第5話

センターというのは学生センターという、並んで建つ三つの寮と、林を隔てて建つ施設だ。

ここには面積の半分にテーブルとイスと観葉植物がある程度の間隔で置かれ、飲み物とカップ麺の自販機が片側の壁に並び、上半分がガラスの壁で仕切られた残りのスペースには、ゲーム機とビリヤード台が数台ずつと、昔風のジュークボックスがあるという場所だった。

ただ娯楽設備の電源は九時に切られてしまうから、僕が行った時には隅のほうに田上と、あと上級生らしい数人のグレープが中程のテーブルについていただけだった。

田上の前に紙コップがあるのを見て、僕もコーヒーを買ってからテーブルにむかった。

「で、どういうこと?」

イスにすわると僕はさっそく切り出した。

「コブ出来てるって?」

「あ、ああ……」

コイツ話ごまかす気じゃないだろうな。

「おたくが吹っ飛んだ時、堀井が真っ先に駆け寄ったって……」

「さあ…」

あ、そう言えばアイツの顔が見えたよな。意識なくす前。

「みんながワラワラ駆け寄って来た時、スックと立ち上がって」

田上は意味ありげにキョロっと僕を見て、

「こいつにさわるなぁ!!」

「びっ……!」

…くりしたぁ……。

「誰もいないよ。さっき出てった」

入って来た時にいた人達を気にして振り返った僕に、田上は笑いながらそう言った。

「堀井はそう怒鳴って、そして保健室まで走って行って、先生を引っ張って戻って来た」

「らしいね」

僕は憮然として言った。

「先生が脳しんとうだって言ったら、大きな安堵のため息をついて、“じゃあ、動かしても大丈夫ですね”ってたずねて、おたくを両腕に軽々と抱き上げて保健室まで運んだ」

「………………」

そのくだりは保健室でうかがってます。

「それからグラウンドに戻ると、おたくを撃沈させた相手───渋谷っていうんだけどね───その渋谷にむかって、“シュート体勢に入ってる相手に手を出したらどうなるか、そんなこともわからないのか”って、ものすごい形相で怒鳴りつけたって」

「あ、だから、さっき……」

その渋谷は堀井にまで頭下げてたのか。

「そういうこと」

田上はそう言って紙コップを口に運んだ。

「そういうこと、って…。まだあるだろ!?」

僕が言うと、田上は横目でこちらを見た。

「まあ、つまり…。ここ数日でもうわかったと思うけど、堀井は孤高を保ってたんだ」

「そうみたいだね」

「だけど昔はああじゃなかった」

「昔?」

「そう、ここに入る前まではね」

「じゃあ、中学までってこと?」

田上はうなずいた。

「堀井、ここの附属にいたって聞いたけど…」

「ほうほう、その通りだよ」

田上は胸の前に腕組みをして、何度もうなずいた。

「その頃は色んな運動部から引っ張りだこだったって」

「まさしくその通り」

田上は感心したようにそう言った。

「俺が知ってるのは、ここまでなんだけど」

「あ、そ?」

田上は腕を解いて、ひとつ咳払いをした。

「そう。中学時代の堀井は勉強にも運動にも全力投球って感じだったよ」

「それを知ってる田上も、同じ附属の出身なんだ?」

「するどい!」

田上は右手の人差し指を立てた。

「で、今はどうかと言うと、どこの部にも属さず、試験の時は半分まで解いて、あとは白紙で出すっていう状態だ。もちろん解いた半分はほぼ正解」

僕はため息をついた。

「それってもしかして、すっごい嫌味じゃない!?」

田上は肩をすくめた。

「結果である点数しか見なければ、ほとんどの人間は内容までは知らんでしょ?まあ、どの教科も、それから平均点が高かろうが低かろうが同じ点数なんだから、気がつく人間もいるけどね」

自分の学力に余程の自信がなきゃ、そんなこと出来ないよな。

僕はまたため息をついた。

「それで、なんでそんなふうになっちゃったわけ?」

「そこだ」

田上はまた人差し指を立てて、身を乗り出してきた。

「ここの入学式の前、堀井と寮が同室になることが決まっていた奴がいた。華奢な守ってやりたくなるような、ちょっと可愛い感じの子だった。その子のことを二年生のある生徒が気に入って交際を申し込んだ」

