第7話

「俺はいいよ」

来たな、と思いながら僕は出来るだけやんわりと断りの言葉を口にした。

土曜の朝、解放感からか食堂にいる連中はみんな浮かれているように見える。

「何か用事でもあるの?」

田上が最後にすすった味噌汁の椀をトレイに置きながら聞いてくる。

「別に。行きたくないだけ。俺はいいから、二人で行ってくれば?」

口元に笑みの形を作ってそう言うと、僕はお茶を口に運んだ。

田上がチロッと堀井を見た。しばしの沈黙。

僕はお茶を飲み干して立ち上がった。

「じゃ、おみやげ、よろしく」

勘が良くて細かな気遣いをする田上に余計な気を使わせないために、わざとそうリクエストして、トレイを手にテーブルを後にした。


食堂を出て、行くあてもなく歩き出した。

今日は部活もあるみたいだから、外出する奴はそんなにいないのかもしれないけど、明日は?

明日の日曜日はきっと多いだろう。

もしかしたら田上たちも二日連チャンで外出するかもしれない。

また誘われたら、今度はなんて断る?来週は?再来週は?

あ、ダメだ。考えがどんどん暗くはまっていく。

僕はため息をついた。

いっそ、外出が許可されていないってバラすか。でもその理由を聞かれたら?

実は僕はとんでもない不良生徒でして───てか!?

どんな顔するかな、あの二人。

僕に対する態度が変わるかな?僕から離れていくかも……。

どうってことないさ。まえと同じになるだけだ。

苦笑がもれた。


「堀井……」

適当にブラついてから寮に戻ると、部屋の鍵が掛かっていなかったので不思議に思いながらドアを開けたら、堀井が居た。

ベッドに足を投げ出して座って、参考書か何かを広げている。

「田上は?」

「あいつは出かけた」

「なんで行かなかったの?」

僕の問いに、堀井は無表情な顔を向けた。

「田上が三人で出掛けようって言ったから行く気になってただけで、どうしても行きたかったわけじゃない」

え、何?

じゃあ、僕が行かないって言ったから、それで堀井も行くのやめたとか?

