川端弥生――高校二年の春から――・2
それから間もなく、あの恐喝事件が生徒会のホームページで公表された。
――何かの間違いだ、倫太郎がそんなあくどい事をするはずがない。
私はいてもたってもいられなくなった。生徒会室に向かい、扉を激しく開け放ち、勢いそのままに乗り込んでいく。
豪勢な漆塗りのデスクに鎮座し頬杖をついていた成宮は、面白そうに目の前の私を見上げた。
「なんで倫太郎がブラックリストに載っているのよ!」
私は両手でテーブルを一発、叩いて威嚇する。けれど成宮は片側の口角を上げただけで身動きひとつしない。
「レディーにしては無作法だね。美人が台無しだよ」
「すぐに取り消しなさい!」
「んん? この情報はボクじゃなくて、被害者が自分でそう言ったものなんだ。だから僕が撤回する理由なんてどこにもナーイ」
そう言って両手のひらを天井に向け、肩をすくめて見せた。
「まぁ、まずは松下倫太郎に直接聞いてみることだね。ただね、君が来てくれてちょうどよかった。別件なんだけど、ボクも君に用があるんだ」
「私に……用……?」
成宮の薄笑いの表情からすると悪い予感しかしない。成宮はA4サイズのプリントを引き出しから取り出し、テーブルの上に提示した。名簿のように人名がリストアップされている。
「これさぁ、ボクの親父が役員やってる建設会社の社員の、とある候補者なんだけど」
「あら、お父上は政治家さんじゃなかったかしら」
皮肉と反論を込めて尋ねる。
「ああ、何も知らないんだな。世の中は話のわかる人間同士が協力しているものなんだよ」
明確にはわからないけれど、会社にとって政治家が役員として着任してくれるのは都合良いことなのだろう。
「それが私に関係があるの?」
成宮の意図がわからず尋ねると、成宮はプリントの上に指を沿わせ、一点を差し示す。私も指先に目を向けると、そこには『松下銀次』と書かれている。
私はまさかと思い、背筋が凍りつく。浮かんだ悪い予感は的を射抜いていた。
「そっ、リストラの候補者なんだ。君の彼氏のお父さん……だよね?」
とたん、頭の中が真っ白になる。ただ、成宮の企みだけが思考を支配する。
「
成宮は狡猾で、卑怯で、利用できるものは何でも利用する、そんな人間だ。他人を追い詰めるのに罪悪感なんて微塵もないんだ。
「これ以上、彼を苦しめたくないだろう? あと、このことは彼には内緒だよ」
私がそばにいると、倫太郎に辛い思いをさせてしまう。それだけじゃない、他の人も巻き込んでしまうんだ。
私は、誰かに頼ったり、守ってもらおうなんて考えちゃいけなかったんだ。
……世の中に悪い人なんていない、そんなのやっぱり嘘だった。
権力に対して抵抗する術を私は持っていない。それは倫太郎だって同じこと。
だから唇を震わせながらも、絶対にしたくなかった決意をこぼすしかなかった。
「……必ず別れるわ」
「その選択、僕は正解だと思うよ。君の決意は美しい」
成宮はそう言って、トレードマークである爽やかな作り笑いを浮かべてみせた。
それからしばらく、倫太郎に電話をかけようとしては思いとどまる日々を過ごしていた。
結局、覚悟を決めて電話をし、尋ねたところ、倫太郎は迷わず脅迫なんかしていないと言ってくれた。
胸のつかえが取れたと同時に、私は心を頑なにして決心を固めた。
どうせ私から無理を言ってお願いしたお付き合いだ。倫太郎にとっては、私がいなくても、きっと何も変わることはない。
「ごめん、――私と別れてほしいんだ」
――苦しい。告白する時は喉から心臓が飛び出しそうだったけれど、この苦しさはまるで心臓を止めてしまいそう。自分から切り出したっていうのに、心の中のやわらかい場所をえぐりとられるような苦しさだ。
『わかった。俺もそれで構わない。これ以上は迷惑をかけちまう』
