第13話

「たぁ〜す・く・くん」

リズムをつけて呼ばれ、思わず顔を上げた。

「田上」

「ここいい?」

田上がトレイを手にニコニコと僕の前の席を示した。

「うん」

うなずくと席につき、両手を合わせて“いただきます”と言って箸を取った。味噌汁の椀に口をつけて、手を止め僕を見た。

「食べないの?」

トレイの上の半分以上残った昼飯と、すでに箸を置いている僕を交互に見る。

「食欲がいまひとつで……」

そう言って僕はお茶を口に運んだ。

「ありゃりゃん。疲れてるんじゃないの?」

「かな……」

「あいつも煮詰まっちゃってるよぉ」

「え?」

「堀井」

田上は休みなく箸を動かしながら言った。

「あいつ相当ビビってる。もうビビりまくってるよ」

「なんで?」

田上の軽い口調に、つい聞き返してしまった。

「そりゃ、佑くんとマジで決裂しちゃうのが怖いからに決まってるでしょう」

僕はイスの背にもたれてお茶を飲んだ。

「田上」

「はいな」

田上は口をもぐもぐさせながら、ニコニコと僕を見てる。

気負ってるのがバカらしくなる。

「例の事件の時、堀井が退学にならないで済むように上村が働きかけたって、ホント?」

「うん」

田上はあっさりうなずく。

もっと力が抜けた。

「あ、そ……。んで、堀井はさ、その同室になるはずだった子のこと好きだったから、それで頭に来てやったの?」

「うんにゃ」

声をひそめて聞いた僕に、田上はこれまたあっさり否定した。

「あれはただの正義感。中学一緒だったから、話したことくらいはあっただろうけど、好きなら、やめてった相手をとことん追いかけてってるよ。あいつはそういうヤツ」

「………………」

「佑くん」

「え?」

田上が僕をじっとのぞき込んでた。

「今日は授業が終わったら、まっすぐ寮に帰んなさい。そして早めに休むこと。顔色、さえないよ」

田上の真摯な目つきに、わずかに笑みをうかべてうなずいた。


田上に言われるまでもなく、僕は放課後まっすぐに寮に帰った。

帰らざるを得ないような状態だった。

手足が重く、吐き気がして、寮への坂道を登ってる時には何度か目の前が暗くなりかけ、寒いのに汗が出た。

だから部屋にたどり着いた時には、文字通りベッドに倒れ込んだ。


寝返りを打とうとして、額に何か温かな感触を覚えて重いまぶたを持ち上げた。

「気がついたか?」

間近に堀井の顔があった。額には堀井の手が乗せられていた。

「熱があるみたいだな。夕飯の時間なんだが、何か食えるか?」

ボーッとした頭で堀井の言葉を反芻して、それから首を振った。

「昼もあんまり食べてなかったよ」

田上の声が足元のほうでした。声のしたほうを見ようとして気がついた。

僕はちゃんと着替えて、きちんとふとんをかけて寝ていた。

これ、誰が……?

「ここまで持ってくるから、少しでも食べろ。それから上村に言って薬をもらってくるから」

考えるのが億劫でただうなずいた。

「どこか痛いところとかあるか?喉とか頭とか」

堀井の問いに首を振った。

「だるくて、寒い……」

「もっと熱が上がるのかもしれないな」

これは田上が堀井に話しかけた言葉。

「わかった。おまえは寝てろ。すぐ戻る」

そう言われて、髪をなでられた。

堀井が立ち上がる気配に、重くて仕方ないまぶたを落とした。


「佑くん」

そっと肩口を揺すられて、目を開いた。

田上がトレイを手にのぞき込んでた。

「何か少しでも食べられる物があれば……」

食欲はなかったけど、せっかく持ってきてくれたのを断るのも悪いような気がして、味噌汁だけに口をつけた。

「田上はもう食べたの?」

「うん」

「堀井は……?」

「今、保健室まで行った」

「保健室?」

「管理室に薬もらいに行ったら、ちょうど切れてて、それで保健室まで……」

こんな時間に本館まで……。

「そんなことしなくていいのに……」

僕はつい、そうつぶやいてしまった。

「佑くん」

田上はベッドの横にイスを引っぱってきて、そこにすわった。

いつになく真剣な顔だった。

「何?」

「堀井がさ、おたくに優しくするのは、同情や憐れみなんかじゃないんだよ」

「………………」

「あいつは、小学校の卒業式の日、母親に初めて父親のところに連れて行かれてね、そこで“ここまではわたしが一人で育てたんだから、あとはあなたの番よ。わたしはこれ以上は知らないから”って。そして堀井を置いて、それっきり、今に至ってる」

え……?

