第11話
堀井の近づいてくる気配。
ダンッ!と壁が鳴った。
「そんなもんだと思ってたのか?」
堀井の押し殺したような声が頭の上からふってきた。
「俺のおまえに対する気持ちを、そんなもんだと思ってたのか?」
低く繰り返された。返事が出来なかった。
強くあごをつかまれ振り向かされた。
「どうなんだッ!?」
見上げてしまった堀井の目には怒りよりも別の……。
「だ……って、じゃあ……、じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」
情けなくも声がふるえてしまった。
こんな風に気持ちをストレートに示されたことなんかない。損得とか建前とか、そんなものが一切ない、こんな……。
こんなの……。
「原の目的は俺だ」
あごをつかんでる堀井の手をむしりとった。
「そうだよ。だからおまえは出ないほうがいいんだ!今度やったら退学だろうが!?」
「おまえだってそうだろう!?」
「え……?」
ピクリと目を上げた僕に、堀井が舌打ちして顔をそむけた。
なんで……。
「な……んで、知ってる?」
固い声で問うと、堀井はため息をひとつついてから僕を見た。
「おまえが転校してきた日、上村に呼ばれた」
上村……?
「おまえが、ひどく不安定な状態のはずだから気をつけていろ、と言われた」
そこで上村から色々聞いたってわけか。聞いて知ってたから、僕には何も聞かなかったわけだ。
僕は笑い出してた。
「なるほど。おまえも俺の監視役だったわけだ」
「違う」
「いっつも俺につきまとって、俺が影でタバコや酒やシンナーやってないかとか、誰かとケンカやってないかとか、ナイフなんか隠し持ってないかとか」
「中野、違う」
「もしかしたら部屋の俺の荷物にも目ぇ光らせてたりしたわけ?」
「中野」
「笑っちゃうね。俺のこと見張ってんのは親父と教師だけかと思ってたら、なんと友達ヅラした寮の同室者もとはね」
「中野、聞け」
堀井が僕の腕をつかんだ。
「さわるなッ!」
叫んで、その手をふりほどいた。
足元からかすかな震えが這い上がってくる。
「さわるな。もう、おまえのことは信用しない」
震えを隠すために顔をふせ、食いしばった歯の間から押し出すように言って、その場をあとにした。
「佑」
呼ばれて振り向き、思わずその呼んだ人間を見て眉をひそめてしまった。
教室の後方の戸口に姿を表したのは、昨日のあの原だ。
原は片手の人差し指だけをチョイチョイと動かして僕を呼ぶ。教室内にいつもの休み時間とは明らかに違う意味のかすかなざわめき。
「なんですか!?」
僕は渋々立ち上がって原のそばまで行き、目いっぱい嫌そうな声を出した。
そんな僕に原はあの皮肉っぽい笑みをうかべて、
「堀井とケンカしたんだって?」
と、席に座ってる堀井にも聞こえそうな音量の声で言った。
僕はつい堀井のほうを振り向きそうになって、慌てて首を戻した。
そんな僕を見て、原がフッと笑みをもらす。
昨日の今日で、しかもまだ一時間目が終了したばかりだというのに、噂は学年中───いや、原が知ってるってことは下手したら学校中に知れ渡ってるのかもしれない。
つまり、僕と堀井が決裂した、なんていう……。
そしてそれだけならまだしも、もうひとつ嬉しくもない噂が、目の前のこの原だ。
「昨日のこと、堀井に話したのか?」
原が声をひそめて言う。
「いいえ」
僕は原をにらみ上げるようにして憮然と答えた。
「じゃあ、原因は他のことってわけか?」
「あんたには関係ないでしょう!?用がないなら帰ってください!」
吐き捨てるように言ったけど、原は余裕の笑みを浮かべている。
「そうとんがるな。言ったはずだ。俺はおまえが気に入ったって。だから、おまえと堀井が不仲になるのは喜ばしいことなわけだ」
「いい加減にしてください。俺と……堀井は、初めからなんでもないって言ってるでしょう?」
僕の言葉に原は肩をすくめた。
「堀井も可哀想に」
「あのねえ……」
「奴らには口止めしておいた」
原が真顔でささやくように言った。
え?
「フェアにやるつもりだ」
次の瞬間にはまたあの笑みを浮かべて、わざと堀井に聞かせるつもりなのか声を大きくした。
「汚い手は使わない。おまえに嫌われたくないからな」
僕はため息をついた。
これなのだ。もうひとつの噂は───原が、僕をかけて堀井に宣戦布告、ってやつ。これはこの男がわざと流したに決まってる。
「ちょっと……」
「早く合意の上で昨日の続きがしたい」
抗議しかけた僕の耳に口を寄せて、原がささやいた。
「な……ッ」
カッと頬に血がのぼった。
「昨日はすまなかった、佑」
僕が手を上げるより早く、原は後ろに下がるとそう言った。
「それを言いに来た。だけど手加減はしたつもりだから」
怒りでとっさに言葉が出なくなってる僕に、原は見事なウインクを投げて、クルリときびすを返して立ち去った。
あ、あンの野郎〜!!
