松下倫太郎――高校二年の秋から――・1

 人間って奴はみな、色眼鏡をかけている。


 なぜ、どうして、こうも外面が良くて口の上手い奴の言うことを信用するのだろうか。


 たとえ腹の中が腐りきってる奴だとしても。


 ――なんでこんなことになっちまったんだよ。


 剣の道一筋でろくに世間も人間も知らない。スポーツ推薦でこの高校に入ったのだから、勉学は自慢になるものではない。


 だが、雨の日も風の日も鍛錬は怠らなかった。


 幼少の頃より剣道教室に通い詰め、『才能は時として脆いが、地道に積み上げて得た自信は岸壁よりも強固だ』と教えられてきたからだ。


 我よ、誰よりも愚直なれ。それが俺の信念だった。


 そして高校二年、夏の公式試合でついに全国大会への切符を掴んだ。上背を活かし上段から鋭く振り下ろす出鼻面が俺の十八番おはこだったが、競り合いも抜き技も苦にしない。二年生に進級した頃には、もはや近隣の高校で俺に敵うものは皆無となり、「月城の神童」と呼ばれるようになっていた。


 目指すはより高みへ――。


 そう思い、青空を見上げると、屋上のフェンス際にたむろする男子生徒の姿に気づいた。手のひらを頭上にかざして遮光すると、ひとりの男子生徒が、あとの二人に詰め寄られているように見えた。


 校舎の時計に目を向けると、部活が始まる時間まであと十五分ほどある。


 ――まぁ、助けてやるか。


 心の余裕ができたのはかんばしい夏季大会の成績のためか、それとも俺を応援し励ましてくれる器量よしののおかげか。


 早足で校舎に舞い戻り、竹刀と防具袋を担いだまま階段を一気に駆け上がる。


 屋上にたどり着き、気づかれないように扉をそっと開けて様子をうかがうと、やはり想像した通りだった。


「だからよこせつってんだよ!」


「いや、僕、もう無いです。勘弁してください」


 見るからに気弱そうな男子生徒は、蛇に睨まれた蛙のようにフェンス際で縮こまっている。


「てめぇ、なめてんのか! 俺らのバックに誰がついてるか知ってんだろ?」


 二人は校内で厄介者のチンピラ学生だ。校則違反の金髪、耳たぶにはピアス、校舎の裏でタバコを吸い、そして今、俺の目の前でやらかしてるのは、状況から察するに――そうそう、カツアゲってやつだな。


