第10話
「中野ッ!」
寮の近くまで来ると、前から凄い勢いで田上がかけてきた。
立ち止まった僕にぶつかるようにしながら止まると、田上は僕の両腕をつかんで頭のてっぺんからつま先までをせわしなく見まわした。
「ど、どうしたんだよ?」
「無事か!?」
真剣な表情でヒタと僕を見すえる。
「あ、ああ……」
気押されながらもうなずくと、田上は大きく息を吐き出した。
「良かった」
「田上?」
その場にしゃがみこんだ田上に、僕もすぐ横にしゃがんで顔を覗きこむ。
「おたくが原に連れて行かれたって聞いて……」
「ああ……」
「何もされなかったか?」
曖昧にうなずいた僕に、田上がそう言いながらもう一度僕の腕をつかむ。
「ああ」
僕はしっかりうなずいて見せた。
言えるわけがない。男にキスされただの、握られただの、なんて……。
「え?あれ!?聞いて、って…、誰から?」
ハタと思い出してたずねた。
「渋谷だよ。それから伊藤も図書室に居合わせたらしくて、二人してオレのところに来た。二人の機転……。いや、渋谷のかな?とにかく助かった」
「そう……」
渋谷と伊藤が、あの二人通学組なのに……。
「どしたの?」
一瞬考えに沈みそうになった僕に田上が問いかける。
「あ、いや、ああいう場合、さわらぬ神にってやつで、普通見て見ぬふりをするもんだとばかり……」
田上はニッと笑った。
「オレは渋谷と伊藤に、おたくが戻って来たことメッセするな。まだ探してくれてるはずだから」
田上はそう言って立ち上がった。
遅れて立ち上がろうとした僕の肩に手をかけ、
「堀井には言わないでくれるか?」
低く言う。
「アイツがこのこと知ったら逆上しかねないから……。今度また問題起こしたら、アイツ完全にアウトだ」
そう言って田上は自分の首の前に手を持っていき、それを垂直に横に動かした。
退学───ってことか。
「渋谷の機転って……」
「そ!堀井じゃなくオレに知らせたこと。伊藤は堀井に知らせるつもりだったのを、渋谷が止めたのさ」
田上はまたニッと笑うと、僕の肩をポンポンと叩いて校庭のほうに走って行った。
「おや、珍しい」
片手にトレイを持った田上が、僕の髪をツンツンと引っ張った。
「中野がメシ前に風呂に入ってるなんて」
キョロっと横目で見てきた田上に、僕はただ笑って見せただけで黙っていた。
僕は部屋に戻ると風呂に入った。原に触られた気色悪さからだった。
トレイを手に歩き出そうとした僕の腕を田上がつかんで引き止め、小声でささやいた。
「堀井のヤツ、何か感づいてたか!?」
すでにテーブルにつこうとしている堀井のほうを目で示す。
「いや、多分何も」
僕もそう小声で返す。
僕が部屋に戻った時には、堀井は風呂から上がったばかりだったらしく、夕飯の前に風呂に入ると言い出した僕をいぶかしがる様子もなかった。
「こういう時、世間に疎いヤツってのは助かるな。ずっと後になってから耳に入るかもしれないけど」
田上が小声で言って、ニッと笑う。そして、ひじで僕のことをつついた。
ハデな音がした。
僕はトレイを落としてしまっていた。
田上の驚いた顔に、つつかれた腹に持っていきそうになった手を止め、しかめそうになった顔を苦笑に変えて、すぐにしゃがみこんで食器を拾おうと顔を床に向けた。
「あ〜あ、ドジだね。掃除用具はこっちだよ」
頭の上で田上の声がしたと思ったら、手近なテーブルにトレイを置いた奴に腕を取られて、厨房脇のドアの向こうに連れて行かれた。
「ああ、片づけてあげるよ」
「すみません。お願いします」
食堂で働く業者の人が厨房から出て来てそう言ってくれたのを、そう言われるのがわかってたみたいに田上は歩きながら言葉を返し、奥の倉庫みたいな一室に入って行った。
ドアを閉め、僕を壁際に立たせると、有無を言わせぬ素早さで僕のシャツとセーターをたくし上げる。
