第6話

 蒼樹は無人となったある教室へとそっと入り込んだ。

 物音を激しく立てなければ〝鬼〟達はこちらに見向きもしないので移動は思った以上に楽だった。

 「おーい、来たよーっ」

 出来るだけ小さな声で指定された教室中に聞こえるように話しかける。

 だが誰も返事はない。

 「ねぇ、誰もいないのぉ?」

 語尾が小さくなっていく。

 不安が募る。

 もしかしてこの場所に来るまでにもう〝鬼〟に捕まってしまったのだろうかと思ってしまう。

 そんな事を考えていると不意に教室の窓に取り付けられていたカーテンが揺れる。

 そちらへ目を向けると窓の側に一人の少女が立っていた。

 「あ、の…………あなたは?」

 恐る恐る声を掛ける。

 少女が顔を上げ蒼樹に微笑んだ。

 「はろはろ! すごいね! 生きてる人間だぁ」

 元気な少女は軽いステップで蒼樹に近付き呆然としている彼女の手を取りぶんぶんと握手をした。

 場違いな明るさに戸惑っていると、少女はにっこりと笑う。

 「あ、初めましてだよね? 私は小燐シャオリン、よろしくね―――――えっと」

 「わ、わたしは白鐘蒼樹…………よろしく」

 こんな時にお互いが自己紹介と言うのは変な気分だが、それでも少し心が救われる。

 ここに後は電話の男が来ればいう事はないのだが。

 「どうしたの? ケータイばっかり見て」

 シャオリンが不思議そうに携帯電話を覗き込む。

 「あ、いや、実はこの教室で待ち合わせしててね。どんな人って言われたら難しいんだけど」

 初めの印象は最悪だった。

 記憶を失っている自分からすれば世の男性が全員電話の男のように無愛想ではないと思っているのだが、それでも彼の言動には驚いた。

 いきなり人の名前は呼び捨てにするし、少し話しただけで馴れ馴れしくしてくる。

 だが、いち早く危険を察知した時はすぐに逃げろと叫んで助けてくれるしと色々な面で助けてくれていた。

 そう、

 「あ、れ?」

 そこで、蒼樹はふと妙な違和感を覚えた。

 あの時はほぼパニック状態だったので何も思わなかったが、最初の電話での彼と途中からの彼は本当に同一人物だったのだろうか?

 そして、

 

 考えれば考えるほど手が震える。

 この教室へ呼び出されたのは先ほどの電話でだった。

 もし、

 「シャオちゃん! ここからすぐに出よう!?」

 蒼樹がほとんど叫び声に近い形で提案する。

 「えっどうして? ここの方が安全だと思うんだけど……」

 「いいからっ!!」

 蒼樹は小燐の手を引っ張り教室を後にする。

 ゆっくりだとか慎重に、と言うのを忘れるほどに必死になっていた。

 ここにいると危険だ、と謎の勘が告げている。

 背筋が凍るような感覚が蒼樹を襲う。

 教室を出ると階段を上へ、下へ、真っ直ぐに走って更に上へとランダムに走った。

 道中、数人の〝鬼〟に遭遇するが背後に迫る悪寒を無視する事は出来ない。

 だからようやく適当な教室へ入り扉を乱暴に閉める。

 二人は肩で息をしながら少し落ち着けるため腰を下ろした。

 「はぁっはぁっはぁ―――――シャオちゃん、大丈夫?」

 「ぜ、全然―――――平気、じゃない…………かな?」

 顔を上げ息を整えようとした時、目の前の光景に絶句した。



 赤く染まった教室。

 そこにはが教室の天井から人形のようにぶら下がっていた。

 形が様々だったので最初は何かが分からなかったが、

 