 それにしてもあいつら、教師も手を焼いているらしいが、なぜ退学にならないのか不思議なくらいだ。俺だけでなく生徒全員が疑問に思っているだろう。


「ひえぇ、ごめんなさい! 許してください!」


「おら、謝る元気があるなら家から持ってこいよ! それともここから飛び降りて逃げるか?」


 チンピラ学生たちは震え上がる男子生徒の制服のポケットに無理やり手を突っ込み、中身を乱暴にまさぐる。


「やめてください、お願いです!」


 取り出された生徒手帳、家の鍵、それにハンカチ――つまり金目でないもの――は、すべてフェンスの外に放り投げられた。


 そいつらの所業に堪りかねた俺は、そこで屋上の扉を勢いよく開け、声を張り上げた。


「お前ら腐ってやがんな、小銭を巻き上げるようなみみっちいことしてんじゃねーよ」


 威勢よくそいつらに迫り、間に割り入る。


 だがチンピラ学生はまるで臆することなく、にやにやと余裕の表情を浮かべている。俺はその様子に妙な違和感を覚えた。


 ――こいつら、まるで焦ってねぇ。何かあるな。


 俺の野生の勘が働いた時だった。


 もうひとつ、足音が背後に近づいてきた。修羅場にそぐわない、妙にゆったりとした歩調だった。


 目を向けるとそこに立っていたのは眉目秀麗の生徒会長、成宮圭吾なるみやけいごだった。


 成宮の父親は有名な地元の議員で、この高校には多額の寄付をしているらしい。息子が生徒会長というのも頷ける。


 まぁ、こいつが来たとなれば、俺の出る幕ではなかったか。


 ところが成宮の第一声は他の誰でもない、俺に向けられていた。


「ほう、脅迫はいけないよなぁ。そう思うだろ、松下倫太郎くん」


 ――俺のこと知ってるんだな、こいつ。


 すると男子生徒を脅していたチンピラ学生の二人は、成宮に向って頭を下げ、「うっす」「ども、お疲れさんっす」と、妙に親近感のある挨拶をしていた。


 成宮はチンピラ学生を一瞥してから、にやりと不気味に口角を上げ俺にこういう。


「じゃあ、脅されていたのか、彼に尋ねてみようかな」


 そして怯えた男子生徒を指さすと、男子生徒はさらに恐怖で引きつった顔をしていた。成宮を恐れていることは間違いなかった。


 噂によると、この学校に対する成宮の親の貢献ゆえ、教師は成宮に頭が上がらないらしい。その噂が事実だとすれば、成宮の手下に違いないこのチンピラ学生どもらが退学にならない理由も納得できる。


 ――なんてことだ。成宮が手綱を引いているのかよ。


 俺は奴らの所業を男子学生に認めさせようとした。


「おいお前、こいつらにカツアゲされてたってちゃんと言えよ!」


「ぼっ、ぼくは何もされていませんよ……」


 男子生徒はそういって、ぶるぶると首を横に振った。


 その男子生徒の意気地のなさに、俺の血液が怒涛のごとく脳天に逆流した。せっかく助けに来てやったっていうのに!


 肩をガシッと両手で掴み声を荒げて説得する。


「俺はちゃんと見てたから、先生にこのことは伝える。だから何をされていたのか、正直に言えよ!」


 けれど男子生徒はなおさら頑なになり、決して首を縦に振らない。


 その瞬間、パシャッとシャッター音が響いた。はっとして音源に目を向けると、成宮はスマホを俺に向け、薄笑いを浮かべていた。


「――おい、何のつもりだよ成宮」


「んん? 別に……ただ、その男子生徒、君に怯えてると思ってね」


「ああ? 俺はこいつを説得してるだけだろ!」


「いやぁ、ボクには君が脅しているようにしか見えないんだけどなぁ」


 そういってスマホで撮った写真を俺に向けて見せた。


 それから成宮が怯えきった男子生徒に向かって威圧的に言う。「こちらに来なさい」と。


「でっ、でも……」


「ふぅむ、ボクは今、『こちらに来なさい』と言ったはずだが、その返事は聞き間違いかな?」


「あっ、はい、すみません!」


 男子生徒は平身低頭で成宮のそばに駆け寄る。成宮は俺に背を向け、男子生徒の首に手を回し、耳元で何かを囁いた。それから俺の方を振り向き、「松下くん、本当にご苦労さん。ところで今度の試合、頑張ってね」といって目尻に皺を寄せた。


 その時の成宮の笑顔はひどく不気味なものだった。まるで沈澱した泥のような、どす黒い笑顔だった。


 ――この時、俺はまだ気づいていなかった。俺自身が嵌められたということに。


 その翌日のことだった。


 放課後、職員室に来るようにと担任に呼ばれた。


 なんの用か知らないが、部活が控えていたから早々に終わらせたかったが、職員室では部活の顧問の先生が同席していたので、おそらく今後の試合に関する重要な作戦会議なのだろうと勘案した。ならば部活に遅れても仕方はない。


