第11話

 「ッ!?」

 紅月輝夜は校舎から溢れ出した気配に一瞬だが気を取られた。

 「グオォォォォォォォォッッッ!!」

 その隙を見逃がすまいと怨鬼がその剛腕から繰り出す鋭い爪を振り下ろす。

 鬼の爪と大鎌がぶつかり合い激しい火花が散った。

 「(かなり面倒な事になったわね)」

 輝夜は黒赤の大鎌を振り回し構える。

 彼女が扱う大鎌『紅牙こうが』は大きい鬼の一撃を受けても簡単には壊れない代物だ。

 もちろん彼女自身の力量もかなりあるのだが、それでもこの〝鬼〟への決定打には至らなかった。

 「人の怨念が積み重なって形を成した鬼―――――ね」

 それが〝鬼〟の強度な肉体を形成しているのだろう。

 恐らくだがこの〝鬼〟の身体はここで無惨に殺されてしまった罪のない人々の念が造り上げたモノなのだろう。

 あの道士の少女はこの校舎で人を弄び殺めていたのか、かなりの怨念が積もりに積もっているようだった。

 「それに」

 ちらりと校舎の残骸を見る。

 初めは二対一だったはずだが途中で小燐の姿が確認出来ていなかったのでまさかとは思っていたが、案の定そちらへと向かっていたようだった。

 「コタローくん達、大丈夫かしら―――――って私もそんなに余裕は無さそうだけど」

 一撃、二撃、三撃と怨鬼は繰り出していき輝夜はそれを難なく躱していく。

 「いい加減、鬱陶しいわよ」

 シュンッ、と鋭い一閃が奔る。

 しかしその輝夜の一撃は鬼の薄皮一枚を切り裂いただけに終わる。

 「本当に、面倒だわ―――――」

 ポツリと呟いた。

 静かに輝夜は構える。

 「永遠に捕らえられた憐れな亡者の魂達には、刹那の〝救済〟を」

 輝夜が持つ『紅牙』が紅く輝く。



 「来なさいな―――――もう終わらせてあげる」



 輝夜が静かに告げた。

 怨鬼は再び雄叫びを上げる。

 その声は死んでいった者達の怒りの咆哮なのか、それとも嘆きなのかは分からない。

 だから輝夜は静かに瞳を閉じる。

 そして、

 二つの影が今にも衝突しそうになった時、不意に携帯電話の着信音が鳴り響いた。





 そして同時刻。

 洸太郎と〝鬼〟と化した小燐が対峙していた。

 ギリギリで小燐の剛腕から繰り出される膂力を躱していく。

 一瞬でも触れればそこから上は吹き飛んでしまう恐怖を感じながら、洸太郎は次の一手を考えていた。

 「(どうすりゃいい!? 人の姿なら何とか喧嘩に持ち込めたけど今は違うッ! こんなの戦車と喧嘩してるようなもんだぞ!?)」

 元々身体を動かしていたのか、体力の心配や息切れはまだしていない。

 体格差は何とかカバーは出来ている。

 だが、

 「グルォォォォォッッッッ!!」

 雄叫びを上げながらその丸太ほどの大きな鬼の腕に雷を纏っているのが一番厄介なのだ。

 少し触れただけで身体中が痺れ判断が遅れてしまう。

 そして、雷の腕を回避した所で今度は暴風を纏った剛腕が洸太郎に襲い掛かる。

 触れればミキサーの刃にミンチにされてしまうので更に厄介だった。

 「ぐ、ああああああああああああああああああああッッッ!!?」

 脇腹が抉られ鮮血が飛び交う。

 雷の暴風に鬼の剛腕―――――これほど危険で面倒な組み合わせは経験が無かった。

 「―――――――――――はっ」

 鼻で笑った。

 

