第14話

翌朝、目が覚めると、熱もなく気分も良かった。

心配して様子を見に来てくれた田上と、いつも通り三人で食堂に向かう。

その途中、田上が僕のひじをつかみ、前を行く堀井と少し距離を取ると、

「あれからどうなった?」

と小声で聞いてきた。

「どう……って?」

僕は幾分うろたえながら聞き返した。

「堀井、怒ってたか?」

ああ、そういう“どう”ね。

「別に」

「そうか、良かった」

田上はホッとしたようにニカッと笑った。


「佑、醤油取って」

「ん」

「サンキュ」

三人でテーブルについてすぐ、堀井に醤油を渡した僕を隣の田上が固まったように見ている。

え?何!?

「おたくら、いつから名前で呼び合うようになったの?」

田上にまた小声で聞かれ、

「あ……!」

聞かれて初めて、堀井に名前で呼ばれたことに気がついた。


寮に戻ると、管理室から上村が急ぎ足で出てきた。

「中野、ちょっと」

僕を見つけると、珍しくあわてた様子で手招きした。僕は堀井と田上に先に行ってくれるように言うと、管理室に入った。

「ああ、ドア閉めて」

上村はそう言って、それから僕の顔を見て、せわしなくまばたきをした。

「落ち着いて聞きなさい、中野」

あわててるのはアンタじゃないの?

「今、君のお父さんから電話があって……」

親父、と聞いただけで自分の表情が固くなるのがわかる。

「おかあさんが事故にあわれて、意識不明の重体だそうだ」

え……?

「病院に運ばれて、これからすぐ手術だそうだ」

「…………………」

「すぐ出かける用意をしなさい。タクシーを呼ぶから、それで駅まで行きなさい」

「あ…、はい…」

僕はそう答えると、管理室を出て部屋に戻った。

「佑、どうした?」

戻るとクローゼットからバッグを取り出し、着替えなどを入れ始める。

「佑?」

堀井が側に来て、僕の肩に手をかける。

「……かあさんが」

堀井の顔を見上げる。

「かあさんが、事故で意識不明の重体だって」

自分の声が自分のものではないような気がした。

「上村がタクシーを呼んでくれるって言うから、行ってくる」

立ち上がった僕の腕を堀井がつかむ。

「ちょっと待て」

堀井はそう言うと、すぐにスマホを取りに行き、どこかに電話を始めた。そしてすぐに電話を切ると、クローゼットから上着を出し、

「行くぞ」

と言った。

「え?どこに……」

「いいから、ついて来い」

僕の腕をつかんで部屋を出て階段を降りると、僕を残し管理室に駆け込み、すぐに出てくると、また、

「行くぞ」

と言った。遅れて出て来た上村が黙って僕たちを見ている。


訳がわからないまま堀井について歩き出した。

「伊藤の兄貴がバイクを持ってる」

伊藤?この山の麓に住んでる通学組。

「途中で合流して、バイクを借りる」

堀井についてたどり着いたのは駐輪場。

「電車乗り継いでるより早い」

堀井に言われるまま、置いてある学校の自転車にそれぞれ乗って、学校の敷地の外へ出る。

僕がここに来てから、初めての外の世界。

下りだから、ほとんど労力を要することもなく、下から上がって来た伊藤と伊藤の兄さんと合流し、頭を下げ、堀井の後ろにまたがる。

「堀井、気をつけて」

伊藤の言葉に堀井は片手を上げて答え、

「中野、しっかり」

僕は堀井の腰に手をかけながら、ただうなずいた。


かあさん、かあさん、かあさん───

堀井の体に回していた手に、堀井の手が重なった。

僕の手をギュッと握りしめ、それからポンポンと優しくたたき、すぐに離れていった。

堀井───

僕は堀井の上着を握りしめた。


病院に着くまでの道のりを僕はほとんど覚えていない。

途中の休憩も、堀井に促されてトイレに行き、差し出されたコーヒーをただ飲んだ。

昼近くに病院に着いた時も、受付でうまく言葉が出てこない僕のかわりに、かあさんのことを聞いてくれたのも堀井だった。

教えられた六階の東棟。エレベーターが遅く感じられた。

ナースステーションでたずねると、横の入口を示された。ナースステーションの裏側に当たる薄暗いシンと静かな一角に、長椅子がいくつか置かれ、手前のイスの前に立っているのは父さんと会社の、そう確か父さんの秘書の男の人だ。小声で何か話している。