 俺は小部屋に案内され、椅子に座るように指示された。堅苦しい雰囲気に違和感はあったが、武道においては礼節が重要だから、厳粛で良い意味なのだと捉えていた。


 けれど、担任は予想外の重々しさで口を開く。


「ある生徒から連絡が入ったよ。君のについて」


 そう言って目の前に一枚の写真を提示する。それは屋上で成宮が撮影した写真そのものだった。


 確かに事情を知らなければ、俺が恐喝しているようにも見える。


「情報は信頼に値するものだった。君は真面目に練習をしていると思っていたが、先生は残念でならない」


 そういった担任と顧問の先生の視線は明らかに俺を蔑んでいて、早々に粗大ごみを処分したい、そんな冷たさを共存させていた。


 二人は俺を犯人だと、決めつけているに違いなかった。


「俺は恐喝なんかしていません」


 俺ははっきりと言ってのけた。おそらく成宮と俺を天秤にかけ、どちらが信頼のおける人間か、色眼鏡で判断したのだろう。


 だが俺は、担任の言葉で失敗に気づかされた。


「ほう、やはりそうか。私は『恐喝している』とは言ってなかったのだが、どうやら心当たりがあるようだね」


「……ッ!」


 ――しまった、墓穴を掘った。いや、もしかするとこの誘導尋問は、成宮が目の前の二人に入れ知恵をしたのかもしれない。


 俺は頭を下げ、すでに無駄だと知りながらもなるたけ真摯に応じる。


「本当に俺はやっていないです。やっていたのはあの金髪……」


 すると罵声のような叱責が割り入って俺の言葉を打ち砕いた。


「口を慎みなさい! 他人に罪をなすりつけるなど、卑怯者のすることだ。やはり君はそういう人間なんだな!」


 俺はそれ以上、口を開くことができなかった。何を語っても信じてもらえず、悪意として解釈されるだろう。


「君の処分は職員会議で決定する、心して待ちなさい」


 低い声でそういった彼らは俺を残し部屋を後にした。


 それから間もなく、クラスメートは俺を露骨に避けるようになった。


「やっぱりあいつか」「思った通りだ」と陰口を叩かれるようになったのは、生徒会のホームページが更新されが大々的に公開されたからだ。


 個人情報を無視した傍若無人な情報公開だが、成宮の仕業だけに誰も反対できないようだ。教師たちでさえも。


 ――冤罪だ。だが、恣意的に真実として仕立てられた。


 そして担任はもっともらしく職員会議の結論を俺に言い渡した。


「君の活躍を期待していたのだが、こんな事件を起こされたのでは、剣道部が月城の汚点となってしまう。


 だが初回だけに、反省して部活を引退するのであれば、退学処分までは求めないこととした」


 退学は免れた、といってもなんの慰めにもならない。担任の一言は俺の気力を奪うのに十分過ぎるほどだ。長年積み上げ、ようやっと俺を認め迎えてくれた剣の道が、とたんに閉ざされてしまったのだから。


 こうして俺は初めて、この世の矛盾を知ることとなった。


 人間なんて所詮、色眼鏡をかけている。物事を歪んだ印象や先入観で判断する、勘違いだらけの生き物だということを。


 それから間もなく、俺は同じ屋上のフェンスのそばで四人の男子生徒を見かけることになった。


 目を凝らしてみると、一人の生徒が三人の生徒に囲まれていた。どうやら恐喝しているらしい。俺は今回は助けに行かなかった。もはや心身を削って他人を助けることに価値を見出せなかった。


 だが俺は気づいてしまった。さらに許せない、反吐が出そうな事実を。


 その三人のうちの二人はあの時のチンピラ学生たちだったが、新たに加わった一人は、俺が助け出そうとしてやった奴だったのだ!


 つまり、成宮はその男子生徒を手懐けると同時に、俺が恐喝したのだと嘘の証言をさせたに違いないのだ。


 担任が「情報は信頼に値するものだった」というのは、被害者がそう言ったことを指しているのだろう。


 成宮は、追い詰められ苦痛に悶える人間に対して、今度は他人をいたぶり愉悦を味わう立場という、麻薬のような夢物語を与えてみせたのだ。


 成宮は相当に狡猾だ、爽やかなツラしてやがるが、根は他人を騙すことも利用することも厭わない奴だった。


 成宮も、取り巻きのチンピラ学生も、言いくるめられる奴も、皆、卑怯者の集塊だ。


 ――どうしてこんな奴らがのさばって許されているんだ……ッ!


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