「やっぱりやられてたのか」
僕の腹は内出血で色が変わっていた。田上はため息とともにそうもらす。
「他には?」
「これだけだよ」
僕はもう、しかめてしまう表情を隠さなかった。
「悪かった」
「田上が謝ることない。これぐらい平気だ」
「バカ言うな。殴られて内臓破裂を起こすことだってあるんだ。原のヤツは空手の有段者だぞ」
「えッ?」
拳を叩き込まれるほうが、なんて思ったけど、すっげーヤバい奴だったんだ。
僕はため息をついて壁にもたれかかった。
「だけど原のヤツ、油断も隙もあったもんじゃ…」
「原がどうしたって?」
声とともにドアが開いた。
堀井だった。
堀井は僕の入れてなかったシャツに目をとめ、それをまくり上げた。
僕の腹についたアザを見て眉をよせた。
僕はまたため息をついた。だけど、息を吐ききる前に乱暴な手つきであごをつかまれ、右を向かされた。それから左を……。
「堀…ぃ…」
言いかけたが、腕を取られて後ろを向かされ、背中のシャツをまくり上げられた。
調べてるんだ、僕の体を。他にキズがないか。
堀井の手が後ろから僕のジーンズのボタンを外しにきた。一瞬で理解した。次にどこを調べるつもりなのか。
ふりほどいてた。
「やめろよ!ホントにこれ一発だけだって」
振り返って堀井を見上げてギクリとした。
憤怒、とは、こういう形相を言うんだろうか。
いや、顔と言うより目だった。
顔の筋肉は動いていない。ただ、その目だけが怒りに燃え上がっているようだった。
僕に向けられているわけではないのはわかっていたけど、思わず硬直してしまった。
堀井が動いた。
「よせ!」
田上はドアを背に立っていた。手を上げて堀井を押し留める。堀井は黙って田上を脇にどかそうとしている。
「おまえを怒らせることがアイツの狙いなんだ!」
田上は堀井の腕をつかむ。堀井はそれを振り切り、田上を突き飛ばすようにしてドアに手をかけた。
「待てよ!!」
怒鳴っていた。
堀井の動きが止まる。僕を振り向いた。
「おまえ……、バッカじゃないの!?」
思いっきり呆れた口調で言ってやった。
「やられたの俺だぜ。俺が大丈夫だって言ってんだぜ!」
堀井が体ごと振り返った。
「いい加減にしろよ!俺はお姫さまじゃないんだ。自分がやられた分くらい自分できっちり返す」
「奴はそんな甘い奴じゃない」
堀井が低く言った。妙にわかったような態度にムッとした。
「だからおまえが出てくってのかよ!?頼みもしないのに」
堀井の眉がピクッと動いた。
「それで俺にはおまえの影に隠れておとなしく守られてろって言うのかよ!?」
言ってるうちに訳のわからない腹立たしさを感じてきた。
「冗談じゃない!空手の有段者がどうした!?こっちだってそこら辺の優等生とは違ってケンカなら慣れてんだ。やられっぱなしでなんかいてやらない。万一かなわなかったとしたって誰の助けもいらない。むこうの目的がおまえだからっておまえを恨みもしない」
一気に吐き出してみても、腹立たしさは収まるどころか増すばかりだった。
堀井は眉を寄せてじっと僕を見てた。
そのセリフが頭に浮かんだ瞬間、“言ってはいけない”と制止する自分と、“堀井がどんな顔をするか見たくないか?”とそそのかす自分がいた。
「安心しなよ。やられたからって、手首なん
て切らない」
「中野ッ」
田上の僕を制止するつもりだったのだろう声と、頬への衝撃はほぼ同時にきた。
「堀井!」
「リキ、出てろ」
田上の驚いたような声と堀井の低い声が、キンとしてる耳にかろうじて聞こえた。
「出てろ!!」
もう一度、今度は荒げた声。
ドアが開き閉まる音。
頬を押さえたまま、僕は顔を上げられなかった。
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