第4話

 *

 音愛の炎上が落ち着いたのは、それから一ヶ月後のことだった。

「伸びない。全く伸びない」

 二人で囲んでいる食卓で、音愛はそう切り出した。一昨日活動再開した配信した時は、いけるかもと言っていたが、昨日今日の配信では視聴者は半分以上減り、投稿した動画は配信で来てくれたファンが見てくれているかいないかといった具合だった。一昨日の伸びは単なる揶揄いだったのだ、と都式は思う。その事実に、音愛が気づいていないわけがなかった。

 俺と別れればいい──、かぼちゃの煮物をつまみながらそんな言葉が出そうになった。かぼちゃが甘すぎたから。しかし、都式は「これからだよ」と返した。

「私、あのゲームたぶんやめると思う」

「ガンへ?」

「うん。プロモーターの仕事も無くなりそうだし」

「そうだよね……」

 一汁三菜で整えられている都式と音愛の食事は、音愛によって作られていた。焼き魚ときんぴら牛蒡がお皿に美しく盛られている。音愛は箸置きに箸を置いた。

「アンクラもちょっと距離を置く」

 その発言に、都式は一番驚いた。

「ちょっと待って」

 都式もお茶碗に箸を置く。ご飯は半分以上残っている。

「そのままの意味だよ」

 都式の脳内では、自分の配信の事と同棲の解消という文字列が踊っていた。短絡的な思考だった。排水管にものが詰まったかのように、都式の思考回路は一瞬止まった。続けて音愛が何も言わないのを受けて、都式は同棲の解消まで考えていないことに気づいた。それに少しだけ都式は安心する。

「今誘ってくれている配信者の人とこれからゲーム配信していくと思う。大会も出るかも。今はそれで立て直していくしかない」

「……」

 言って、音愛は食べはじめた。一刻も早く、イメージを回復しなきゃいけないのは配信者生命を考える意味でも重要な事だった。都式は音愛の作戦は正しいとは思いつつも飲み込めなかった。焼き魚の小骨が刺さったかのように。式というキャラクターにはねむが必要なのだ、といつしかそう思っていた。

「だから、式くんには悪いけど、もうアンクラはやらない」

 イメージの為だ、と都式は自分に言った。

 音愛は魚の身を綺麗に食べた。食べ終わった後には骨しか残っていない。音愛はそのまま食器を片付け、洗い始めた。

 皿に泡をつけ、シンクにがたんと皿を置く音が二人の音だった。何も言わない空間に気まずさを感じた音愛が言った。

「大丈夫。式くんとはまだ別れるつもりないから。安心して」

 背中越しに聞こえる音愛の声は、警鐘を鳴らしているかのように聞こえた。安心させるように優しく。

「そうですか。それは良かった」

 弱々しく、しかし安心するように都式は答えた。

 その日から、意趣返しというわけではないが、都式の配信コンテンツはガンズヘイルになった。音愛がいなくなったせいで、アンクラで萎えることが増えたからだった。ガンズヘイルは自分の実力だけで戦えるからいい、と都式は思う。アンクラは味方の力が重要すぎた。音愛とやるアンクラは偉大だった。

 他にやるゲームといってもガンズヘイル以外にないというのが実情だった。音愛にアンクラのイメージをつけないために他のゲームを触ろうとしたが、都式はゲームに対して結構な選り好みをするタイプの人間だった。他を触っても楽しくない。音愛にとばっちりがいったとしても、共倒れするよりはマシだった。音愛の為に何かをしたいのに、役に立ちたいのに、何もしないことだけが一番マシだということに気づきたくなかった。

 都式はガンズヘイルをプレイし、音愛は新しいFPSゲームを配信に取り入れた。そのゲームでは、音愛はだいぶ歓迎された。ガンズヘイルよりも若いプレイヤー層で、プレイヤー人口も落ち目のガンズヘイルとは違ったために、音愛の炎上は全体からしてみれば些細な問題だった。

 それから都式は細々とガンズヘイルを続けた。都式は細々とで良かった。満足していた。音愛は持ちまえの愛嬌で人気を取り戻し、前と同じ軌道に乗せることができた。

 互いにとって辛い時期を乗り越えた二人は、炎上前とは違う信頼とは少し性質の違った安心感が生まれていた。音愛は炎上を感謝すらしていた。都式にそういった感情を向けることはないが、環境が変わって良かったと思うところがある点で、有り難く感じていたのは確かだった。

 