 手足ががれた者。

 首が無く胸から釣り針のようなフックに引っ掛けられ小さく揺れている者。

 捻じれた人形のように人の形を保てていない者。

 一見すると生け花のように太い針に人間の五体をランダムに飾った何のオブジェか分からないような者と、一目見ただけでは元が人だとは誰も気付かないモノばかりだった。



 「は、――――――――――あぁっ」

 喉が嗄れて声が出ない。

 余りにも悍ましい光景に、手で顔を覆った。

 「(な、なによ、これ)」

 思考が追い付かない。

 目の前に広がる異常な光景にただただ震える事しか出来ないでいた。

 「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」

 隣にいた小燐が駆け寄る。

 彼女の顔色も少し悪いが、蒼樹に比べると幾分かはマシだった。

 「や、ヤバいかも…………シャオちゃん、は―――――大丈夫?」

 気丈に振舞うが声が震えている事に気付いた。

 仕方がないのかもしれない。

 日常的にこの光景を見ていなければ慣れる以前の問題だ。

 「わ、私は大丈夫。でも蒼樹の顔色が悪いよ……?」

 人から心配されることがこれほど救いになるとは思わなかった。

 今は小燐の優しさが心に染みる。

 「ごめんね、もう大丈夫」

 蒼樹は立ち上がると周囲を見回す。

 この異様とも言える〝モノ〟以外は特に変わった様子はない。

 だが、いつまでもこの場所にいるのは色々と不味いと蒼樹は思った。

 「シャオちゃん! 今の内にここから出よう!」

 その意見に小燐は少し困ったような顔をした。

 「ご、ごめん……少し疲れちゃった」

 蒼樹はすぐに反省する。

 先ほどまで自分でも分からないまま走り続けていたのだ。

 気付かない内に体力も限界を迎えてしまうはずだ。

 「ごめんねシャオちゃん。わたし、自分の事ばっかりで…………」

 少し休憩が必要だと悟ったのか蒼樹も膝をついた。

 場所さえ気にしなければ休憩しても問題はない。

 二人が腰を下ろしていると不意に小燐が蒼樹に訊ねてくる。

 「連絡取り合ってたの―――――彼氏?」

 こんな時だというのに小燐は突然な事を言い出した。

 「ふぇ?」

 変な声が出た。

 この娘はこんな状況で何を言い出すのだ、と。

 「いいじゃんいいじゃん。ねぇ、カッコイイ? 今時の草食系? もしかして肉食なのかな? 歳は? この学校の人? まさかセンセーだったりするのかな?」

 「いやいやいやちょっと待って!」

 捲し立てる小燐を落ち着かせた。

 変なスイッチが入ったのか小燐のこれはどう考えても現実逃避でしかない。

 このままでは〝鬼〟に捕まり一瞬で彼岸へ旅立つ事ゲームオーバーになってしまう。

 「取り合えず落ち着きなさいッ!」

 パァン! と彼女の頬を蒼樹は叩いた。

 だが、小燐はそんな事は気にせずけたたましく嗤う。

 その様子を見ていると冷えた空気が首筋を撫でる。

 何だというのだ?

 蒼樹は少し小燐から距離を取った。

 壊れてしまった。

 先ほどの真っ直ぐな瞳は濁りはじめ可愛らしい表情は歪んでいく。

 「

 小燐は呟く。

 「ホント、青春って感じよね! 私は来る日も来る日もクソみたいな奴らに囲まれて毎日が辛くて辛くて辛くて辛くて辛くて辛くて辛くて辛くて辛くてッッッ! でも蒼樹はいいなぁ、俗に言うリア充? みたいで」

