第5話
*
「じゃあ行ってくるね」
当然のごとく、音愛は予選を勝ち進み決勝トーナメントにたどり着いた。
「配信見て、応援してよね!」
「もちろん」
温かい服装に身を包んだ音愛は、マフラーの陰から口を出して言った。朝の十時だった。
トーナメントの配信開始時刻は十二時なので、それなりに早い時間に家を出ている。前泊している子もいる、と音愛は言う。
都式は見送ると、何をするでもなくリビングのソファにもたれ掛かった。アニメを見たり、適当なテレビ番組を見たり、音愛と過ごしている愛の巣で、音愛のことを思考から外すのはとても簡単なことではなかった。
時間になると、都式はテレビで配信を開いた。部屋に行くのは孤独が強まって憂鬱になりそうだからやめた。
番組が始まると、司会の二人が適度に挨拶をした。程なくして計八つのチームメンバーが勢揃いする。その中には確かに音愛の姿もあった。
「あの男」
音愛の配信で慣れ親しんでいた男が誰なのか、司会が男の名前を呼び、男が反応したことで判明する。
確かに、音愛と距離が近い。わかってやっているように見える。すぐに配信画面から選手がはけたことで、都式は一息ついた。
「寝るか」
男は都式よりも背が低く、しかし筋肉質だった。ガタイが良い。華やかな音愛の隣にいる男は、見ているだけでもむさ苦しい。
元々、デトクロの知識は都式には全くない。見ていても楽しくはないだろう。応援する気持ちだけ残して、都式はふて寝した。
ふて寝は長いこと続いた。都式が起きたのは夜の七時だった。
『大会終わった! ちゃんと見てた⁉️ これから祝勝会行ってくる』
寝起きでスマホを確認すると、音愛からそんなメッセージが入っていた。戦績は書かれていない。気になってスマホで配信の再生バーを最後の方まで飛ばして、確認する。
表彰の壇で、準優勝だと音愛のチームは表彰されていた。
『やるじゃん。おめでとう準優勝』
気持ちの追いつかない言葉だけは容易く打つことができた。都式は音愛の活躍を喜んではいた。これでひとまず配信活動は安定するだろう──。
『十時までには帰る!』
再び音愛から連絡が入る。その言葉に、都式は結構な安心感を覚えた。その約束が守られるという前提があるからこそ。
『楽しんで。お酒飲み過ぎるなよ』
打って、スマホをベッドに放り出す。寝ていたとはいえ、昼から何も食べていない都式は痛みを伴う空腹感を覚えた。
音愛のいない食卓では、栄養バランスは守られない。献立を考えることもなければ、調理することもない。
音愛の準優勝を祝って、都式はピザを食べていた。いつもなら彩豊かな食卓も今日は黄色一色だった。
夕飯を食べると、都式は一定の配信スイッチが入る。習慣となればイヤイヤでも始められるようになった。しかし、今日はどうにもスイッチが入らない。都式自身も配信しなくて良い気がしていた。
都式はおもむろにアンクラを起動した。一周回って、アンクラは趣味になった。萎え落ちも野良に怒ることも、今日は許せた。音愛が帰ってくるまでの待ち時間が苦痛だった。
時刻は二十二時を過ぎる。とくに音愛から連絡が入ることはない。祝勝会が長引いているんだな、と都式は呑気に考えざるを得なかった。
独特なメロディーを奏で、都式はそれが電話の着信であることを知る。相手は、音愛だった。
喜びと安心で舞い上がり、都式は強く応答ボタンを押した。
「もしもし?」
「あ、式さん?」
聞き慣れない声だった。しかし聞き覚えはある。男の声。少しニヤついている。
都式は、やっぱり音愛は酔い潰れたのか、と考える。
「誰ですか?」
「あ、俺ですか? 俺はねむさんのチームメイトのレンですけど」
「はい」
「……今ホテルにいるんですけど」
「はい?」
「今ねむさんとホテルにいるんですよ、俺」
「なんで?」
「いやあ、ねむさんが結構酔っ払っちゃって」
遠くから──それはベッドの衣擦れ音を伴って──「ううん」と音愛の寝声が入ってくる。
「タクシーで送り届ければいいじゃないですか。住所わからないなら教えますよ」
都式の口調が強くなる。荒々しく、怒りを隠さない。
「いやあ、ホテルの方がいいって。ねむさんが。ねえ?」
「……式くん、ごめんね?」
「は?」
ごめん? ごめんって、何? 音愛が謝ることは珍しかった。普段から互いにこまめにコミュニケーションをとっているから、食い違うことはなかった。
だから、その謝罪は何の意味を持っているのか都式は分からなかったし、解るつもりもなかった。しかし、分かってしまった。
「じゃ、そういうことなんで」
ぷつ、と言いたいことだけ言って、レンは通話を切った。
許せない、と都式は憤る。そして音愛に対する感情が冷ややかに冷め切っていく感覚も覚えた。怒りで、目元が熱くなる。
都式は何の抵抗もなく音愛の配信部屋に入る。丁寧に整頓されており、都式のごちゃごちゃ机とはまるで違った。そして、丁寧に綺麗にされているからこそ、机にはキーボードとマウスしかなかった。
ピンクと水色が配色されたキーボードとマウスは、時には七色に光る。しかし、今の都式にとってそれは全く関係なかった。
目に映ったものを壊すつもりだった。だから都式はキーボードを手に取った。
W、A、S、Dの文字盤が摩擦ですり減っている。猛練習を思わせる消耗ぶりだが、都式には関係ない。
両手でキーボードを高く持ち上げ、床に叩きつける。全てを終わらせる。怒りはそれで一気に発散される。都式にとっても、それだけの感情だった。
──ゲーマーに指は何本必要なのだろうか。
ゲーマーは指が十本しかないのにキーボードを叩けるのか 無為憂 @Pman
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