第6話

冗談じゃない!

なんでこの僕が男と───それもよりによって、あの堀井とできてるってことにならなきゃならないんだ!

ここの連中、こんな山の中で生活してるから、だからおかしくなってるんだ。

「……かの」

まったく!冗談も……。

「中野」

「え?」

呼ばれていることに気がつき、僕は立ち止まって振り返った。

「おまえ、足が早いな」

感心したような呆れたような表情で、伊藤が近づいてきた。息がはずんでいる。

「あ、ごめん」

寮へと向かう坂の登り口だった。

この学校はとにかく広い。

一年から三年の全教室が入ってる本校舎と、その横の職員室や特別教室などが入る本館から、僕の部屋がある第三寮まで、最短コースをとっても普通に歩いて十五分はかかる。

その最短コースも三つあるグラウンドのひとつ、野球専用のグラウンドの真ん中を突っ切ればの話で、朝や放課後の部活が毎日のようにあるのだから、ほとんど使えない。

「何、なんか用?」

僕が聞くと、伊藤は一瞬ためらいの表情を見せた。

「あ、えっと…、堀井とうまくやってる?」

は?

「何それ!?」

伊藤の言葉に、僕は思いっきり冷ややかな目と声で問い返した。

「あ、いや、ここ二日くらい別行動とってるみたいだから、ケンカでもしたかなって……」

伊藤は困ったような顔をした。

「ずいぶんと良く見てるね。気になる?」

たっぷりと皮肉をこめて言ってやった。

「そりゃ、なるよ。中野にも早くクラスやこの学校に馴染んでほしいし、堀井にも、あんな不完全燃焼みたいな状態からぬけ出してほしい。そのきっかけが中野の存在なら、なおのこと……」

ハッ、なんだろうね、このまさしく委員長って感じのセリフは……。

「伊藤」

「何?」

邪気のない顔しやがって!

