キッチュな楽園、素朴な味わい

イビヲ

第1話

生臭い風が頬を撫でる。

中途半端な日差しと、まだらに千切れた雲。

薄茶色に濁りきった水面をスナック菓子の空袋が流れていく。

ボロボロの観光ボートはベンチ部分のペンキが剥げ、波除けのビニールもカビと擦り傷で曇っていた。

どこを触ってもなんとなくべたつく気がする湿度と不衛生感に、舌打ちをひとつこぼして除菌用ウエットティッシュで手を拭う。


不快感の極めつけは、斜め前に姿勢を崩して座っているガイドのナメた態度だ。

プライベートツアーの客をあちらこちらに引き回し、ペイバックをたんまり稼ぐ腹積りだったのだろうが、生憎こちらは目当ての場所にしか用がないと旅行代理店への依頼の時点で伝えている。

それでも移動を共にし始めた瞬間からネットリとした愛想笑いであれもこれもと出される提案を全て断り続けた結果、ヘソを曲げて今は斜め前で寝たふりをしていた。

この男と一日行動を共にしなくてはいけないというのはどうにもうんざりしてしまうが、念願の島はもうすぐだ。不快の全てを意識から追い出すように、私は目的地の載っている印刷の荒いパンフレットを開いた。



熱帯の大河の中洲、点在する島々の中でも、パックツアーから外されてしまうほど存在感の薄い小島。

そこにかつてあった新興宗教の教団跡に、私の好奇心は一極集中していた。

少ない情報をかき集め、白黒の写真に目を凝らし、その様子のおかしさと教義のトンチキ具合に、これはたまらん場所だろうと当たりをつけたのだ。


幼少の頃ニュースで見た、真っ白な防護服に大きなパラボラアンテナ、白いワゴン車で隊列を組んでいた異様な新興宗教。

病が治るとうたいながら、その教祖が病で亡くなり、結局立ち消えになった信仰。それを爆速で忘れ去る世間。

その一連の動向全てが味わい深かった。

侘び寂びなどとオシャレなことは言えないが、独特の苦味と滑稽さと虚しさを噛み締めるたび、心がロマンに擽られる心地がした。


大人になってからはそれを記憶の引き出しから取り上げて舌に転がす機会も減っていたが、何の気なしに読んだ旅行記本にトンチキ宗教施設跡地の話題を見つけ、あのときの心地が一気に蘇って、死にかけていた好奇心に火がついたのだ。

だって考えてもみてほしい。

[ココナッツの恩恵だけで人は生きていける]そんな教義を掲げた宗教が、この世に一定期間存在していたという事実には、たまらないものがあるではないか。


もちろん、人の信仰をエンタメ消費するようなことは悪趣味であり、当事者の悲喜劇は売り物ではない、それはわかっている。

でも、だからこそ誰も誘わず一人で、既に潰えた癖の強い宗教の残り香を嗅ぎに来たのだ。それくらいは許されたい。



観光ボートの向かう先にこじんまりとした島と、その島を覆う木々から飛び出した妙に背の高い原色のモニュメントが見えた。

ブーゲンビリアの花のようなピンクが特に目立っている。

あっという間に桟橋に付き、揺れる足元にもたついていると、ガイドが無表情で手を差し伸べてきた。

もうあれこれ勧める気はないのだろう。淡々と最低限の仕事はしようという態度には、先程よりよほど好感が持てた。


木の桟橋を進み島内へ踏み入れると、そこにはプルメリアやハイビスカスといった、いかにも熱帯植物園にありそうな花々が咲き乱れており、何より目を引くカラフルなモニュメントが狭い敷地の中に整然と並んでいた。あまりに色鮮やかすぎて、まるで春節の竜のようだ。

