[12] 脱出

「あなたたちは目覚める。床の上。ひんやりとした灰色のタイル。埃は積もっていない。天井ではLEDライトが白い光を放つ。知らない場所。自分が何者であるかははっきり認識できる。けれどもなぜそこにいるのか覚えていない。記憶がきれいに抜け落ちている」

 平素より一段落としたトーンで祥子さんが前口上を読みあげた。


 『血まみれ惨劇ハウス』は探検開発室の手がけるホラー脱出系TRPGである。シナリオ作成を簡易化するためシチュエーションは閉鎖環境からの脱出に限られている。

 PCたちは行く手を阻む障害を乗り越えながら、もっとも危険な場所へと接近。なんらかの怪異の正体と対決し、勝利することができれば無事にクリアとなる。障害あるいは怪異は附録の表を使ってランダムに設定することもできるのでGMがいなくても遊べます、とルールブックには書いてあった。

「というわけでセッションを始めましょう。まずはキャラになりきってPC紹介、アリシアからどうぞ。もう何度かやって慣れてるはずだし、びしっと手本を見せちゃって」


「了解だ、任せてくれ」

 アリシアさんはすでに声の調子を変えている。配信始まる寸前まで普通に雑談してたのにきちんと切り替えできている。

「俺の名前は赤崎アリスター、私立探偵だ。性別は男、年齢は24。おっと若造だなんてなめないでくれよ。これでもいくつも難事件を解決してるんだ、界隈ではちょっとした有名人さ。まあ表に出せない話も多いから世間ではほぼ無名だがね。頭脳労働なら任せてくれ、真のインテリジェンスというものをお見せしよう」

 画面にはダークブラウンのトレンチコートを羽織った、目つきの鋭いイケメン男性のイラストが映る。アリシアさんにイメージを聞いて私がざっと出力したものだ。


「それでは次は僕の番ですね」

 私もアリシアさんにならってちょっと声を変えてみる。少しだけ低めに、少年っぽく聞こえるように、それでいていつもの感じからはあんまりかけ離れないよう調節した。

「僕は藤井フレッドと言います。男子中学生です。頭を使うのはあんまり得意じゃないかな、それよりは体を動かす方が多分向いてます。とある事件でアリスターさんと知り合って、今では時々その助手みたいなことをしています。アリスターさんのことは先生と呼んではいますが、同時に頼りない大人だなあと思ってますね」

 アリスターの隣にそれと比べて背の低い、ブレザーを着た少年の立ち絵が現れる。こっちの方ももちろん私が前もって生成しておいた。


「なるほどなるほど、そういう感じなわけねー」

 祥子さんの声は弾んでいる。データ自体は前もって渡していた。が、実際に演じてみせたのは今のが初めてだった。

『探偵と助手、定番の組み合わせ』『2人とも性別変えたんだ』『え、そっちが頭脳担当で大丈夫なの?』『2人の男性声いい、今度それでボイス販売して』『藤井くんの方がしっかりしてそう』


 最初のシーンから。前口上で説明されたシチュエーションで2人は目覚める。

「うーん、アリスターはまだ眠ったままかな、フレッドくんの方が先に起きると思う」

「そういうことならフレッドは1人目覚めるとぱっと跳ね起きますね。あたりを見回しても来たことない場所で病院とか研究室とかそんな感じっぽいなと思いました。次にアリスターが横で寝てるのに気づいて叩き起こします。『先生、なんで寝てるんですが早く起きてください!』」

「『なんだい、フレッドくんうるさいなあ。探偵っていうのは自由業だから朝早く起きる必要なんてない。だからこそ俺は探偵になったんだ』そんなことをつぶやきながらアレスターは起きる。それから異常に気づいて、『フレッドくん、もしかしてうちの事務所は大胆に模様替えしたのかい』と言います」


 アリスターとフレッドになりきって言葉を交わす。

 きちんと打合せしてた、わけではない。キャラクターシートに載せてる程度のふわふわした情報しか交換してなかった。それでもわりとなんとかなってる。話しつつキャラが固まってる感触がある。

「このあたりで一旦、判定をはさみましょう。知力+2D6で目標値は10。成功すれば1人あたり脱出ポイント1点獲得です」

 脱出ポイントとはその名の通り脱出に必要なポイントだ。こうした判定や障害をクリアすることで獲得していって、10点を越えるとボスが出現するという仕組みである。


「あんまり自信ないですね」私はサイコロを振る。ここで結果に干渉することもできるがそんなことはしない。「残念、失敗しました。フレッドは部屋の中から特に手がかりを手に入れられませんでした」

「知力なら俺に任せろ。よっし、余裕で成功した。アリスターは立ち上がってぐるりと部屋を一周しただけでピンとあることに気づきました。それは――GM、何?」

「甘い匂いがかすかに漂ってることに気づくよ。不快でない、むしろ心地いい。どこかで嗅いだことがある気がする、けれども思い出せない。脳を刺激するがあまりに微弱でもどかしい」


「おっけー、アレスターは立ち止まって言うよ。『フレッドくん、気づいたかな?』」

「『何のことですか?』フレッドは何も気づいてないので素直に聞き返しますね」

「『匂いだよ。かすかに甘い匂いがするだろう』得意げにほほ笑むアレスター」

「言われてみたらそれを感じ取ることができました。『確かにしますね、なんですかこれ?』」

「肩をすくめてみせる。『そこのところはよくわかんないよ』」

『探偵?』『判定成功したのに頼りねえ』『思わせぶりな感じだけ出してくるなこいつ』

 といったところでファーストフェイズは終了した。

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