第15話

「待ってよ」

僕は父さんの腕をつかんだ。つかんでしまってから、慌てて放した。

「なんだ。どうした?」

父さんは立ち止まって僕を見た。

「まだ、手術中なんだよ」

「それはわかっている」

父さんは、何をわかりきったことを言うのかと言いたそうな顔だ。

「だって、まだ……わからないんだよ」

「ああ、だが、それは我々にはどうすることも出来ない。医者に任せるしかないだろう。違うか?」

そう、だけど…。それはそうだけど、でも……。

「それに、島岡さんがいらっしゃるのに、私がいる必要はない」

父さんは、また歩き出した。

僕は父さんの前に回り込んだ。

「佑、私は約束があるんだ」

父さんが厳しい表情で僕を見る。

「佑くん」

島岡さんの声がする。

「……つも」

「なんだ?」

父さんの少し苛立ったような声。

「あなたは、いつもそうだ。いつも……」

「………………」

「いつも、仕事、仕事で、いつもかあさんと僕は二人きりだった」

「佑、いい加減にしなさい」

「だから、かあさんだって…!」

「何を子供みたいなことを言ってるんだ。おまえだって社会に出れば、仕事がどれほど大切かわかるようになる」

呆れたような、ため息混じりの口調。僕は父さんをにらみつけた。そこへ、

「佑くん」

島岡さんが静かな声と共に割り込んできた。

「落ち着きなさい。中野さんは間違ったことはおっしゃってない」

そう言って、僕の肩に手を置いた。

「冴子は僕の妻だ。中野さんがここに来てくださったのは、事故のことを知って君が病院に来ることがわかったからで、君のことを心配してのことだよ」

そんなこと、そんなことわかって……。

黙ったままうつむいた僕の横を、父さんが島岡さんにもう一度軽く頭を下げて、歩き去った。


「ごめんなさい」

僕は小さな声で島岡さんに謝った。

「頭冷やしてきます」

そう言って島岡さんに背を向けた所で、グッと胸が締め付けられるような感じがした。息を吸おうとしてもうまく吸えない。

「佑くん?」

島岡さんに悟られないように足を前に出した。体が小刻みに震え出す。

「……すく…」

廊下の先に階段マークがついたドアが見えた。

息が出来ない。頭の中がわんわんして音が聞こえない。

ドアを開けて階段を降り始める。

視界が揺れた。

「危ないッ!」

一瞬の闇のあと、誰かの腕の感触。

僕はその腕にしがみつきながら、ズルズルとその場にすわり込んだ。

「佑!」

堀井の顔が見えた。

息が……。

震える両手をのどに持っていっても、息がうまく出来な……。

苦しい。

「佑、俺を見ろ!」

堀井の両手が僕のほおをはさむ。

「佑!佑、俺を見ろ!」

堀井の声がよく聞こえない。堀井の顔が僕に近づく。

え!?───え?い、今、キ……。

「佑、俺を、見ろ」

堀井は同じ言葉を今度はゆっくり静かに言った。

視界の揺れが収まった。自分の荒い息づかいが耳に届く。

「……ほ…りい」

僕の声に堀井は表情をやわらげ大きく息をついた。

「大丈夫か?佑」

「あ…、うん。大…丈夫……」

まだ呼吸は荒かったけど、めまいや体の震えは収まっていた。

堀井はそれでもまだ僕のほおを両手ではさんだまま、じっと僕を見ている。それからフッと目元をなごませて、僕の額に自分の額をコツンと当ててきた。

「…ごめん。心配させちゃった、かな?」

「した」

堀井の手が僕の頭の後ろと肩に回され、堀井のほおが僕のほおにつけられた。

あたたかい。あぁ、堀井のにおいがする。

「ごめん……」

堀井のほおが離れた。

「心臓、止まるかと思った」

堀井の低い静かな声。

え…、堀井、顔、近…すぎ……。

その時上階でドアが開く音がした。堀井の舌打ちが聞こえた。

え?

堀井はすぐに、僕が壁を背にすわり込んでるその横に同じようにすわった。

上から降りてきた病院の職員らしき若い男の人が、僕たちを見て足を止める。

「どう、したの?」

「病棟、暑くて」

僕が笑ってそう言うと、

「ああ、そうだね。患者さんが寒くないようにしてるからね」

そう言って階下へと降りて行った。

「あのさ、堀井。今さらなんだけど…。てか、今思ったんだけど……」

僕が壁に背をあずけて話しかけると、堀井はわずかに僕をのぞき込むように顔をかたむけた。

「バイクの二人乗りって、免許取ってから…」

堀井の人差し指が僕の口の前に立てられた。

え?

「俺は佑を少しでも早く、無事に送ることしか考えてなかった」

え?え!?じゃあ、やっぱり…。

「戻ろう。島岡さん、心配してるかも」

堀井はそう言って立ち上がる。

「立てるか?」

僕は堀井が差し出してくれた手をつかんだ。

「堀井、それってかなりヤバ……わっ!」

グイッと手を引かれ、堀井の顔が間近にあった。

「その話は終わり。わかった?」

「わ…かった」

そう返事をすると堀井はすぐに離れ、ドアのほうに歩きドアを開けてくれた。堀井にうながされ先にドアを入ると、その僕の髪を後ろからクシャっとなでてくる。

「だから、それ、やめろ」


島岡さんの所に戻ると、手術が終わったということだった。

医者の話だと、あとは本人の生きようとする力だけだと……。

集中治療室のガラス越しに見たかあさんは、痛々しかった。

堀井と遅い昼飯を食べて、そのあと島岡さんと話して、僕はこのままかあさんの意識が戻るまで島岡さんの所にお世話になることになった。

堀井も残ると言ってくれたけど、さすがにそれはさせられない。


堀井と駐車場まで行った。

「電話、するから、番号。それとメッセも」

堀井に言われて、僕たちはまだお互いの連絡先を交換してなかったことに初めて気がついた。

「大丈夫か?」

「うん。堀井も気をつけて。…ありがとう」

堀井が僕から離れ、バイクのほうに歩き出す。

「あの…さ、堀井」

堀井が振り返った。

「原さんには、俺が名前で呼ばせてるんじゃなくて、むこうが勝手に…」

あれ?なんで今そんなこと言ってんだ?それにこんなこと言ったら、あの時僕が起きてたこと……。

堀井が僕の側に戻って来た。手がのびて来て、僕の頭は堀井の肩口に引き寄せられた。

「電話する」

堀井が僕の耳元でささやくように言う。

「……うん」

僕は額を堀井の肩に押し当てたままうなずいた。

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