――ううん、迷惑をかけちゃったのは私の方。どんなに謝っても謝りきれっこない。
「今までありがとう。……それからあんまり無茶しないでね」
『俺の方こそ、今まで付き合ってくれて、本当に申し訳ない』
――楽しかった。幸せだった。それに夢のような時間だった。本当はこんな別れ方をする私のことを怒ってほしいよ。
「なんで倫太郎が謝るのよ」
『気にするな、お前はいい女だ。だから俺なんかよりずっといい相手を見つけろよ、じゃあな』
その言葉を最後に、彼は潔く電話を切った。
――倫太郎よりいい相手なんて、世界中のどこにもいるわけないじゃないの……
でも、これでよかったんだ。彼にはこれ以上、迷惑はかけられないから。
握っていた携帯電話がぽろっと手のひらからこぼれ落ちた。同時にはらはらと涙もこぼれる。
――やっぱり、悲しいよ。悲しくないはず、ないじゃない……
泣いても泣いても枯れない涙が枕に染み込んでいく。布団をかぶって、小さくなって叫んでも、胸を潰すような苦しさはちっとも和らげられない。
それからの私は、毎夜、一人泣いて、泣き疲れて眠るばかりだった。こんなにも倫太郎の存在に心を支えてもらっていたなんて、自分でも気づいていなかった。
☆
そして傷が癒えないまま三年生へと進級した。その頃に私は不思議な夢を見た。
最初は馬鹿にされている感じ、って思ったけれど、振り返ってみれば、すごく不思議な体験だった。
「パンパカパーン! 川端弥生さん、おめでとうございます、あなたは友達をゲットできる権利を手に入れました!」
夢の中に現れた女の子は、くりっとした瞳とアヒル口の可愛らしい外見で、しかも背中に鳥の羽のような白い翼を携えていた。天使のイメージ、そのものだった。
それなのにイベントの司会者みたいに大げさなボディアクションで心当たりのない当選のアナウンス、それも友達ができるなんて、どういうこと?
これも、悪夢の続きなのかな?
一瞬、不安が煽られたけれど、囁くような優しい声色が安心感を抱かせるし、私を直視する瞳はビー玉のように綺麗だったから、信じられる相手だろうと思えた。
「ありがとう天使さん、でも私は友達なんて、もう作るつもりないの」
夢の中だけど、自分の意思を明確に反映した返事ができた。
「ええっ、そんなこと言わないでよ。せっかく新しい友達、一人じゃないのに。ワンセットなんだよ!」
「……ワンセット?」
この天使、どうやらおもしろおかしく説明したいらしい。
「うん、あなたの友達になってくれるのは男の子と女の子。なんと、月城高校の同級生だよ。今は知らない人だから、見つけ出して自分から話しかけてね。
それじゃあヒントを言うね」
「あっ、う、うん……」
天使は私がためらうのもお構いなしに自分のペースで話を進める。
「まず、二人はよく図書室で一緒に勉強してる、あなたの同級生なんだ。
女の子の名前は『鳥海綾』。
そして、男の子は『風見俊介』。
二人とも、いい奴だからねっ!」
天使の女の子は自信満々にそう言ってウインクをしてみせた。あざといというよりも、受け入れてもらいたいという、売れない芸人のような必死さが垣間見える。
「でも、勉強している生徒なんていっぱいいるし、手当たり次第に名前聞く訳にもいかないし……目印はあるの?」
「大丈夫、大丈夫。女の子は見たらすぐわかるよ」
「すぐにわかる……?」
見た目で目的の人かどうかわかるって、どういうことだろう。ジャージ姿でゼッケンでも貼ってあるのだろうか。
「へへっ、謎めいてるくらいの方が退屈なあなたにちょうどいいと思って。ちなみに男の子の方は、いつも女の子のそばにいる、見た目はあんまり特徴のない子かな」
天使は悪戯っぽい笑顔で言うけれど、私には天使が友達を紹介する理由がまったくわからない。
「でも、私はなるべく人にかかわらないようにしてるんだ」