「俺と堀井がどうのっていう気色悪い噂が流れてるらしいんだけど」

伊藤も知ってるのか、一瞬ハッとしたように僕を見た。

「伊藤、あんたこそ堀井にホレてんじゃないの?」

「なッ、違う!そうじゃない」

なんだろうね、この慌てよう。

「た、確かに、堀井には憧れてる」

あらら、赤くなっちゃって。

「だから、今みたいな堀井を見てると歯がゆくて、なんとか前みたいな堀井に戻ってほしくて、色々働きかけた。でも、ダメだった」

伊藤が自嘲めいた笑みをふと浮かべた。

田上が言ってた、堀井が近づけさせなかった人間の一人に、この伊藤も入ってるわけね。

「俺じゃダメだったんだ」

伊藤はそう言ってうつむいた。

「それで俺にどうしろっての!?そもそも、前みたいに戻ってほしいって、伊藤の勝手な思いだよね?」

突き放すように言った。

伊藤は弾かれたように顔を上げ、不機嫌丸出しの僕の顔を見て、ひどく困惑してるようだった。

僕はわざと大きなため息をついた。

「堀井とはケンカもしてないし、噂にあるようなことはもちろん何もない。普通に、平穏にやってるよ。ただあの噂が煩わしいだけ。これで気が済んだ?」

投げやりな口調でそう言うと、伊藤はすまなさそうな表情を浮かべた。

「ここまで心配してくれる人間がいるんだから、堀井は幸せ者だよ」

きびすを返しながら僕は、嫌味でなく、そうつぶやいていた。


「中野」

寮の玄関ホールを過ぎようとしたら、上村に呼ばれた。後について管理室に入ると、上村は僕を振り返った。

「実は、君のご父兄から依頼があってね」

表情が強ばるのがわかった。

「君に、一ヶ月間外出を許可しないでほしいとね」

上村の淡々とした言葉に、口元がピクッとひきつった。

「君がなんの問題も起こさずにこの一ヶ月間を過ごせば、その後は許可してもいいということになった」

「わかりました」

僕はそれだけ言うと、上村に背を向けた。

「中野」

呼ばれたのに振り返りもせずに管理室を出る。

我ながらよくあんな平静な声が出せたと感心した。

けど、それもそこまでだった。

「どうした!?」

声に顔を上げると、玄関ホールを横切ろうとしてた堀井が立ち止まって僕を見てた。

「別に」

出てきた声は思いっきり固かった。

しかめそうになる顔を見られたくなくて、すぐに背けて、再び靴をはいた。

「おい」

堀井がそばに来て肩に手をかけた。その手を思わず叩くようにはらってしまった。

周りにいた奴らのざわめきが途切れ、視線が集まった。

堀井は怒るでもなく、ただじっと僕を見てる。視線を合わせていられずに飛び出した。


誰とも顔を合わせたくなかった。グラウンドでは野球部員がボールを追いかけていた。体育館からも声が届いてくる。音楽室からだろうか、吹奏楽部の楽器の音が流れてくる。

僕は本校舎に足を踏み入れた。シンと静まっている廊下を足早に歩き、階段を駆け上がった。屋上まで……。

屋上に踏み出し、人気のないのを確かめて、僕は詰めていた息をやっと吐き出した。

一ヶ月間、なんの問題も起こさなければ───だって!?

笑いが洩れた。

「最高。すごいよ。傑作だよ、クソ親父」

笑いながらつぶやいた。

くっそーッ!!

大声で怒鳴りたいのをこらえ、持っていたカバンを両手で床に叩きつけた。

両ひざをつき、カバンに拳を叩き込んだ。何度も、何度も。

息が切れ、ついでに手も切れていることに気づいた。カバンの金具か何かで切ったらしい。

そのままコンクリートの床に大の字に転がった。

見上げた空は、蒼と赤紫と茜色のコントラスト───

まだ部活に励んでる奴らの声が遠く聞こえる。

風が熱くなったほおを冷ましていく。

目を閉じた。大きく息を吸い込んで、吐き出した。

このまま、空か、あるいは大気に溶け込んでしまえたらいいのに……。

ゾクリときた。全身に鳥肌がたつ。

横向きになって、自分の両腕をつかみ、ひざを曲げて歯を食い縛った。

体の奥のほうから小刻みな震えがくる。

「くそ……」

食い縛った歯の間から、無意識につぶやきが洩れた。

いつの頃からか、精神的に不安定になると出るようになってしまったこの症状。

もっと酷い時には息も出来なくなって、最悪意識を失くす。

情けない。腹立たしい。こんなに弱かったのか?これくらいのことで……!

「おい」

頭上からかかった声に、驚いて目を開けた。

堀井が僕が転がってる床の頭の上のほうにしゃがみこみ、僕を見おろしていた。

堀井の手が僕の頭に置かれた。大きな暖かい手が僕の前髪をかき上げる。

「大丈夫か?」

低くささやくような声。

僕は目をつぶり、大きく息をつくと、目を開いて体を起こした。

震えはおさまっていた。

堀井が床に座り込んだ僕の右手を取って、自分の口元に……。

「わぁッ」

僕は自分の手をひったくった。

堀井が舐めたのだ。僕の手を、ペロリと。

「血が出てるから」

堀井に平静な声で言われて思い出した。そうだ、さっきカバンで……。

「だからって、何も舐めなくても…ッ」

「何かあったのか?」

わめき出しかけた僕を、堀井の平静な声が制した。見つめられて、目をそらした。

「別に……」

言葉を濁した僕を、堀井がなおも見つめてくるのがわかる。

「なら、いつまでもコンクリートに座り込んでないほうが良くないか?」

「え?」

顔を上げて堀井を見た。

「痔になるぞ」

堀井の顔は真面目だった。

僕は何度かまばたきをしてから、吹き出した。

「テッ……」

笑い転げてなかなか止まらない僕の頭を堀井が小突いた。

にらみつけると堀井はすでに立ち上がって僕のカバンを拾い上げてた。

「行くぞ」

横柄な口のききかたにブスッとしながらも僕は立ち上がり、堀井のあとについて歩き出しながら、目尻の涙をぬぐった。

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