第36話


望月 愼介:「……犬、だ」


予想外の中身に思考が停止する。


バッグの中には、犬の頭が入っていた。


望月 愼介:「(血の臭いに混じってたのは、この獣臭だったのか……)」


断面を見る限り、刃物で切断されたのではなく引き千切られた様な状態だった。


死ぬ直前まで何かを食べていたのか、犬の牙には肉片が付着している。


神澤 真梨菜:「な、なんで犬の頭なの……」


神澤が俺の隣にしゃがみ込み、バッグの中を覗き込んだ。


望月 愼介:「あんまり見るもんじゃねぇぞ」


神澤 真梨菜:「私、こういうの平気だから……そりゃいきなり出てきたら驚くけどね」


神澤はバッグの中に手を伸ばす。


望月 愼介:「おい、触る必要は無いだろ。やめとけ」


俺は神澤の細い手首を掴んで、その動きを阻止する。


神澤 真梨菜:「だって……もし、万が一、犬だけじゃなかったら?」


俺だけに聞こえるように小さな声で、神澤は続ける。


神澤 真梨菜:「もし、この下に犬じゃないものが入っていたら……犬と一緒に腐るなんて嫌じゃない?」


あえて神澤は‟昌暉”とは言わなかったが、俺は犬の頭と一緒に昌暉の頭が腐るのを想像して、神澤の手首から手を離した。


神澤は再びバッグの中に手を伸ばす。


神澤 真梨菜:「この犬、さっきまで生きてたみたいに体温があるよ……」


望月 愼介:「殺されたばっかって事かよ……」


神澤はゆっくりと犬の頭を退かしていく。


一つ犬の頭を退かすと、その下から二つの犬の頭が出てきた。


望月 愼介:「おい、いくつあんだよ……」


神澤は無言で犬の頭を床に並べた。


膨らんだバッグからして一匹分の肉片が入っていると思っていたが、予想に反して犬の頭は三つ入っていた。


その光景が見えてしまったようで、背後から陣内の小さな悲鳴と軽部の息を呑む声が聞こえる。


神澤 真梨菜:「良かった……」


神澤も昌暉の頭が入っていると思っていたらしい。


神澤 真梨菜:「ん?……ッ!?」


神澤は安堵の溜め息を漏らす前にに気付き、再びバッグの中に手を入れた。


神澤 真梨菜:「ね、ねぇ……望月さん、これって……」


神澤が最後に取りだしたのは、レンズが割れてフレームも折れてしまっている黒縁眼鏡だった。


望月 愼介:「これは……」


昌暉のものだった。


軽部:「そ、それ……」


背後から軽部の震えた声がした。


望月 愼介:「(しまった……)」


軽部:「それ! 昌暉の眼鏡ッ!!」


陣内:「昌暉ッ!?」


軽部の声に陣内が反応してこちらに顔を向ける。


神澤 真梨菜:「やっぱり……これ昌暉君の?」


神澤は血だらけの手で、青ざめる二人に眼鏡を見せた。


軽部:「間違いないです……」


軽部は泣くのを必死に堪えながら、奥歯を噛み締めて頷いた。


陣内:「な、なんで昌暉の眼鏡がそんなところに……ッ!?」


???:「ワタシが殺したからだよ」


現実から目を背ける陣内に、ノイズ混じりのガサガサした男の声が答えた。


この部屋には俺たち以外、誰も居ない。


突然の声に、四人の動きが止まる。


???:「誰もここからは出さない」


部屋の空気が重い事に気が付き、瞬時にどこから少女が現れるのかを探した。


俺は目だけで部屋を見回すと、誰も動いていないのに目の前の血だまりが揺れているのに気が付いた。


俺が黙って揺れる血だまりを見つめていると、だんだんと血だまりが膨らんできた。


通常では有り得ない事態なのにも関わらず、俺は血だまりから目が離せなかった。


膨らみはやがて歪な形になり、俺は白く濁った眼球と目が合い、声を上げてその場から跳ね退けた。


水面から顔を出す河童のように、血だまりからミイラのようなものが顔を出していたのだ。


神澤 真梨菜:「きゃぁぁああああッ!!」


さすがの神澤も悲鳴を上げずにはいられなかった。


陣内:「いやぁぁぁぁあああああああッ!!」


軽部:「うわぁぁあぁああああっ!?」


陣内は腰を抜かし、軽部はその場から動けなくなっていた。


血だまりからは顔だけではなく肩や胸部が現れる。


そして、すーっとバケモノは全身を現し、血だまりの上に立って俺を見下ろして笑った。


どろりとした血液をまとう半透明の男は、腐敗した死体のような姿をしていた。


ミイラのように皮膚に張り付く変色した皮膚。


所々肉が崩れて骨が露出している。


歯は剥き出しで、俺と目が合った眼球は白く濁り、もう片方の右目は潰れていた。


汚れた白衣を着たゾンビのようなミイラのような男の頬を、半透明ではない蛆虫が何匹も這っている。


白く濁った眼球がわずかに動き、俺の背後に視線を向けた。


陣内:「きゃぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」


目が合ってしまった陣内は喉から血が出てしまいそうなほど大きな声を出し、床を乱暴に蹴飛ばして部屋から逃げ出した。


軽部もその後を追うように部屋を飛び出した。


???:「望月慎介……20年ぶり、だな」


逃げ出した二人を追うつもりは無いようで、再び俺に視線を向けてニヤリと不気味に笑った。


今まで遭遇した少女とは比べ物にならないくらいの、重たい空気と死の予感。


???:「その様子だと何も覚えていないみたいだな……この人殺しが」


望月 愼介:「ッ!?」


もちろん、身に覚えは無かった。


???:「お前が居なければ、ワタシはこんな事をしなかったかもしれないんだ」


望月 愼介:「な、なに言ってやがる……」


深谷が言っていた『思い出さなくていい』というのは、俺が『人を殺した』事なのだろうか。


???:「忘れてるだけだ。お前が原因で少女は死んだ。お前が殺したんだ」


望月 愼介:「知らねぇって言ってんだろ!」


そんな記憶はないし、事実だとしても俺は捕まっていない。


男の話だと少女と、この男を殺していることになる。


人を殺しておいて、普通の生活ができるとは考えられなかった。


しかも20年前……つまり俺が11歳のころの話だ。


11歳の少年が、人を殺すことなんて不可能に近い。


???:「お前が忘れていてもワタシはこの20年間、お前を忘れたことは無い。ワタシはお前が憎い。ワタシの幸せを奪ったんだ。お前が!」


男は汚い手で俺に手を伸ばした。


望月 愼介:「逃げるぞ神澤!!」


俺は神澤の手を掴み、勢い良く床を蹴って逃げ出した。


???:「簡単には殺さないぞ、望月慎介」


腐敗した男は恨めしそうに呟き、血だまりの中へと消えていった。



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