「へぇ、もったいない。どうしてなのかなぁ~」
まるでわかっていながら訊いているようにも思えるけれど、引き下がってくれるように理由を説明することにした。
「だって、私とかかわり合いを持つと、みんな不幸になってゆくもの。だからもう、友達はいらない」
友達ができても、いじめに巻き込まれるか、成宮に目をつけられるか、悪いことしか思い浮かばないというと、天使は眉根を寄せて言い返してくる。
「むぅ、でも仲良くなるといいことあると思うし、友達になってくれないと困るんだよね。じゃあ景品を奮発するしかないか……」
「景品を奮発?」
「うん、あなたにとってはとっても魅力的なことかな。待っててねー♪」
そう言って天使は羽をふわりと広げ、私が呼び止めるのも構わず夢の中を飛び立っていった。
――ふわぁ、これで本当に二人が同級生に存在したら、ちょっとファンタジーかもね。
半信半疑のままだったけれど、放課後に図書館へ足を運ぶことにした。本を探すふりをして生徒を物色し、天使が示唆したそれらしき人がいないか確かめる。
すると昨夜、夢で見た天使の囁き声に似た声が耳に届いた。
声の源はおしゃべりをしている一組の男女の、女の子の方からだった。小柄な女の子でうつむいていたから顔が見えなかったけれど、その顔を上げたとたん、私は驚き息をのんだ――
――夢の中の天使の女の子、そっくりだ。
心の底から驚く、ってこういうことを言うんだ。
私は思わず声をあげ、その女の子の元に駆け寄った。
そして名前を尋ねると、まさかの「鳥海綾」、夢の中の天使の発言と一致していた。
――私って勘が鋭いとは思っていたけど、予知能力があるのかもしれない。
しかも隣にいる男の子の名前まで言い当てていた。まさかまさかの「風見俊介」!
ただ、天使に似た女の子はまるで事情を知らないようで、素っ頓狂な顔をして私を見上げているし、私は彼女の全身を舐め回すように見てみたけれど、制服の下に翼を隠している気配はない。
しかも意外なことに真面目そうで、おちゃらけた感じはどこにもなかった。
この目の前にいる綾ちゃんが昨夜の天使と同一人物とは、さすがに思えない。
だから私は夢の話を持ち出して綾ちゃんの反応をうかがおうと思ったけれど、綾ちゃんは話をほとんど聞くことなく、早々にその場を去ってしまった。
――怪しい、何かある。
綾ちゃんという不思議な女の子に興味が湧いたけれど、直接本人に尋ねても、秘密の全貌を教えてくれるなんて思えない。
そこで、まずは外堀りから埋めてみることにした。風見俊介くん、この男の子は綾ちゃんの何を知っているのだろうか? 隣に座り身を寄せて話しかける。
天使は仲良くなるといいことがあると言っていた。具体的にはわからないけれど、その意図が気になってたまらない。
「もしよかったらなんだけどね、風見くん、私の友だちになってくれないかしら」
そんな風に自分から切り出したのは、風見くんを通じて綾ちゃんの秘密を知ることができるかもしれないと期待したからだ。
風見くんは快諾してくれたけれど、私の思惑を知ることもなく、「夢に現れたなんてファンタジーな展開っぽいし、実は僕の知らない秘密があったりして」なんて無邪気に語っていたから、綾ちゃんについての秘密は何も知らないみたいだった。
私は風見くんが私に関わらないようにと連絡先を伝えなかったけれど、再び天使が夢に出てきた時は知らせられるよう、風見くんの連絡先は教えてもらった。
また天使に会えたら、綾ちゃんとどんな関係があるのか直接聞いてみよう。
そんな奇妙な出来事は、ずっと落ち込んでいた私の暗闇の灯火となってくれた。
私たちの不思議な繋がりはそれだけではなかった。運命の歯車はぐるぐると回り続けている。
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