 マズい、そう感じた蒼樹は咄嗟に逃げようと教室の扉を開こうとしたが扉は施錠されていた。

 「な、何で!?」

 力を込めて引くがビクともしない。

 「どうなって――――――グッ!?」

 突然背後から乱暴に肩を掴まれ背中に衝撃が走った。

 蒼樹の目の前には血走った眼をギラつかせた小燐がいた。

 「シャ、オちゃん……なに、を」

 上手く喋れない。

 背中を強打したせいで肺の空気が減ってしまっている。

 数度咳込む蒼樹に小燐は顔を近付け凶悪な笑みを浮かべる。

 「ねぇ、もう一度言うね――――――? かな?」

 意識が飛びそうになったが最後の力を振り絞り小燐を突き飛ばす。

 「や、めてッッッ!!」

 ドン! と突き放すとそのまま小燐は体勢を崩し数歩下がり、ずぶりと鈍い音を立て

 「あ、――――――」

 空気を求める魚のようにパクパクと口を動かし、その瞳からは光が失われていく。

 その姿を蒼樹は震え慄きながら見ている事しか出来なかった。

 「し、シャオちゃん? ご、ごめ――――――」

 しかしその続きは言えなかった。

 口先だけの謝罪など今のこの状況では何の役にも立たない。



 お前のせいだ。

 わたしのせい?

 お前のせいだ。

 わたしが悪い?

 お前だ、お前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前が――――――殺した。



 その視線に耐え切れずに白鐘蒼樹は教室を逃げ出した。

 廊下を駆け抜け右へ左へ、階段を上へ下へ、転びながら息を切らしながらも全力で疾走した。

 そして、

 「あ、――――――あぁ」

 ようやく辿り着いた教室へ入り目を覆った。

 やってしまった。

 混乱状態だったとはいえ人を殺めてしまった。

 その事実が蒼樹を蝕んでいく。

 どうやら壊れているのは小燐だけではないようだった。

 「わ、たしも――――――壊れてるんだ」

 どうしようもない事実に打ちひしがれていると、



 「やっほーっ。私が用意した〝ゲーム〟は楽しんでくれた?」



 どこかで聞いた声がすぐ近くで蒼樹の耳に届いた。

 どくん、

 小さく心臓が跳ね上がる。

 まさか、いやそんな、でも、おかしい、この声、そう言えば、何で、どうして、何が、どうなって――――――。

 混乱の中ゆっくりと震えながら顔を上げる。

 冷たい空気の中、教室のカーテンが揺れその傍には――――――。

 「あなた…………は」

 可愛い顔に歪んだ笑みを浮かべながら、

 胸部に突き刺さった針の痕跡は一切なく、まるで何事も無かったかのように平然と立っていたのだ。

 よく見ると教室も先ほどまでいた場所だった。

 蒼樹は気付かない内に戻ってきてしまったようだった。

 「いやぁ、ビックリしたよ。。でもあんなに激しいのは久しぶりだったかも――――――いい経験できたよ!」

 この陽気で残虐性を秘めた声には聞き覚えがあった。

 しかも、つい最近だ。

 「ま、さか」

 色々と察しがついた蒼樹は一歩づつ下がっていく。

 そんな彼女を見て小燐はニンマリと嗤った。

 「せーかーい。この『鬼ごっこ』を始めたのは私だよ~。まぁ生き残る人なんていないと思ってたけど、まさかこんな平凡な女の子が生き残るなんて思ってもみなかったよー。まあ、

 小燐はゆっくりと蒼樹に近付き首を掴むと片手で持ち上げた。

 「あ、――――――ぐっ」

 この華奢な細腕のどこにそんな力があるのか分からないが、それでも小燐の腕はビクともしない。

 「さぁて、勝者にはご褒美あげなきゃ…………あ、でも一応最後に私の質問に答えて欲しいなぁ」

 情緒が安定していない小燐はコロコロと嗤ったり真面目になったりと様々な顔を見せてくる。

 「なに、を」

 その言葉に小燐の表情は変貌し片手で蒼樹を床へと叩きつける。

 声が出ない。

 それほどの衝撃が彼女を襲う。

 「おっかしいなぁ。質問は私がするの。あなたはイェス、ノーで答えるだけ。それ以外は手足を一本づつ引き千切っちゃうから」

 その脅迫に蒼樹は黙って頷いた。

 「じゃあ質問ね。あなたは電話の事をどこで知ったの?」

 電話、とはこの校舎で見つけた携帯電話の事を言っているのだろうか?