「何それ……。それって堀井がいる前で母親が口にしたの?」

田上がうなずいた。

「堀井がいるのに!?」

もう一度うなずく。

「実の親なんでしょ!?子供の前でそんなこと言ったら、その子供がどんなに傷つくか、考えないわけ?」

その子供───堀井は、どんな気持ちだったのか……。

「え、佑くん!?」

田上が驚いた顔をした。

僕だって驚いてるよ。だけど、止まらない。勝手にどんどん出てくるんだ、涙が……。

その時、堀井が入ってきた。

僕を見て、驚いたような顔になる。

僕は慌てて下を向いて、服の袖で横殴りに涙をふいた。

「リキ、何言ったんだ!?中野に」

堀井が大股にこちらに近づいてきながら、厳しい声で田上に問う。

田上は立ち上がって、

「あ、いや、おまえの小学校の卒業式の時の話をチラッと……」

と慌てた様子で言った。堀井が怖い顔をして田上を見た。

田上は上目遣いに堀井を見て、困ったような笑みをうかべた。堀井がため息をつく。

「あ、じゃあ、オレ、これ返してくるから」

田上はトレイを持って、素早く部屋から出て行った。

堀井はベッドの横に立ったままだ。

「ほとんど食べなかったんだな」

堀井がため息混じりに言う。

「食欲ないんだって」

ああ、ダメだ。なんでこんな言いかた……。

「薬、飲むか?」

「………………」

僕は口を開きかけたけど、また素っ気ない言葉が出そうだったし、泣いたせいか少し鼻声になってたのが恥ずかしくて、黙って首を振った。

堀井は持ってた風邪薬を机の上に置くと、さっきまで田上がすわっていたイスに腰をおろした。

「なんで泣いたんだ?」

僕は顔をそむけた。

「中野」

堀井に腕をつかまれて、体が固くなった。堀井が手に力を入れて、僕を自分のほうに向かせた。堀井と目が合う。僕はついうつむいてしまった。

長い沈黙───

堀井が僕を見ているのがわかる。

堀井が動いた。イスから僕のベッドの端へと、僕の腕をつかんだまま。

僕は、動けなかった。うつむいたまま。動けないでいた。

堀井のもう片方の手が、僕のあごにかかり、上を向かされた。

堀井の真剣な目と、目が合ってしまった。

そのまっすぐな視線に耐えきれずに、堀井の手を振り払おうとした。堀井はそうされまいとする。

あらがううちに後ろに倒れこみ、堀井の体の下に組み敷かれる格好になった。

「はなせよ」

僕は何故かまた泣きたくなってきたのをこらえて言った。

「どけよ!」

じっと僕を見おろす堀井の目を、歯をくいしばって見返した。

すぐにうろたえた。

そこには予想に反した、深い暖かい目があった。堀井が僕の髪をなでた。

僕は視線をはずし、

「どけよ。な、なんか熱……上がってきたような……」

と小さな声で言うと、

「え!?」

慌てた様子の堀井の手が離れて、ホッと息をついたのもつかの間、今度は僕の体に体をまるきり重ねるようにして、首すじに首すじをくっつけてきた。

な、なな、何……!?

「そうだな。さっきより熱いな」

耳のすぐ側に堀井の声。

でも体はすぐ離れた。

「暴れるからだ」

「お、おまえが暴れさせるようなこと……」

大体、熱っておでこに手を当てるとかして確めるものだろ!?それを……。

「薬、飲んどくか?」

ふとんをかけてくれながら堀井が聞いてきた。

「熱は、体が治そうとして出してるものだって、かあさんから教わった。むやみに下げないほうがいいって」

横向きに寝返りを打って、引き上げたふとんで顔を隠すようにしながら言った。

「あ、でもわざわざ本館まで……」

「いいって。俺の母親も同じこと言ってた」

え……!?

堀井は肩口をポンポンとたたく。

「いいから寝ろ。水、ここに置いとく」

堀井は立ち上がりながら、机に置いたペットボトルを示した。

「寒くないか?」

「うん。……サンキュ」

そう言うと、堀井はまた僕の髪をなでた。

「だから、それ、やめろって……」

ふとんから顔を出さずに抗議した。堀井がフッと笑った気配がして、部屋の光量が落とされた。

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