第58話



坂巻先生:「あぁ……由紀子さん。ワタシが苦しんでるから助けに来てくれたんだね」


縋りつくような由紀子に微笑み、坂巻先生は彼女の腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。


しかし由紀子は坂巻先生のことなど気にも留めず、白衣に手を這わして指輪を探している。


坂巻先生:「由紀子さん、もう指輪の事は忘れて。ワタシは持ってませんから。ね?」


坂巻先生は由紀子の顎を指先で持ち上げ上を向かせると、キスをしようと顔を近付ける。


指輪以外に興味の無い由紀子は、坂巻先生にされるがままだった。


柳 麗奈:「やめてっ!!」


柳 香奈:「お母さんに触らないで!!」


麗奈と香奈は弾けた様に走り出し、由紀子の元へ急いだ。


このままじゃ、旦那を愛している由紀子が坂巻先生に汚されてしまう。


柳 由紀子:「ヤメテ」


虚ろな目をした由紀子が坂巻先生を睨み上げていた。


柳 由紀子:「ワタシガアイシテイルノハ、ヒトリダケ」


由紀子は馴れ馴れしく顎に触れている坂巻先生の手を振り払う。


その態度が坂巻先生の逆鱗に触れてしまった。


坂巻先生:「これだけ愛しているのにバカにしやがってッ!!」


坂巻先生は由紀子の腕を掴んだままの手に力を入れて、投げ飛ばした。


駆け寄って来た麗奈と香奈を巻き込んで、3人は盗撮写真で埋め尽くされた壁にぶち当たって倒れ込む。


その衝撃で壁に貼られた写真がパラパラと落ちた。


望月 愼介:「由紀子さん!!」


神澤 真梨菜:「2人とも!!」


折り重なる3人は俺と神澤の声に反応しない。


変な話だが、彼女たちは幽霊なので気を失っていても死んでしまう心配はない。


それでも俺は3人の身を案じた。


陣内と軽部が駆け寄ってくれたので、俺は目の前の敵に向き直る。


望月 愼介:「最低な奴だな。女子供に、ましてや人生を捧げるほど惚れ込んだ女だぞ」


もう坂巻先生の目には、歯向かうものは全て敵になってしまうようだ。


坂巻先生:「殺してやる。全員ここで苦しみ続ければいい」


坂巻先生の顔から笑顔が消え、失恋に顔を歪めていた。


坂巻先生:「望月慎介、お前に絶望を与えてやる。お前はワタシが指輪を持っていると言っていたが、誰が肯定した?」


白く濁った奥で殺意を宿した瞳が俺を睨みながら、坂巻先生のは羽織っている白衣のポケットを裏返した。


望月 愼介:「なっ!?」


ポケットの中は空。


坂巻先生は指輪を持っていなかったのだ。


坂巻先生:「それにさっきは苦しんで見せたが、お守りの光などワタシには効かんよ」


口元に微かに歪ませ、坂巻先生は勝ち誇っていた。


神澤 真梨菜:「そんな!?」


望月 愼介:「はったりだ!!」


俺は坂巻先生の前に再びしおりをかざした。


だが坂巻先生は大きな笑い声を上げるだけで、先ほどのように苦しむことは無かった。


坂巻先生:「だから言っただろ?」


望月 愼介:「クソッ!!」


俺は坂巻先生に向かって錆び付いたハサミを投げた。


だがハサミは坂巻先生の体を通り抜けて、背後の白衣を羽織った死体に突き刺さった。


坂巻先生:「そんなものも効かん」


自分の死体に突き刺さるハサミを眺め、顔をしかめる事もなく坂巻先生は呆れた声を出す。


痛くも痒くもなさそうだ。


坂巻先生:「お前は誰も守れずに死んだ仲間の仇も討てずに、ここで死ぬんだ」


そう言って笑った坂巻先生は一瞬で間を縮めて、俺の首を片手で捉えた。


望月 愼介:「ぅぐッ!!」


俺の手から懐中電灯が落ちる。


轟チャンネルの二人:「望月さん!!」


神澤 真梨菜:「離せッ!!」


神澤が俺の首を絞めている坂巻先生の腕に掴み掛る。


坂巻先生:「勝てると思ったのか?」


坂巻先生は空いていた左手で神澤の首を掴んで持ち上げた。


陣内:「神澤さん!!」


後ろから陣内の声が聞こえる。


坂巻先生:「お前が死ねば、望月慎介は更なる絶望に落とし込めるな」


地面からつま先が離れ、首を絞める手を必死に振り解こうとしている神澤を、由紀子のように投げ飛ばした。


神澤 真梨菜:「ぐはッ!!」


神澤はコンクリートの壁にぶつかり、口から血を吐いた。


望月 愼介:「て、テメェ……!」


麗奈から貰ったしおりの効果もハサミの効果もない相手に、反撃する手が思いつかない。


今動けば殺される。


張り詰めた空気が読めないほど馬鹿じゃない陣内は、神澤に駆け寄るために様子を窺っている。


由紀子も麗奈も香奈も、軽部が呼びかけても目を覚まさない。


神澤は意識を手放している。


坂巻先生の手に力が入り、首がさらに締まる。


苦しい苦しい苦しい。


どうしたら、この最悪な状況を切り抜けられるんだ!?


狭まる視界で何かが揺れる。


陣内:「貴方、本体とは気が繋がってるだけで痛みは感じないみたいですね」


思いもしない陣内の声に驚いたのか、少しだけ首を絞める手の力が緩む。


そして広がる視界が、坂巻先生の死体に跨る何かを捉えた。


昌暉:「食い散らかされても肉塊が残っていれば、それは死体が在るのと同じみたいっスね」


昌暉が口元に笑みを浮かべて立ち上がった。


軽部:「昌暉ッ!!」


泣きそうな声で叫んだ軽部に優しく笑いかけた後、昌暉は坂巻先生を睨んだ。


昌暉の登場に隙が生じ、陣内が腰を低くして気を失っている神澤に駆け寄った。


幸い、少し肩を揺すると神澤は目を覚ました。


昌暉:「あんたの腹の中もぶちまけてやったっスよ。お返しだ糞野郎」


昌暉はつまんだ指輪を見せびらかした。


坂巻先生:「クソガキッ!!」


俺の首から坂巻先生の手が完全に離れた。


俺はその場に倒れ込む。


昌暉:「軽部ぇぇええ!!」


昌暉は坂巻先生が動くよりも早く、死体の胃袋から掻き出した由紀子の指輪を投げた。


軽部の手が指輪を掴んだのと、坂巻先生が昌暉に手を出したのは同時だった。


昌暉:「うぐっ!?」


望月 愼介:「昌暉ッ!!」


危機的状況を救ってくれた昌暉だったが、坂巻先生の力には叶わず消えてしまった。



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