「隣、いいか?」
すっかり耳慣れてしまった声に、途中まで上げた顔を戻しながら言った。
「ダメだと言っても座るんでしょう?」
頭の上でクスッと笑った声が聞こえ、静かにイスを引き腰をおろす。
そのまま無視して勉強に戻った。
あの日以来、寮の部屋にはほとんど寝に帰るだけの生活をしている。
今日のように図書室にいることがほとんどだけど、案外いったん出た教室にもう一度戻るという手も、誰とも顔を合わせたくない時には使えることもわかった。
ただ、本校舎も図書室も夕飯の始まる時間には閉ざされてしまうので、食後は寮の娯楽室かセンターくらいしか行き場はない。学校の敷地内を歩き回ったこともあったけど、11月も後半の山の中はかなり冷え込むので、そう何時間も出来るものではないことも知った。
視線を感じて、顔を上げて隣を見た。
心持ち僕のほうに体を向けて斜めにすわり、テーブルの上で長い指を組んで、じっと僕の顔を見つめている。
この男、原は、いつもの口の端を上げた皮肉っぽい笑みを浮かべていなければ、ずいぶん印象が違う。
端正でどこか影があって、すでに大人の色気みたいなのを漂わせてる。
「今度の日曜デートしないか?」
ただし黙っていれば、だ。
「お断りします」
僕は軽くため息をついてからそう言った。
「勉強ばかりしてると脳が腐るぞ。たまには下に降りて遊ばないと…」
「今までろくでもないことばかりしてたんで、今度は勉強するんです」
広げたノートに視線を戻しながら素っ気なく言った。
「佑」
数瞬の沈黙のあと、低くささやくような声。
「俺のこと、そんなに嫌いか?」
初めて聞く声の調子に、チラリと横目で原を見た。原は覗きこむように僕を見ていた。その真剣な目に、もう一度顔を上げた。
「あ……、だから、ホントにろくでもないことしてて……」
僕は軽く首を振って、ひとつ息を吐いた。
そして小声で、でもはっきりと、
「外出が許可されてないんです」
と言った。
原は片眉を上げ、それからうなずくと、
「そういうことか」
とあっさり納得したようだった。
「そういうことです」
僕は苦笑しながらつぶやくように言った。
「堀井は知ってたのか?」
聞きたくない名前を出されて、眉間にしわを寄せた。
「さあ!?知ってたんじゃないですか、その程度のこと」
原がスッと目を細めた。
「険悪な目の色だな。ケンカの原因、非は堀井にあり、ってところか」
「堀井に聞いてください」
「聞いた」
「えッ?」
原はわずかに片方の口の端を上げた。
「堀井は、なんて?」
低く、ゆっくりとたずねた。原の口元に笑みが浮かんだ。
「気になるか?」
ムッとして顔をそむけた。原がフッと笑ったのがわかった。
「俺をにらみつけたまま、無言だったよ、終始」
無言……。
原が僕の髪を指でかき上げた。
「な、なんです!?」
思わず身を引いた僕を、目を細めて見つめながら、原はささやくように言った。
「今ここでおまえを組みしいて、俺のモノでよがり声を上げさせたいよ」
「な…ッ!?」
大きな声を出しかけて、僕は慌てて自分の口をふさいだ。それから黙って原を横目でにらみつけた。
「耳まで赤いよ、佑」
原は面白そうに僕を見てる。にらみつけたままでいると、笑みの色を変えた。
「おまえも罪な奴だな」
「どういう意味ですか?」
憮然と問うと、原の顔から笑みが消えた。
「堀井の奴が最近、朝夕走ってるのを知ってるか?」
「え……?」
「それだけじゃない。体を鍛え直してるらしい。その理由はなんだと思う?」
僕は“さあ”という意味を込めて首を振った。
「中学時代、色々な運動部の助っ人をかってでてた堀井が、高校に入ってフッツリやらなくなって、それが今また動き始めた。理由は、俺の挑戦を受けてのことか…」
原が意味深な目線を投げて寄こした。
「あるいは、夜中におまえの寝顔を見て欲情しちまうんで、それを発散させるためか」
よ、欲……ッ!?
「どちらにしても、つまりはおまえ、ってことだ」
「あのですね……」
脱力しながらも反論しようとすると、原がことさら声をひそめて言う。
「用具室で、三人でマワそうとしてた、って言ったの…」
え?何!?
「う、そ」
は?
「あの時、佑の視界には入ってなかったからわからなかったと思うが、高田はポカンとした顔してたし、落合は焦った顔してた」
原は思い出したように笑う。それから立ち上がり、僕の頭をクシャっと撫でた。
ムッと見上げた僕に不敵と言える笑顔を見せると、また完璧なウインクをして、背を向けて出て行った。
一体なんなんだ、あの男は?この状況を楽しんでないか!?
ふと、ある考えに思いいたって、もう一度原の出て行ったほうを振り返った。
あいつ、もしかしたら初めからこうなるように、仕組んだ───?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます