第8話

田辺耕造って政治家は、ここのところニュースや新聞を見なくなった僕だって知ってる。衆議院議員で以前、何かは忘れたけど大臣を務めて、党の中ではまだ若いけど、いずれは党首つまり総理にって……。

一言で言えば大物だ。

「ピンとこないよ」

今の僕の正直な感想だった。

「だって堀井は、無愛想で口が悪くて、態度デカくて可愛げなくて、いちいち頭にくる奴で、それから…」

「わかった」

もっと言い募ろうとした僕を、田上が両手を上げて止めに入った。

「わかった。もういいよ」

そう言った田上の目元が笑ってた。

その時、ドアがドンドンと鳴った。堀井が手がふさがってて開けられないのだろう。

「おたくならそう言うだろうと思ってた」

田上が立ち上がってドアへと向かいながら言った。

戻ってきた堀井の顔を、僕はそっと盗み見た。

テレビで見たことのある政治家の顔と頭の中で比べてみたけど、堀井は母親似なのかもしれない。

ついチラチラと何度も見ていた僕の視線に気づいて、堀井がいぶかしげな顔をする。

「あ、そうだ」

そこで田上が声を上げた。

「中野におみやげがあったんだよ」

そう言って脇に置いてあった紙袋の中から紙包みを取り出して、僕に投げてよこした。

軽い。

「開けてごらんよ」

言われて包みを開けると、出てきたのはステンレス製のマグカップだった。

「これ……」

「そ、堀井とおそろい」

田上が嬉しそうに言う。

なんかドッと疲れる一言。

「……ありがと」

言いながらも笑いがひきつってしまう。

いいけどね……。

堀井は僕がカップを持ってないせいか、僕が来てから一度も棚にあるカップでコーヒーを飲んでるところを見たことがないから。


「今度オレの部屋に来てごらんよ。コタツがあるから」

「コタツ?」

夕飯をすませて寮に帰って来て、階段を上り始めたところで田上がそう言った。

「そんなもの持ち込んでいいの?」

驚いてたずねると、

「いけないという規則はない。上村は渋い顔してたけどね」

田上は平然と、だけど後半は声をひそめてそう言った。

「堀井」

その上村の声が玄関のほうからした。僕はドキリとして振り返った。田上も同じだったようだ。僕たちより遅れて、堀井はちょうど階段に足をかけたところだった。

「中野はいるか?」

上村の声。

堀井はチラリと僕のほうを見上げてから、

「ええ、いますよ」

と答えた。

「呼んでくれ。お母さんが面会にみえてるんだ」

かあさん───?