奥のイスにすわって、膝に頬杖をついているのは、かあさんの今のご主人、島岡さんだ。

「佑」

父さんが僕に気づいた。島岡さんもこちらを見る。

「かあさんは?」

父さんが目で奥をさす。

「彼女が運転していた車が赤信号で止まっている所に、対向車が突っ込んで来たらしい。相手の居眠り運転だそうだ。まだ、手術中だ」

父さんは淡々と説明してくれた。

僕は島岡さんを見た。

細面の優しげな顔を僕に向け、微かに笑いかけてくれた。でもその笑みは力なく、顔色も青白かった。

「君は?」

父さんが僕の後ろの堀井に声をかける。

「中野くんと寮で同室の堀井と申します。昨夜、中野くんは熱があって、今朝下がったばかりの体ですので、一緒に参りました」

物怖じしない堀井の口調。

「そうか。迷惑をかけてすまなかったね」

父さんはそれだけ言うと、秘書の人を連れて廊下の角まで行き、また何か話し始めた。

この事故で時間を取られて、さぞかしスケジュール調整が大変なんだろうね。

僕は島岡さんの所に行って、その隣に腰をおろした。

「佑くん、熱があったって、大丈夫?」

島岡さん、あなたホントに優しいね。かあさんがあなたを選んだ気持ち、わかるような気がする。

僕はつい、廊下の角の父さんを見てしまった。

「大丈夫です。島岡さんは?顔色良くない」

島岡さんは手で頬のあたりをなでると、

「そうかい?……そうかもしれないな」

自嘲気味に笑った。

「情けない話だけど、警察から電話もらった時震えちゃってね。今もまだ少しね」

島岡さんは両の手のひらを開いて見せた。指先が微かに震えている。

「その点、佑くんのお父さんはしっかりしてらっしゃる」

島岡さん、それは違うよ。島岡さんはかあさんを愛してるからでしょ?父さんは……。

「堀井くんっていったね。二人ともお昼は食べたの?」

島岡さんが立ち上がりながら言う。

「いえ、まだ」

堀井が答えた。

「じゃあ、食べておいで。八階にいくつかお店があるようだから」

「島岡さんは?」

僕も立ち上がりながら聞く。

「僕はいいから」

「僕、別にお腹空いてません」

「それはダメだよ」

僕の言葉に島岡さんのいつも優しい顔立ちが厳しくなった。

「少しでもいいから食べてきなさい」

それから堀井のほうを見て、

「堀井くん、頼んで悪いんだが、佑くんを連れて行って少しでも食べるようにしてやってくれるかな」

と、すまなさそうに言う。島岡さん、僕の親でもなんでもないのに……。

「わかりました」

堀井はそう答えると、僕の背に手をあて僕を促した。

僕たちが歩き出そうとすると、父さんが島岡さんのほうに歩いて来た。

「島岡さん、わたしは社に戻らなければなりません」

「どうして?」

僕はつい聞き返していた。

「取引先の社長と合う約束がある。アメリカから来られてる方で、明日帰国されるので今日しか日がないんだ」

「………………」

「ええ、もちろんです」

島岡さんの声。

「それでは、何かあったら連絡をください」

何か?何かって!?

父さんは島岡さんに軽く頭を下げると、

「佑、島岡さんにご迷惑をかけるなよ」

僕の横を通り抜けざまそう言った。

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