「は?」

僕は一瞬、耳を疑った。

「交際……って、ここ、男しかいないだろ!?」

「もちろんだ」

田上の“何を今さら”っていう顔に、僕は何度目かのため息をついた。

「ところが、その二年生はふられたわけさ。実はその子は堀井のことが好きだったんだ」

どうも話がついて行けない世界に入り込んでる。

「……それで?」

「それで頭に来たのは、その二年生さ。ふられたこと自体もだが、相手が堀井っていうのが気に入らなかったのさ、あちらさんには。前から鼻持ちならなかった。つまり、出る杭は打たれるってやつだな。それで、仲間に声を掛けて何をしたかっていうと───」

田上の声が少しずつ低くなった。

「その子を呼び出して、マワしたんだ」

「え?」

「それでその子は───」

田上は自分の右手の人差し指を左の手首に当てて、上から下にスッと引いた。

「……死んだの?」

自分の声も低く掠れているのがわかった。

しかし───

「んにゃ。発見が早くて一命は取りとめた。けど、そのままやめてった」

僕はホッと息をついた。刃が皮膚に滑り込む感触を思って、微かに震えがきた。

「ことの詳細を知った堀井は、その二年生三人を───」

田上は今度は拳を握った。

「で、三人とも病院に担ぎ込まれた。入院とまではいかなかったけど…。三人ともかなりガタイのいい運動部の連中だったんだけどね」

ゲッ。

もしかして転校して来た日、堀井に殴りかからなくて済んで良かったかも……。

「事件が全て学校側に知れて、三人は退学。堀井は事情が事情なんで、謹慎だけで済んだけど、それから奴はああなっちゃったわけ。勉強も運動も実力を発揮しようとしない。人とはある一線以上踏み込まない、踏み込ませない。ところがだ!」

田上はビッと僕を指差した。

「へ?」

人を指差してはいけません、って教わらなかったのか!?

「何?俺!?」

「そう!おたくだよ、中野」

田上はまたズイッと身を乗り出してきた。

「その堀井がおたくのことは側に置いてる」

はあ!?

「側にって、俺は転校したてで、堀井とは寮が同室で、クラスも一緒だから、たまたま…」

「ん〜にゃ」

田上はゆっくりと大きくかぶりをふった。

「今までにもいたんだよ。堀井と親しくなりたがる奴って、結構…。中学の時のあいつを知ってる奴も知らない奴もね」

田上は少しの間、天井のほうを見た。

「だけどあいつは、いつもあの無表情と毒舌で人を近づけなかった。だが今回あいつは、おたくが近づくのを許してる。って言うより、あいつがおたくを守ろうとしてるように見える」

田上はマジな顔になってた。

「守るって……?何、バカなこと…」

「そして今日だ」

笑い飛ばそうとした僕の言葉を田上が遮った。

「もしかしたらって言われてたのが、今日ので間違いないってことになった訳だ」

「間違いないって?」

「堀井と中野はデキてる」

「………………」

僕は田上の顔をマジマジと見つめてしまった。田上もじっと僕を見ている。

「………何?それ…」

僕はしばらくして、やっとそうたずねた。

「何って、おたくが食堂でのみんなの視線の訳を知りたがったんじゃないか」

「……あの視線って、そういう意味だったの?」

「そうだよ」

田上の即答に、僕はめまいがしそうだった。

「ねえ、田上」

僕はこめかみに手を当てながら上目遣いに田上を見た。

「男子校って、そういう話がいっぱいあるの?」

「そういうって、男と男がってこと?」

そのフレーズ……やめてほしい。いや、そういう人たちを否定するつもりはないけど……。頭のコブが痛みだす。

「他は知らないけど、ここじゃ結構あるよ。まあ、中には噂だけってのもあるだろうけど」

「俺たち…。俺のだって、ただの噂だよ!」

“たち”という言葉に抵抗を感じて、僕は言い直した。

田上は何か含むところのある表情で、

「さてね」

とつぶやいた。

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