何考えてんだろうね、コイツ。

「一人で居たかったのか!?」

ついため息をついた僕に、堀井がいくぶん声を落としてたずねる。

「いや、別にそうじゃないけど……」

“けど、なんだ?”っていう顔で堀井が見てる。

僕は軽く首を振った。

特にすることもないので、イヤホンをして、スマホで音楽を選んで、机の前にすわった。

流れ始めた洋楽に、なんとなく英語の教科書とノートを開いた。

アップテンポの曲が流れると、ついシャープペンの尻でノートの上を軽く叩いてしまう。

左耳のイヤホンを外された。

いつの間にか堀井が隣にかがみこんでいて、外したイヤホンを自分の耳に近づけた。

「ああ、これ聴いてたのか」

そう言いながら体を起こして、イヤホンを僕に戻す。

「知ってんの?」

棚のほうに向かって歩く堀井に、イスを回しながらたずねた。堀井は答えずに棚へと歩き、一枚のCDを僕に見せた。今聴いていたアーティストのCD。

ああ、そうだった。ここに来た初日、音楽の好みは合いそうだと思ったんだっけ。

昔は音楽聴きながら、真面目に勉強してたよな。

フッと苦笑してしまってから、ハッとして隣をうかがうと視線が合ってしまった。

「何一人で笑ってんだ!?」

「あ、いや、昔は音楽聴きながら真面目に勉強してたなぁ、って思い出して……」

「昔?」

堀井の眉がかすかに寄せられる。

しまった。うかつなことを口にした。

「あ……、う…ん、そう昔。最近はあんま、真面目に勉強してないから……」

曖昧な笑みを浮かべてそう言った僕を、堀井はじっと見つめ、それからおもむろに、

「じゃあ、最近どのくらい不真面目なのか見てやる」

と言った。その口元に一瞬意味ありげな笑みが浮かんだような気がした。


「アホ、違う」

やっぱりあの笑みは気のせいじゃなかった。

堀井に勉強を見てもらい始めて、途中昼飯をはさんだけど、“アホ”と“バカ”はもう何十回言われたかわからない。

クッソ〜、反論出来ないところが悔しい。

「合ってるよ。やりゃ出来るじゃないか」

堀井が示した問題をやっとの思いで解いたら、これだ。もうヤダ。

僕は机に突っ伏した。

「どうした!?もうネをあげたのか?」

笑いを含んだ声。僕はじっと動かなかった。

「疲れたのか?」

返事をしなかった。

「中野?」

いくぶん心配そうな声とともに頭にそっと手が置かれた。

暖かい。

その手がスッと首におり、指先がゆっくりと首筋をもみ始めてくれた。

「気持ちいい……」

顔を伏せたままそうつぶやくと、指先の圧力が背中のほうにおりて行く。

顔を堀井のほうに向けて目を開くと、のぞき込むようにじっと僕を見ている視線とぶつかった。何故かその目の色にドキリとした。

外せずにいると、堀井もじっと視線を動かさない。

指先はまた首筋のほうに上がってくる。

その手が止まり、髪に触れられる感触があった。

堀井の目の色が深くなる。

鼓動が跳ね上がると同時に立ち上がった。

「わ…っ」

「中野!」

つもりが、バランスを崩してイスごと横倒しになりそうになった。差し出された堀井の腕が視界に入って、とっさにしがみついた。

ハデな音を立ててイスが倒れ、もう少しで床に顔から激突しそうな所で、僕は堀井の腕にささえられてた。

ホッと息をついた。

「サンキュ」

そう言って首だけをねじって見上げると、堀井は左腕一本で僕をささえ、両ひざ右手を床についた格好のまま、僕を見つめていた。僕をささえている左腕に力が入るのがわかった。

再びドキリとした時、咳払いが聞こえた。

ハッとして見ると、ドアのところに田上が立っていた。

「せっかくのところ邪魔してごめん。声をかけたけど返事がなかったんで…」

「ちが…ッ」

反論と一緒に跳ね起きようとしたら、堀井は僕を抱えたまま、やすやすと立ち上がって腕を離した。

なんか、ひどく軽々と扱われてないか?ヤんなるね、この腕力の違い。

「中華まん買って来たんだけど、お取り込み中なら出直してくるよ」

「食う!」

田上の言葉に僕は即座に叫んでた。

田上が一瞬あっけにとられたような顔をして、すぐに吹き出した。堀井も笑いをこらえているような顔だ。

「あ、だって、冷めたら美味しくないと思って……」

ボソボソと言った僕に、田上が“はいはい”と大きくうなずいた。


田上は肉まんとあんまんとピザまんとカレーまんを買ってきてくれてた。

一人頭二個ずつということなんだけど、全部食べたくて決めかねてた僕に、堀井は苦笑しながら半分に割って全部を僕の前に並べてくれた。

「飲み物買ってくる。何がいい?」

「オレ、烏龍茶」

立ち上がった堀井に田上がそう言った。

「俺、ホットコーヒー、アメリカン、ミルク入り砂糖なし、ミルク増量」

カレーまんにかぶりつきながらニッコリ笑って言ってやると、堀井の動きが一瞬止まる。

「覚えただろ!?頭イイんだから」

そう言った僕にジロリと一瞥を投げてきたけど、堀井は黙って出て行った。

ドアが閉まると、田上がふとため息をついたのがわかった。

「どしたのさ?」

問うと、なんとも言えない笑みを浮かべる。

「堀井の笑顔は久しぶりだからさ」

「………………」

「アイツが人を近づけなくなったのは、例の事件のせいだけじゃないんだよ」

「え?」

「アイツ、私生児なんだ」

シ……セイジ───って。

「政治家の田辺耕造のお妾さんの子供なんだ」

田上は淡々とそう言った。

「た、田上、ちょっと、待……」

田上がとんでもない話を始めたと思って“待って”と言おうとしたが、逆に片手を上げて制されてしまった。

「堀井のこの事は知ってるヤツが結構いる。子供の頃は誰が誰の子供でどんな生い立ちでも、構わずみんなで転げ回って遊んでいられる。だけど、だんだんモノがわかってくると、“コイツが好きだから友だちでいたい”って、それだけじゃ通らない時もあるって、体験しちまったんだよ、アイツ」

田上はわずかにうつむいた。

「オレたちも、いずれ社会に出て行く。まだ先の話って思ってるヤツもいれば、今からその時のことをきっちり計算してるヤツもいる」

「………………」

「おたくはどう?」

田上は顔を上げて僕を見た。

「え……?」

「堀井の出生を知って、どう思った?」

田上の初めて見るような真剣な目が僕を見てた。

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