 *

「私、二月の十日に大会出るから。まあまだ予選も始まってないけど」

 いつもの食卓で、音愛は何気なく話を切り出した。その大会まで、まだ三週間ほど時間があった。コールスローに、味噌汁、唐揚げの黒酢あん炒め。バランスのよい食事は、炎上中でも乱れなかった。

「出ること決定なんだ?」

 都式は揶揄って言う。揶揄いつつも、音愛なら本当に出てしまうのだろう、と都式は思った。

「共有カレンダーに予定入れといたから。その日はご飯好きに食べて」

「了解。大会って、デトクロ?」

 唐揚げの黒酢あん炒めを頬張りながら、都式は訊いた。デトクロとは、音愛がやり始めた新しいFPSゲームのことだった。正式名は、デトロイトクロス。

「今配信でやってるパーティでね」

 都式は音愛の配信アーカイブをチェックしていない。同居人の配信を確認するのは、なんだかプライバシーに触るようで気が咎めた。音愛も都式の配信の話題を出してこないあたり見ていないのだろう、と都式は考えていた。

「ふーん」

「何、嫉妬? それとも興味はない?」

 音愛はいじらしく身を乗り出した。Vネックのニットセーターから音愛の下着がちらっと覗いた。夕食前に実写配信をしていたので、服装に気合いが入っている。それが災いして、ただの挑発が性的なものに変貌した。

 この焦らしが、都式は好きだった、音愛らしい、と思うから。

「嫉妬かなあ? どうでしょうねー」

 うぶな会話の応酬が続く。カップルとして体を重ねることなんて何度もしているのに、出会いがバーの飲みだったことと、二歳の年の差が、甘酸っぱい先輩と後輩のような関係性を続かせていた。

「早く帰ってくるように頑張るよ」

「どうせ呑むでしょ」

「ははっバレてる」

 言い捨てて、音愛は食器を片付け始めた。

「迎えに行こうか?」

「大丈夫。心配? しなくてもちゃんと帰ってくるよ」

「わかったわかった。お風呂沸かしとくね」

「配信するの?」

「する。定期配信」

「わかった。じゃあ早めに入っちゃうね」

 音愛は食器を洗い終えると、エプロンで手を拭いた。配信準備含め三十分以上時間のあった都式は、リビングでだらだらとスマホをいじって寛いでいる。いそいそと音愛が着替えを用意し、裸になるところを傍目に見るのは、もう日常となったことだった。

 都式が配信を始めると、入浴の時間差で音愛も配信を始める。音愛は、する日としない日があったが、最近は大会に出るための練習で連日配信を行なっている。

「な訳ないだろ」

 配信部屋である防音室に入ると、都式はそう溢した。苛立ちから、とにかく否定の言葉を言いたかっただけだったが、思いの外大きい声が出てびっくりして口を手で覆う。

 都式は配信を始めずに、定期的に投稿しているコーチング動画を編集し始めた。音愛に次いでもらったコーヒーをちびちびと飲みながら、音愛の配信を待つ。

 異変は音愛がデトクロに手をつけ始めた頃に起こった。都式は先述した通り、音愛の配信を逐一見るほうではなかった。しかし、同じ屋根の下で暮らす恋人として、会話の些細なところから、都式は音愛の異変に気づいた。それはもしかしたら異常が正常に戻っただけなのかもしれない。活動自粛中の音愛は、都式だけがストレスの捌け口だった。キスを事あるごとにしてくるし、ハグも一日に何度か求めてくる。都式はそれが愛されているという感じがして好きだった。むしろ、年上の音愛が弱いところを見せてくれるのが嬉しかった。

 しかし、デトクロは音愛を変えた。音愛は、他に男がいるような空気を纏う。浮かれていたり、楽観的であったり、時には湿っぽいことを言うせいで、都式は気づいた。都式と同棲しているということを上書きしているようにも見えたし、ただの浮気にも都式には見えた。

『みんなこんばんは〜』

 都式は親指の爪を噛んだ。爪を噛む癖はなかったが、モニター越しで固唾を飲むことができなかった。チームメイトは四人中二人が男だった。女性ゲーマーは増えているものの、総数で見れば男のほうが段違いで多い。男の接触を避けるほうが難しいのは都式も重々承知している。しかし、配信のチャット欄で、男女2・2のチームだからか、男と女でカップリングのように扱われているのは気にならなかった。それを良しとしようとしている音愛のことも、みていて嫌気がさした。

 都式は配信を開いていたタブを閉じる。くぁーとあくびをしながら伸びをすると、目の前が立ちくらみのように真っ暗になった。

「音愛……」

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