第9話

放課後、図書室で真面目に勉強始めたのは、堀井を見返してやりたい、っていうのも多少はあるけど、それよりも気になることがあるからだ。

それは、堀井がやさしい、ってことだ。

態度は変わらない。無愛想なのも、口が悪いのも変わらないけど、なんていうのか、空気───って言ったらいいのか、それが違う。

僕の家のこと少しぐらい知ったからって、安っぽい同情するような奴だとは思えない。あれは、同情とは違う。

けれど、とにかく、その空気が僕を落ち着かなくさせる。

それが、僕を閉室まで図書室にいさせる理由。

妙な音に我に返った。机を、ドアをノックするように叩く音。

顔を上げると生徒が一人立ってた。

ブレザーのボタンを全て外し、ネクタイをゆるめシャツの一番上のボタンもはずして、片手をズボンのポケットに突っ込んで、口元に皮肉っぽい笑みをかすかに浮かべて、すがめた目で僕を見おろしてた。

かなりの長身。堀井と同じくらいかもしれない。横は、今目の前の人物のほうが若干細い、といったところ。

どちらにしても僕よりかなりガタイはいい。

ブレザーの襟には“Ⅱ”のバッジ。二年生だ。

「おまえが中野だな?堀井と同室の」

ひそめられた声の中に、人を威圧しなれてる人間の匂いを感じた。

「そうですけど」

僕は相手の視線を真正面から受け止めた。相手がホゥという感じに目を見はった。

「話があるんだが、ちょっとつき合ってくれないか!?」

「お話ならここでうかがいます」

僕は視線を外さずに言った。

相手の口元の笑みが深くなった。

「あと半月ほどで期末テストだ。それに向けてみんな一生懸命勉強してる。ここで話してもいいんだが、そういう一生懸命勉強してる連中の迷惑になると思う。違うか?」

言葉は穏やかだけど、有無を言わせぬ響き。

そして言外に、顔を上げてはいないけど意識だけはこっちに向けてるだろう、ここにいる連中に“一生懸命勉強してろ。口を出すな”という含み。

「わかりました。どこまで行けばいいんですか?」

僕がカバンを持って立ち上がると、相手はフッと笑いをもらした。

「そう怖い顔をするな。話をするだけだ」


図書室を出ると、相手は僕の肩に手を回してきた。隙を見て逃げようとしても無駄だ、というところなのだろう。

外はもう暗くなり始めていた。

寮とは反対方向へと歩く相手に押されるように、僕も学校の敷地のはずれへと向かって歩くしかなかった。すれ違う人間はゼロだ。

連れて行かれたのは第一体育館裏に建ってる体育用具室だった。

押されて入ると、薄暗い埃っぽい中には他に二人。こちらもガタイのいい、どう見ても優等生とは言えないような奴らがいた。

「話ってなんですか?」

僕は、僕をここまで連れてきた男を振り返った。雰囲気からして、その男がコイツらの頭だろうと踏んだからだ。あとの二人が僕の左右に立った。

「度胸が座ってるな」

正面の男がからかうように言った。

「堀井が選んだのもうなずけるような気がするよ」

これは、どこか一人言めいて聞こえた。

「話、か……。そうだったな。この四月に起きた事件のことは知ってるか?」

僕は黙っていた。

「堀井が上級生三人を病院送りにした事件だ」

その前のいきさつがあるだろ!?

「そいつら、俺の知り合いでね」

ろくな知り合いじゃないね。

「堀井にはいつか借りを返したいと思ってたのさ」

何が借りだよ。

「だが、堀井の性格は知ってると思うが、本人に直接返したところで、あの男は大して痛みを感じそうにもないからな。俺はおまえみたいな存在があらわれるのを待ってたってわけだ」

また僕がなんだってんだよ!