 ならば、

 「わたしも、よく知らない――――――電話が掛かってきて、取ったら男の子が出て…………それからあの放送が」

 恐怖で竦んだのか蒼樹の言葉はたどたどしく要領を得なかった。

 しかし、その質問に対して小燐は「なるほど」と呟いた。

 「先に携帯電話のヒントを使われちゃったのかぁ。まぁ仕方ないか……その電話に気付いた奴なんかいないとは思ったけど中には気付いちゃう奴は気付いちゃうもんなんだなぁ」

 と一人で納得をしていた。

 「うん、おっけーおっけー。どうもありがとうね蒼樹。じゃあそんな蒼樹にはご褒美として何かあげよっかなぁ。あ、でもでも、一人だけ生きてるのって辛いと思うから、どんな死に方がいい?」

 最早こちらの話など聞く耳持たないようだった。

 蒼樹は不思議と恐怖心が薄らいでいく。

 もちろん怖いものは怖いし腹が立つと言えば腹が立つ。

 だが、それでも小燐に聞きたいことがあった。

 「最後に質問していい? あの電話で指定された場所もなんだけど、男の子の声は一体誰だったの?」

 最初に掛けてきた男性と二度目の男性、恐らく喋り方からして別人だとは思うが、最初から騙されていたとなると少し嫌だなと思いその辺を聞いてみた。

 「んー、それについては簡単だよ。まず一人捕まえて殺すでしょ? 次にランダムに電話して助け合おうって呼びかけるの。すると次の獲物が来るからそいつを上手くこの教室に呼び出して私の芸術アートを見せる。で、こうなりたくなかったら適当に電話しなさいって言って呼び出す。で、用済みになったそいつを殺す、呼び出した奴が来て脅す、呼び出す、殺す、脅す、呼び出して殺す――――――そんな感じで連鎖ゲームして遊んでたんだぁ」

 狂っている。

 最早その考えは狂人そのものだった。

 「ケータイは私からのサービス品ってとこかな? ノーヒントってのも可哀そうだし、最初に気付いて電話番号を名前なしで登録した状態で適当に電話すればネズミ式に情報を共有すれば少しでも生き残れる仕組みと、色々と考えてんだよ~こっちも」

 つまり、

 初めに教室で目が覚めた時に電話をしてきたのは向こうも偶然に自分に掛けてきた、という事なのだろう。

 偶然と言えば偶然だが、それを知れただけでも少し満足だった。

 まだ気になる事や知りたい事は色々とあるが今はもうそれどころではない。

 意識が薄れていく。

 「あはっ、蒼樹も辛いよね、辛いよね? 今すぐに楽にしてあげる」

 ゆっくりと小燐は近付いてくる。

 舌を舐めずり手にした太い針を携え近付いてくる。

 そして、

 「バイバイ、蒼樹」

 大きく手を振り上げその凶器を振り下ろそうとした。

 その時、



 「う、お、ああああああああああああああああああああッッッ!!」



 雄叫びと共に数人の〝鬼〟になった男女生徒の塊が教室の扉を突き破って侵入してくる。

 呆気にとられた小燐は動く事も出来ず、その塊の直線上にいた彼女はただ圧し潰される形で吹き飛んでいった。

 「な、にが?」

 呆然としている蒼樹の目の前にが立ち憚った。

 その後ろ姿はお伽話に出てくる勇者や王子様のように、優雅ではなかったのかもしれない。

 所々がボロボロに破れていたり泥だらけになっていたりとカッコよさは無かったのかもしれない。

 だが、

 白鐘蒼樹からすればどんな物語の主人公よりも頼もしく、輝いて見えたのかもしれない。

 「――――――もう大丈夫だ」

 その声に聞き覚えがあった。

 一番最初、何も分からなかった自分と初めて会話した男の子。

 無愛想でそっけなく、それでも心配してくれた声の主。



 「蒼樹、待たせて悪かった――――――ここからは俺が喧嘩してやるッ!!」



 百鬼洸太郎なきりこうたろうが蒼樹を護るように立ち憚った。

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