 洸太郎は立ち上がる。

 どうやら小燐はまだ自分達をゆっくりといたぶるつもりでいるのだろうか、洸太郎にトドメを刺さない。

 今はそれでいいと思っている。

 ここで時間を稼がなければ標的が蒼樹に代わってしまう可能性も有る。

 それをされればそれこそ本当に洸太郎の負けが確定してしまう。

 だから、

 洸太郎は不敵に、無敵に、強敵に笑う。

 その行為は挑発するかのように指を動かす。

 「どうした? 俺はまだまだ元気だぞ。?」

 パンパンと手を鳴らす。

 その行為に火が付いたのか小燐は更に雄叫びを上げ崩れかかった狭い廊下を物ともせず突進してくる。

 洸太郎はその姿を見て

 「!?」

 「アホか!! そんな肉の塊が来たら逃げるに決まってんだろうが!! バーカバーカ!!」

 子供のように走る姿は小燐の〝何か〟を傷付けたようで、追いかける様は正しく〝鬼ごっこ〟そのものだった。

 校舎の廊下を走り回り逃げ続けた結果、洸太郎が逃げた先は行き止まりだった。

 「げぇっ!!」

 洸太郎が叫び振り向くと巨体の小燐が今にもその爪牙で引き裂かんと向かって来ている。

 袋の鼠、そう思い小燐はニタァと嗤った。

 「洸太郎!! 今よ!!」

 小燐の背後、教室にいつの間にか隠れていた蒼樹が叫ぶと洸太郎は窓の枠へと足をかける。

 外へ逃げ突っ込んでくる小燐を壁へ激突させようという魂胆なのだろうが、それをいち早く理解した小燐は腕を開き両腕に纏っていた雷の暴風を展開させる。

 危険を察知した洸太郎は飛び降りようとして、足を踏み外し重力の赴くままに体勢を崩す。

 小燐は洸太郎が落ちていくその姿を見て嗤うのではなく

 自分を馬鹿にしたあの餓鬼がそんな簡単に死ぬのは許さない。簡単に死なせる前に苦しませて殺す。

 だから小燐は自分の手で洸太郎を殺す為に壁を突き破り外へと飛び出した。

 その場所が、



 「



 洸太郎が笑う。

 落下する先には怨鬼と対峙している輝夜の姿があった。

 「グギャギャッ!!?」

 その声は何で? と言っているように聞こえた。

 落下する寸前で洸太郎は外壁を伝う雨樋を掴み空中で止まった。

 留まった洸太郎と落下する小燐との視線が交差する。

 「この〝鬼ごっこゲーム〟、俺の勝ちだな」

 重力に従い落下する小燐を目視した輝夜は『紅牙』を構える。

 「本当に来た―――――凄いわね」

 刃が紅く、赤く、朱く輝く。

 その輝きは鮮血のようで、

 全てを終わらせる一撃にも見えた。





 数分前―――――輝夜が怨鬼と対峙していた時、彼女の携帯電話が鳴り響いた。

 自動で通話になると繋がった相手は蒼樹だった。

 『あの、紅月―――――さんでいいのよね?』

 「ええ、輝夜でいいわよ。どうしたの? 今は助けに行けるかどうか」

 微妙な状況、と言おうとしたが彼女は意外な事に別の事を言い出した。

 『もしかして、輝夜ちゃんならこの状況って何とか出来るの?』

 怨鬼が輝夜へと襲い掛かる。

 正直、今のこの状況では話をしながらの戦闘はとても生きた心地はしなかったが、それでも輝夜は会話を続けた。

 「何とかって―――――さすがにそこまでスーパーウーマンではないのだけど」

 捌き切り裂き捌き切り裂き捌き切り裂き、微量のダメージを負わせるも未だ決定打にはほど遠い状態が続く。

 『い、今シャオちゃんが大きい化物になって! 洸太郎が戦ってるけど―――全然相手にならなくてッッッ!』

 あまり要領は得ないが、つまり言いたい事は―――――。

 「非常にピンチと言う事は十分に伝わったわ。でも流石にこちらを何とかしないとそっちへは行けないわね…………」

 背中を見せれば最早それは輝夜の最後だろう。

 そう思っていると、

 『じゃあ、!?』

 蒼樹の提案はこうだった。

 〝鬼〟と化した小燐をこの場所に誘き寄せる。

 窓の外から小燐を落とし後は輝夜が何とかする、と言う作戦だった。





 「ホント、

 奇しくも蒼樹の作戦は成功した。

 落下してきた小燐の姿に驚きはしたものの輝夜は『紅牙』を構える。

 刃に神経を集中させる。

 雑音を、雑念を、全て振り払う。清き一閃を心掛け。

 「クソがァァァァァァァァッッッ!! 死ねッ!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねェェェェェェッッッ!!」