「いい加減にしてくれよ」

僕は吐き捨てるように言った。

「みんなして寄ってたかって俺と堀井がどうとかって。冗談じゃない。関係ないね!」

正面の奴が面白そうに僕を見てる。

「おやおや、堀井の片想いか。今のそのセリフを聞いたら、さぞ哀しむだろうな」

僕は相手をギッとにらみつけた。

「おまえには関係なくても、こっちの目的は堀井を痛めつけることなんだ。理不尽と思うだろうが、あいつに関わった身の不運だと諦めてくれ」

来る、と思った瞬間、左の奴の手がのびてきた。飛びすさって避けたが、後ろの跳び箱にかかとが触れた。これ以上はさがれない。すぐに右の奴が動いた。その手を下からはね上げてかわしながら、正面の奴に突っ込んで行った。

振り上げた拳は顎の先をかすっただけだった。しまった、と思った時には腹に一発ぶちこまれてた。

胃が口から飛び出そうな苦しさに、体を折って両膝をついた。吐き気に喘いだ。

後ろから左右の腕を取られて立たされた。歯を食い縛り、正面との奴との間合いをはかった。

今だ!

そう思って蹴り上げた右足は、しっかりと奴の両ひじにブロックされてしまった。

背を強く押されて、また両膝をつく。

奴が口笛をふいた。

「おまえ、身のこなしが早いな。それに、こういったシーンは初めてではないらしい」

僕は歯を食い縛ったまま相手をにらみ上げた。

「綺麗な顔してケンカには慣れてるらしいが……」

相手の指先が僕のあごを捕らえた。その指先があごのラインを滑る。相手が僕の前に片膝をついた。指が僕の喉へと移る。下におりていく。

な……に……?

シャツの上から僕の胸をたどる。

え……?

田上の話を思い出した。ある一言を───“マワしたんだ”

手がベルトにかかった。

「や……めろ」

相手は冷静な表情で僕を見てる。ファスナーがおろされていく。ことさら、ゆっくりと……。

「よせ!」

腕を振り切ろうともがいたが、余計強くねじ上げられた。痛みに顔をしかめた。

手が入ってきた。直接触れられた。思わず腰が引けた。

許さない!

拳を叩き込まれるなら、まだいい。だけど、これは、この行為は許さない。絶対に!!

「許さない」

相手をねめつけたまま、絞り出すように言った。

「てめぇら絶対に許さない。俺は世をはかなんで手首切るような人間じゃねぇんだ。どんなことしてもてめぇらにきっちり倍返しさせてやる」

そこまで言った時、強く握られた。思わず歯を食い縛る。

正面の奴が僕の髪を掴んだ。上向かされ、口がふさがれた。奴の唇で。奴の手が動く。きつく目を閉じた。

フッと、解放された。

え!?

目を開けた。

「もういい、離してやれ」

「原!?」

後ろの一人がいぶかしげな声を出す。

原と呼ばれた奴は立ち上がってた。

「もういい」

原はもう一度言った。

腕が自由になり、僕は急いで立ち上がって服を直した。

「中野、おまえ、名前はなんていうんだ?」

原が僕に一歩近づく。僕は一歩下がった。

「教えろよ。本当なら三人でおまえをマワすところだったんだ。それぐらいいいだろう」

何勝手なこと言ってんだ、コイツ!

「中野」

原がまた前に出る。後ろには他の二人がいる。

あごに手がかけられ、僕はすぐさまそれを叩き落とした。また後ろの二人に腕をつかまれる。

原がもう一度あごに手をかける。僕は舌打ちした。

たすく

「タスク?」

原は口元に笑みを浮かべた。

「じゃあ、佑。俺はおまえが気に入った。おまえのことを正攻法でおとしてみたくなった」

「は!?」

「堀井に言っておけ。原が、中野佑をかけて宣戦布告する、ってな」

「バカなこと……ッ」

「本気だ」

原の顔から笑みが消えてた。あぜんとしてしまった。

「ん…ッ」

その一瞬のすきをつかれて、僕はまた原に唇を掠め取られた。

「勝利の前祝いだ」

原はサラリとそう言った。

な、な……。

原はニヤリと笑うと、憤死寸前の僕を残して立ち去った。

ふ、ふざ……、ふざけやがって、あの野郎ぉ〜!!

ギリッと歯ぎしりして、拳を握りしめた。

「イッ……テ…」

力を入れた途端によみがえった腹の痛みに、思わずその場にしゃがみ込む。

「くっそォ!」

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