僕は階段をかけ降りた。最後の二、三段でコケそうになって、堀井に抱き止められた。

“ごめん”と謝って玄関のほうに目を向けると、上村の後ろに驚いたような顔のかあさん───いや、島岡冴子さんが立ってた。


「元気そうね」

玄関ホール脇の応接室のソファに僕と彼女は向かい合ってすわった。

「さっきの子は同級生?」

「え?ああ、堀井?そう、寮で同室なんだ」

なんとなく照れくさくて、僕は彼女の顔をまともに見られないでいる。

「ずいぶん大きな子ね。佑ともたまに会うとすごく大きくなったと思ってたけど、同じ年であんな大きな子もいるのね」

彼女は感心したようにそう言った。

「わがままとか言って、迷惑かけてない?」

「かけてないよ」

「ホントかしら」

彼女の笑いながらの探るような目に苦笑する。その彼女の目元から笑みが消えた。

「驚いたのよ。多恵子さんに連絡したら、ここに移ったって聞いて」

僕は一瞬唇をかんだ。

僕が小さい頃からウチで働いてくれてる多恵子さんは、かあさんと仲が良かった。

「佑、メッセでも何も教えてくれないんだもの」

「ごめん、心配かけて」

僕は顔を上げて笑顔を見せた。

「でももう大丈夫だから」

「本当?」

「うん」

僕がうなずくとやっと笑みをうかべた。

「そう、それならいいけど……」

彼女はちょっと首をかしげた。

「ねえ、佑。お父さま、あれでも佑のこと心配なさってるのよ」

「わかってる」

声が固くなりそうになるのを必死でおさえた。

「あまり心配ばかりかけては、お父さま、可哀想よ」

「……うん」

笑顔が強ばりそうになる。

「大丈夫だから。僕のことより、かあさんはどうなの?島岡さんとは仲良くやってる?」

「ええ…」

彼女は戸惑ったような笑みをうかべた。

「そう、良かった」

僕がそう言うと、その笑みははじらいを含んだようなものに変わった。

「あ、忘れてたわ、これ」

彼女はそう言って紙の手さげをさし出した。

「おせんべいなの。お友だちと食べなさい」

「サンキュ」


島岡さんを駐車場の車の中に待たせてると、そのあとになって言い出した彼女を僕は早々に帰した。

「お帰り」

部屋にもどると、堀井がそう声をかけてきた。堀井はまたベッドで参考書を広げてた。

「食べる?」

僕は持ってた手さげを堀井のベッドの上に置き、自分のイスに腰をおろした。

「おまえは?」

「今いい……」

堀井は包みを開け始めた。

「コーヒー飲むか?」

堀井がベッドから降り、棚のほうに歩きながら言った。

夕飯に出かける前に、田上が買ってきてくれたカップを洗っておいたのだ。

「うん」

「お袋さん、美人だな」

「うん、結構ね」

僕はそう応じた。

「中野はお袋さん似だな」

堀井の言葉に、僕はコーヒーをいれてるその背中を見た。

それって、僕もビジン…ってことか?

僕は苦笑して、堀井が振り返るのを待った。そして、カップを持って歩いてきた堀井にさらりと言ってやった。

「そんなわけないよ。継母だもん」

堀井は僕にカップを差し出したまま眉をひそめた。

僕は“サンキュ”と言ってカップを受け取った。

「俺の母親、俺産んで何ヶ月かで死んじゃっててさ、さっきのかあさんが俺が三つの時、親父と再婚して俺を育ててくれたわけ。だから、継母って言っても俺にとっての母親はあの人一人だけど」

「そうか……」

堀井は僕のほうを向いて自分のイスにすわった。その堀井に、僕はもう一言つけ加えた。

「今は他の人の奥さんだけどね」

堀井がハッと目を見はったのがわかった。

僕はなんでもないことのように少し笑みをうかべて見せてから、カップを口に運んだ。


今まで家のことを話した奴はいない。

以前一緒にツルんで悪さをしたことのある奴らにも、誰にもしなかった。

けど、堀井には話してもいいような気がした。

僕ばっかりが田上から堀井のこと色々聞かされて、フェアじゃないような気もしてた。たとえ、田上から“聞かされた”だけだったとしても。

それになんとなく合点がいった。なんで田上も堀井も僕になんにも聞いてこないのかって理由が……。

今まで何度か転校をくり返して、その度にまわりの連中は僕のことを根掘り葉掘り聞いてきた。

それがあの二人はほとんど何も聞いてこない。そしてあの二人と一緒にいたおかげで、他の人間に色々聞かれることがないままに日が過ぎて、改めて僕に何か聞くのは“今さら”って空気が出来てしまっている。

あの二人が何も聞いてこないのは、堀井が普通とはちょっと違う過去があって、もしかしたら僕と同じような思いをしたことがあるから。

そして田上もそういう堀井を知ってるから。

あれ?そう言えば、田上はなんで堀井のこと色々知って……。

「よっ」

「わあッ」

肩をたたかれて、つい声を上げてしまった。

本校舎の廊下である。

「ど、どしたの?」

たたいたのは田上で、田上のほうが驚いていた。

「いや、なんでも……」

僕は笑ってごまかした。

「眉間にしわ寄せて歩いてるからさ、何かあったのかなぁ、と思ったんだけど」

田上が笑みをうかべながら、上目遣いに僕を見る。

コイツはホントに良く見てるよなぁ。

「別に、何もないよ」

「ふぅん。ま、いいや。で、今日もこれから図書室?」

「そう」

僕は苦笑してうなずいた。ここ数日、放課後は図書室に行っている。

「堀井にアホ呼ばわりされたのが、そんなに悔しかったわけ?」

「それもあるけどね」

僕はそうボソッと言った。

「中野って前の学校じゃ成績優秀だったんだ」

「え?」

「じゃなかったら、普通悔しくなんかないし、勉強頑張りだしたりしないでしょ?」

田上はホント勘がいい。

「当たらずとも遠からず、だね」

僕の言葉に田上がキョロっと僕を見る。

「前の学校じゃなくて、ず〜っと前の学校でね」

僕はそう言うと、ヒラヒラと手を振ってその場を離れた。

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