折りしも千切れ漂っていた雲が晴れ、鋭い日差しが異様な形の真っ黒な影を地面に写している。


ほんのわずかな期間存在した、かの宗教の信者たちは、この光景に楽園を見ていたのだろうか。


チープな桃源郷。デパートの屋上。新しい保育園の遊具。動物園の隣のオマケみたいな遊園地。

連想する言葉を頭の中で並べながら、そう広くない島内を歩き回る。

歩道を示すように巡らされた木の回廊と、モニュメント周辺の樹脂モルタル舗装が、宗教施設の厳かさから遠く離れた陽気なテーマパーク感の原因だと気付く。

「これはいい……良いな、とても」

おかしな場所に彷徨い込んだ実感が、私の足を軽くする。

デジカメ片手に隅々まで見て回ろうと早歩きでうろついている間に、ガイドはどこかに行ってしまった。しかしまあ、どうせ小さな島だ。帰りには素知らぬ顔で横にいるだろう。


島の裏手まで回ると、まるでリゾート地のような白い木製の門と、幅の短い砂浜があった。

こんなに心地良い景色のある島なのに、パックツアーから外されているのはとてももったいない気がした。


回廊を辿り、島の中心部らしき場所にたどり着くと、そこには大学の研究棟程度の大きさの建物があった。

周辺にいくつか東屋も点在している。そのうちの一つに、ハンモックで寝ているガイドの姿を見つけ、呆れつつ笑ってしまう。

自分もこんな感じで仕事をしてみたいものだ。


さてこの大きな建物が宗教施設の本丸か、と足を踏み入れると、シンプルなカウンターに女性が二人座っていた。

眼鏡をかけた中年の女性と、彼女より少しだけ若そうに見える細い小柄な女性だ。


「いらっしゃい、ご予約のお客様?」

「えっ?いえ、ここは……」

「ここは今はゲストハウス。泊まるなら事前の予約が必要よ」

差し出されたショップカードには、確かにゲストハウスと書かれており、ホームページのアドレスも記載されていた。

「中を見物したりは」

「宿泊のお客様だけしか入れないの。ごめんなさいね」

それはそうだろう。泊まらない人間が中をうろついてはセキュリティ上よろしくない。

「土産物を売ってたりとか」

「それもないわねぇ……。対岸の観光ボートの発着場近くに大きな市場があるから、帰りに寄ってみると良いわ」


眼鏡の女性がそうアドバイスをくれて会話を終わらせたものの、すぐには去り難く、カウンター脇に貼られた写真や新聞記事などを眺める。

写真は色も褪せ、新聞も現地の言葉で文字は読めないが、どちらにも教祖と思わしき人物が写っているようだった。

人の良さそうな、日本なら新小岩辺りにいそうな雰囲気のおじいちゃん。勝手なイメージだが、なんだかそんな顔立ちだった。


「これあげる」

写真から顔を上げ、カウンターに一礼して去ろうとしたとき、さっきまであまり会話に加わっていなかった小柄な女性がカウンターを出てきて何かを手渡してくれた。

「ここで作ってるココナッツキャンディー」

「ありがとう、大事にいただくよ」

四角いシンプルなキャラメルのような包みをショップカードと共に大事にウエストポーチに入れる。

じゃあねと手を振ると、二人は笑顔で手を振りかえしてくれた。


建物から出た途端、外の明るさに眩暈がする。

涼しげな東屋からのっそりと、ガイドがこちらに向かって歩いてきた。

「気はすんだ?」

「ああ、もう全て見たよ」

ガイドは一度頷き、観光ボートに連絡を入れた。

きっとこの島の近くにいる手隙のボートが迎えに来る手筈なのだろう。

目が痛いほどの原色の花とモニュメントを見渡しながら、ゆっくりと桟橋に向かう。

「そういえば、この島で何かお土産は買えた?」

「いや、何も」

「後で大きな市場にでも寄る?」

「いや……ああ、うん。少しだけ見て回ろうかな」

眼鏡の女性のアドバイスを思い出し、最後くらい提案に乗ってやることにする。

ココナッツキャンディーをもらって気が付いたが、ココナッツ教団跡というわりに、ここのモニュメントにはココナッツらしい形のものはなかった。

どうせなら市場でココナッツ細工やら菓子類やらを買って名残を惜しむのもいい。

異様な場所から日常に帰る物寂しさが、心を少しクシャクシャにしていた。



新興宗教施設跡への旅は、まるで風邪の時に見る夢のようだったと、飛行機の窓から蟻の巣のように枝分かれする川を眺め思う。

帰国したらその夢も、忙しさに埋もれていくのだろう。

やるせない気持ちを紛らわせるように、ウエストポーチからあの島のゲストハウスのショップカードを取り出す。

そういえばあの時もらったココナッツキャンディーも溶ける前に食べなくては。

ポーチの中を探り、キャンディーがまだ無事なのを確認して口の中に入れた。

感動するほど美味くはないが、記憶を反芻するにはちょうどいい素朴な味だった。



「ビーフオアチキン?」

客室乗務員の声でうたた寝から目を覚ます。どうやら機内食の時間らしい。

チキンを選んで銀紙の蓋を開けた途端、胃液が迫り上がってきて慌てて蓋を戻す。

何が起こったというのだろう、食べ物の匂いを全く受け付けない。口に運ぼうという気が全く起きない。

短い休みに強行軍で旅に出た疲れが出てきてしまったのだろうか。

その割に、具合が悪いという実感はまるでない。

腹は減っている。何か、食べたいと思うものを必死で考えてみる。

好物の蕎麦。蕎麦粉の匂いを思い出して嫌な気分になってしまう。

オムライス。薄い卵の食感の記憶が紙のようにしか思えない。

エイヒレ。魚臭さがもはや暴力だ。

どうしてしまったんだ。一体私に何が起きている?



ココナッツ。



唾液が溢れた。

さっき食べたあのココナッツキャンディーが食べたい。

露天で食べたココナッツアイスも。

市場で買ったココナッツクッキーの、あのトッピングの上の部分だけが食べたい。

割ってすぐにストローを挿して飲むココナッツジュース。その後スプーンでほじくり出すつるりとした身の部分も食べたい。


どうしてしまったというのだ。

今朝までは普通にホテルのビュッフェを食べていた。

さっき食べたココナッツキャンディーに何か悪いものでも入っていたというのか?

あんな、素朴な味の飴に。

「ここで作ってるココナッツキャンディー」

極彩色のモニュメント。あの真新しい遊具のような色。テーマパークのような樹脂モルタル舗装。劣化はどこにもなかった。ゲストハウスの予約。宿泊客はどれほどいて、どれくらいの期間滞在している?

信仰は本当に潰えていたのか?



……私は、取り込まれてしまったのだろうか。

ココナッツの恩恵だけで、現代日本でどう生きろと。

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