 落下しながら小燐は呪いの言葉を吐き捨てる。

 しかしそんな呪詛は輝夜の耳には届いていない。

 前方からは怨鬼が、上方からは鬼の小燐が。

 二体の〝鬼〟が輝夜の視界で直線に並んだ。

 「刈り取れ、安らかな一撃を―――――」

 シュンッ、と風を切る音が静かに鳴り

 そして、小燐の鋼の肉体に鋭い痛みが走る。

 「―――――――――あ」

 怨鬼は真っ二つに裂け、小燐の鋼の肉体も頭と右腕だけ残し『消滅』した。

 後に残ったのは静寂と、

 「……………………ふぅ」

 長い残心を解いた輝夜の呼吸音だけだった。

 一瞬過ぎて何が起きたのかは分からない。

 だが、

 雨樋にぶら下がっている洸太郎と、窓の外から覗き込んでいる蒼樹にも分かることがあった。

 「終わった…………の?」

 ポツリと蒼樹が呟く。

 どう見ても決着は明らかだ。

 「多分、な」

 洸太郎も自信があるわけでは無いが、終わったと見て間違いは無いのだろう。

 二人が少し気を抜いていた時、輝夜が振り返った。

 「大丈夫?」

 先ほどの戦闘からは想像がつかないほど少し爽やかな表情をしていた。

 少し時間が経ってから蒼樹が最早原型を留めていない校舎から抜け出し、洸太郎はパルクールのように上手に足場を使い輝夜の元へ降りていく。

 「この『世界』で無事なのは二人だけのようね―――」

 その言葉に洸太郎が反応を示した。

 「なぁ、さっきも気になってたんだけどお前らの言う『世界』って何だ? 俺も、蒼樹も記憶が無い事と何か関係があるのか!?」

 その質問に輝夜はどう答えるかを迷っていた。

 しかし、

 「く、くくくッ」

 輝夜の背後から嗤い声が聞こえた。

 その場にいた三人の耳に残るその声の主はこちらを濁った眼で睨みつけている。

 「シャオ、ちゃん」

 蒼樹が地面に倒れ最早風前の灯火の状態の小燐を見つめた。

 「勝手に見下すんじゃなわよ…………私は誇り高い道士タオシーなのよ? それなのにアンタ達に私が負けた? 記憶もなければ私のオモチャになるはずだった奴らに? しかも横から現れた女に邪魔されて―――――何もかも終わりよ、私は」

 その独白は誰に聞かせるわけでもなくただ淡々と語られた。

 その姿を見て輝夜は呆れたように『紅牙』を構える。

 「………でも、もうさすがに何をする力も残ってない、か」

 頭部と身体の一部しか残っていない状態なのだ。

 もうこれでは何も出来はしない、そう輝夜は判断した。

 蒼樹も少しの時間とはいえ行動を共にした仲だったせいかまともに彼女と視線を交わす事は無かった。

 だが、

 「(何で…………?)」

 冷静に、いや違和感を感じ取っているのはこの場では洸太郎ただ一人だった。

 確かに色々とおかしい事が立て続けに起きているせいで自分達の〝常識〟と言うものが全て覆されている、と思うのだがそれでもこの状況は不気味すぎた。

 洸太郎が違和感を感じていると首だけになっていた小燐の口がくぱぁと開くのを見た。

 吐血のせいか唾液と血にまみれ口の中からポロリと〝何か〟が零れ落ちる。

 それは、洸太郎達が先ほどまで苦しめられた彼女の最大の武器であり、

 禍々しい雰囲気を放つ〝それ〟は



 ――――――――――呪詛符ズゥソゥフゥ、死に塗れろ。



 何を言ったのかは聞き取る事は出来なかった。

 しかし小燐が最後に言っていたのがと言うのは理解が出来た。

 思わず洸太郎は走り出す。

 相手は雷や風、結界のようなモノに鬼に変身出来る符を持っていたのだ。

 ならば、

 

 「蒼樹ゥゥゥゥゥッッッ!!」

 洸太郎の叫びに蒼樹が顔を上げ輝夜は恐らく洸太郎と同じ結論に至ったのか『紅牙』を構え振り抜こうとする。

 しかし輝夜のいる距離からは間に合う訳もなく、蒼樹がその意図に気付く事すらなかった。

 唯一、



 洸太郎だけが小燐と蒼樹の間に割って入り、

 その無慈悲な呪いを受けた。



 痛みは無い。

 苦しさも息苦しさもない。

 ただ、

 〝呪い〟と言う不確かなモノが身体中を駆け巡る奇妙な感覚があったのは分かった。

 誰かの悲鳴、そして誰かが何かを叫ぶような声、意識が遠くなっていく洸太郎が最後に目にしたのは、

 絶命寸前の小燐が目を見開き、まぁいいかと呟いたかと思うと彼女の目から光が完全に消えていき洸太郎の意識はそこで途絶えた。

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