
図書室で友達になるとは言ったけれど、それ以来風見くんには連絡を取っていない。
「天使さん、あなたが出てきたらまた連絡することになってたの。だから、仲が深まらないのは夢に出てこなかったあなたのせいだよ」
「ぶー、人のせいにするなんてよくないよ、そんなことじゃデザイナーの夢なんて叶いっこないぞ!」
うっ、天使は痛いところを突いてくる。
それにしても、どうしてこうも私のことに詳しいのだろうか。やっぱり直接、人間の意識に干渉できる能力を持っているのだろうか。
たくさんの疑問符を頭の上に浮かべる私に向かって、綾ちゃん似の天使は身勝手に続ける。
「じゃあ問題です。今日、起きたら天気はどうでしょうか」
天使は突然、脈絡のない質問をしてきた。私は一応、記憶の中から答えをひねり出す。
「天気予報では晴れのはずだけど……」
「ビンゴ!」
立てた人差し指を私の鼻先に突き出し、嬉々としていう。
「じゃあ、これからあなたがすることは、風見俊介とデートすることです! 誰にも先を越されないように、目覚めたら秒で誘ってね!
あっ、前回お話しした『景品』はね、風見俊介におねだりすれば何か奢ってくれるってことだよ、彼は人がいいからね!」
天使の言うことは奇妙だった。デートに誘うスピード勝負? だとすれば一体誰と勝負をしてるのか? それにこの子は風見くんの性格をよく理解しているのだろうか?
思い余った私は意を決して天使に尋ねる。
「……あなたは一体どういう存在なの? ちゃんと教えてよ。納得いかないことばかりじゃない」
天使は困惑したような表情で、指先で頬をちょいちょいと掻いた。
「うーん、それは言えないかな……」
「それを教えてくれれば、ちゃんとデートに誘うって約束する。でも言わなければしない」
私が頑なな態度を取ると、天使はすっと目を細め、口元を引き結んだ。覚悟めいたようで、これまでとは空気感がまるで違っていた。いや、今までが演技だったのかもしれない。
間があってから、雪解けのようなウィスパーボイスがこぼれる。
「――あたしは『概念』だよ。どこにもいないけれど、どこにでもあるもの。それだけだよ」
――概念……?
天使はそれ以上、何も言わなかった。夢から覚めた私が指示通りの行動を起こすのか、心配しているようにも思えた。
「大丈夫、ちゃんと約束は守るから」
そういうと、天使はようやっと小さなため息をついて、安心したような顔になった。
それが天使に会った最後の夢だった――。
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