第4話

見慣れない景色。

明るく、白っぽい───

首を動かして、それが天井で、僕はどこかに寝てるんだってことに気がついた。

「中野くん、気がついた?」

女の人の声。首を起こそうとしたら、むこうから視界に入ってきてくれた。

「あなた、脳しんとう起こしたの。覚えてる?」

白衣姿、年齢は三十前後、髪を後ろで一つに縛っていた。

「ここ、保健室?」

「そうよ。起きられる?」

やさしく歯切れの良い口調で問いかけられる。

「……はい」

いつも通りに起きようとして背中に痛みが走った。続いて後頭部に……。

ああ、そうだ。思い出した。

シュートしようとしてたところを誰かにラリアットかまされたんだった。

「大丈夫?耳なりとかしびれとか、吐き気はしない?」

「ええ」

「そう、良かったわ」

そう言うと保健医の先生はクスクス笑い出した。

「あの……」

「ああ、ごめんね。思い出しちゃったの」

先生はそう言いながら、まだ笑っている。

「凄かったのよ、堀井くん」

「堀井?」

「ええ」

僕はベッドから降りると、先生についてカーテンで仕切られた向こう側にまわった。

指し示されたイスにすわる。

「すっごい勢いでここに走り込んで来てね。怖い顔で来てくれって言って、あとはもうただわたしの腕をグイグイ引っ張って走るだけ。腕は痛いし、息は切れるし」

先生はそう言いながら机の前のイスを回して、僕のほうを向いてすわった。

「それでグラウンドまで引っ張って行かれたら、あなたが倒れてたってわけ」

「すみません」

「あら、別に中野くんが謝る必要なんかないわ」

先生は立ち上がると部屋の隅の流しのほうに歩いて行った。

「コーヒー飲む?」

「あ、はい。いただきます」

「そしてね、わたしが脳しんとうよ、って言ったら、堀井くん、ホーッて大きくため息ついて、じゃあ、動かしても大丈夫ですね、って言って、あなたを抱いてここまで運んで来たのよ」

「堀井が?」

差し出されたマグカップを“すみません”と受け取った。

「そうよ。あとでお礼言うといいわ」

「……はい」

「堀井くんもやっと、っていう感じね」

「やっと?」

意味がわからず、先生の顔をじっと見た。

彼女は少し思案するふうだったが、微笑してうなずいた。

「そう、やっと。それとも、中野くんだから、なのかなぁ」

「どういうことですか?」

彼女は答えずに、微笑したまま僕をじっと見てる。それから、おもむろに

「思ってたより普通ね」

と言った。

「え?」

今度はなんのこと?

「あなたのことよ、中野くん」

「僕の……?」

いったい、どういう……。

「聞いて、想像してたイメージでは、もっとひどいかと思ってたのよ」

聞いて!?僕のこと?何を、誰から?

「そんな顔しないで。わたしは仕事柄必要だからよ。他の先生方はご存知ないと思うわ」

「………………」

「今のあなたならわかるでしょ?今のあなたは昔のような問題児じゃないわ」

「どうしてそんなことがわかるんです!?」

「わかるわよ」

「僕は問題児ですよ。酒にタバコにシンナーに傷害、おまけに……。施設送りにならなかったのだって、親父が金で……!」

「中野くん!」

彼女は厳しい目で僕を見、僕の腕をつかんだ。

息が苦しい。体の奥から小刻みな震えがわいてくる。

「中野くん、大丈夫?」

先生が少し心配そうな表情でのぞき込みながら、僕の腕をさするようにしてくれていた。

ゆっくりうなずくと、彼女は僕の手を握ったまま、

「あなたは少し自分に厳しすぎるわ。もう少し楽になさい、ね?」

楽に?

楽にってどういうこと?どうすれば楽になる?

「薬は持って来てる?」

「……はい」

嘘だ。とっくに全部捨てた。

「ああ、堀井くん」

堀井?

「授業終わったの?」

先生は僕の手をゆっくりと離して立ち上がった。

「はい」

「そう。中野くん、迎えに来てくれたのね。もう大丈夫だから、連れて帰ってもいいわよ」

彼女に視線で促され、“ごちそうさまでした”とマグカップを置いて立ち上がった。

「中野くん、もっと楽に。それからもっと人を頼っちゃいなさい」

立ち上がった僕に、先生はささやくようにそう言った。

黙ったまま彼女を見ると、その目がやさしくほほ笑んでいた。

“お世話になりました”と頭を下げて保健室を出た。

堀井が僕のカバンを持って来てくれてたので、受け取りながら礼を言った。

「保健室まで運んでくれたの、堀井だって?」

「ああ」

「……ありがとう」

「いや」

堀井は例によって無表情だった。

そう言えば、さっき保健医の先生、堀井のことも何か言ってなかったっけ?

堀井もやっと、とかって……。

「イッ…テ!」

「あ、悪い」

僕は片手で後頭部を押さえて、堀井をにらみ上げた。

堀井は飄々とした顔で

「コブになってるな、と思って」

と言った。

「わかってんなら、触るなよ!」

ったく、もう!

「中野」

先に歩き出した僕に堀井が声を掛けてくる。

ムスッとしたまま振り返ると、

「おまえ、軽いな」

と言ってきた。

へ?

「もう少し食ったほうが良くないか?」

こ……のッ!

「余計なお世話だ!」

人が気にしてることを!


夕飯の時間に食堂に行ったら、妙な視線を感じた。

気のせいかとも思ったけど、でもやっぱり感じる。

トレイを手におかずの皿を取る田上のわき腹をそっとひじでつついた。

「なんか、みんなに見られてる気がするんだけど」

「そうか?」

田上の素っ気なさも変だった。もう一度つつく。

「何か隠してないか?」

田上がキョロっと僕を見て、

「あとで」

と声をひそめて言った。

「おい」

行きかける襟をつかんだ。

田上は喉に手をやり、むせながら、

「九時にセンターで…」

と小さく言った。

今いち納得出来なかったが、堀井が、何をやってるんだ、と言いたげな目つきでこちらを見ていたので、それ以上の追求はあきらめた。

「あの……」

席について食べ始めたところで、控え目な声が掛けられた。

見上げると同じクラスの……、え〜と、名前なんだっけ?

「ごめんなさい!」

いきなり謝られた。

「は?」

「あ、その、今日、体育の時間に……」

ああ、ラリアットぶちかまし男はコイツか。

「大丈夫……だった?」

気弱そうに聞いてくる。

「あ、ああ、平気……」

「ホントに?」

「う……ん、少しコブになってるけど」

「ごめん……」

「もういいって。平気だから」

そのすまなさそうな表情を見ていると、こっちがいじめているような気になってくる。

そいつはもう一度“ごめん”と言うと、今度は、

「すみませんでした」

と堀井に頭を下げた。

堀井は黙々と食べていたが、チラリとそいつを一瞥すると、

「俺に謝ることはない」

と低く言って、また黙々と食べ続けた。

そいつは去るに去れなくなってしまったという感じで、救いを求める目を僕と田上に向けてきた。僕も訳がわからず田上を見る。

田上は“いいから”と声には出さずに言って、行け、というふうに手を振った。

ラリアット男はもう一度僕に頭を下げると、そこから離れた。

僕はまた田上をつついた。

“今のはなんだ?”と目でたずねる。

“あとで”と田上も目で返してきた。

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