Interlude #1

「僕が後悔することがあるとすれば、お前の毒牙から綾を守ってやれなかったことだ」


 俊介は血走った目で倫太郎を睨みつけ怨言を吐く。


「松下、お前本当は今、安心してるんだろ。綾が死んだら文句を言われなくて済むからな」


 倫太郎は深いため息をついてから、落ち着きのある低い声を発する。


「お前は本当に呆れた奴だ。だが俺は今日、ここに来ればお前に会えるんじゃないかと思っていた。どうしても聞きたいことがあるからな」


「僕に聞きたいことだと? 今更なんだよ。お前には何を聞かれたって話すつもりないけどな」


 あの体育祭の日からしばらくして、倫太郎が俊介と連絡を取りたがっていると、同級生伝いに聞いたことがあった。しかし俊介はあくまで倫太郎を拒絶し続けてきた。


「俺が聞きたいのは鳥海のことじゃない。川端弥生のことだ」


 その名前を松下が口にしたことに、俊介はさらに怒りをあらわにする。


「黙れよ、僕だって知りたいぐらいだ! なんであの体育祭の日の夕方から、弥生さんの様子がおかしくなったのか」


 すると、その一言を聞いた倫太郎の表情が一変した。


 切れ長の目を見開き、俊介の両肩を力強く掴んだ。それまでの冷静な様子とはまるで違い、声を荒げて俊介に尋ねる。


「風見、確かにがおかしくなったのはその日なんだな?」


 その言葉に対し、俊介は鋭敏に反応した。


「……お前もかよ、互いをファーストネームで呼び合うなんてさ。知らないふりしてて本当は大層仲が良かったんだろ。僕にも綾にも秘密で二股かけてたのか――ッ!」


 けれど倫太郎は怒髪天の俊介のことなど、まるで気にも留めていないようだった。


 なぜならはるかに重要な事実が倫太郎の意識を占拠していたからだ。


 ――ついにが特定できた。俺が行かなければならない日は、やはり風見が知っていた。


「悪いな、風見。俺はお前の相手してる暇はねぇんだ。だが、礼は言っておくぜ」


 倫太郎は手のひらを広げ、あの「回転木馬」を乗せて腕を水平に伸ばし、バランスを取る。


「おい、何するつもりなんだよ」


 俊介はすぐさま警戒し身を引いたが、倫太郎の所作は儀式のように厳かにも見えた。


「こいつはどうにも常識で説明できるシロモノじゃない。まあ、百聞は一見に如かず、だ。


 もしもお前が回転木馬こいつを受け取ることができれば、すべてを理解できるはずだ。言い訳がましい理屈は反吐が出る」


 そして獲物を狙うように鋭くした視線を俊介に向け、口角を上げてみせた。まるで野生の本能が目覚めたかのような、一縷の迷いもない表情だった。


 それから倫太郎は心の中で念ずる。


 ――回転木馬よ、俺の過去を映し出してくれ。


 するとオブジェの屋根に吊るされた木馬たちがゆっくりと回転し始めた。


 次第に速度を上げ、ウォンウォンと低いハウリング音を響かせる。病室の窓ガラスがびりびりと振動している。


 それから銀色の筐体が、ぱあぁとまばゆく輝き始める。


 回転木馬は病室の壁に向かって、プラネタリウムのように光を散りばめさせ始めた。光は二人の頭上をぐるぐると回転している。


 その光は回転速度の上昇とともに面積を増し、光の円となってゆく。大きさはまちまちで、ピンポン玉程度の光から、俊介の身長に達するものもある。軽く見積もっても百以上に及ぶだろう。


 そして回転する光はひとつひとつがテレビのモニターのように、さまざまな人物や風景を映し出していた。


「こっ、これは一体何なんだよ、松下」


「一言で言えば、これは俺の過去だ。俺は行くべき日を探し続けていた。たった一度のチャンスだからな、しくじるわけにはいかない」


「過去に……行く……だと?」


 俊介は口を半開きにし、病室の壁に描かれる映像に目を奪われていた。知る高校の風景があり、剣道の試合や試験の様子も映されていた。綾と弥生、そして俊介の姿もあったから、松下の記憶の光景であることは疑いようもない。


 倫太郎は回転する切り取られた景色たちをひとつひとつ目で追いながら、かつての記憶を蘇らせていた。


 ――弥生、俺はお前に何もしてやれなかったことを、今でもひどく後悔し続けているんだぜ。だけど今日こそは、からな。


 俊介は自分が知っている松下倫太郎という人物像は、本当は誤解なのではないか、そんな疑念を抱き始めていた。


 なぜなら松下の表情には、魂を賭すほどの強い覚悟が感じられたからだ。


 そして倫太郎は、その中のひとつの映像に手を伸ばした――。


 


 まわる、まわる、回転木馬。


 ――世界のことわりに縛られた運命を映し出しながら。


 まわれ、まわれ、回転木馬。


 ――あの日の、あの瞬間から、後悔の鎖に繋がれたままでいる、


 俺を――。


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