10-2 総督の尻拭い

 転移者たちはマクィン軍の追撃を凌ぎきった。中王国軍にとっての主目標はゴッズバラ軍の本隊――司令官の王孫ジョージ・ウェイヴェルであり、別働隊は戦場から追い払えれば良しとした敵の判断も有利に働いた。

 代わりにゴッズバラ軍の本隊は猛烈な追撃を受け、渡されたエレベーター神輿での時間稼ぎも空しく、半数がオシナ城内に閉じ込められていた。その中にはジョージ司令官も含まれる。

 もしも、彼が捕虜になり身代金を支払う事態に追い詰められたら、ゴッズバラ王国の勢威は更に衰えるだろう。力及ばずながらマクィン軍に対抗する戦争の指揮を取ってきたのは彼なのだから一挙にパワーバランスが崩れて戦線が崩壊する可能性もあった。


 夜になって状況を把握した転移者たちは貴重な知人でもある司令官を助け出す手段を求めて意見を戦わせた。困難な後衛戦をこなして全員へとへとだったが、時間が経つほど包囲網は堅牢になる。特に北側は利用するために陣地をあえて残してしまったので、オシナ包囲陣の再建は容易だった。

「でも、たった百五十人で何ができるの?リスクの割にリターンが期待できないんじゃないの?」

 湯子が慎重論を述べる。真琴が疑問の前半に応じた。

「後から散って逃げてくる兵を通せんぼして捕まえさせたから、兵数は倍くらいにはなっているかも」

「……夜襲じゃ一緒に訓練したことのない彼らは使えない。俺たちの退路を守ってもらおう」

 真琴は(いつから夜襲に決まったんだ?)という表情と(何か策があるのか?)という表情をほとんど同時に浮かべた。最年少の司は目を瞑って首を傾けていた。彼女が対照になって姉の湯子は見た目は最年少でもやっぱり最年長であることを文武は実感した。


「……今日俺は、ソラト総督を動かそうとして、でも出来なくて懲りた。言うべきやるべきと思ったことはやらないと後悔する。もちろん勢いで無謀にやるわけじゃない。作戦はある」

 文武はたどたどしい言葉で演説っぽいことをする。まずは転移者たちと部隊指揮官の支持を確保する。そして「このくらいの時間に夜襲を掛けるから、何としても王孫に連絡をつけろ」とゴッズバラ軍の本隊に対して一方的に通告した。夜襲がうまく行ったら城内からも出撃して、少なくとも王孫は脱出させるのだ。

 この情報が敵に漏れればアウトだったが、残念ながら独自に王孫まで連絡をつける手段は持っていなかった。切実に「忍者」みたいな人材がほしくなる。


 文武の作戦は特別な情報を前提にしていた。冬の戦いが終わった後にエレベーターの痕跡を調べるため、徹底的に周囲の調査をした時の情報だ。

 だからオシナ西側の地形は目を瞑っても歩けるくらい把握している。細かい起伏と視界の関係すら判断できた。西から天極月の動かない光が照らす下を黒い布でカモフラージュした兵たちが暗がりを拾うように息を殺して行進する。

 もちろん地元の人間に案内させれば同じことができるかもしれない。それを敵が警戒する可能性は十分にあったが、会戦に勝利した当日であれば気の緩みがあるはずだ。また、城内や本隊の残党がいる南に比べて西側は警戒が薄いはずだった。しかも、周囲には昼の戦いで倒れた死体がまだ転がっていた。

 つまり、隠れる遮蔽物がないときは、死体の山に紛れることもできた。


 血の臭いが漂う凄惨な現場なのに、疲れから腹ばいになった状態で、そのまま寝てしまう兵も出てくる――できるだけ元気の残った百人を選別したのだが。互いに揺り起こしあいながらハティエ勢はマクィン軍の夜営陣地に肉薄した。これ以上近づけば篝火に照らされるところまで来た。

 見たところ土塁は未完成で簡単に乗り越えることができそうだった。土塁は堀の土をかき上げたものだから、土塁が低ければ堀の深さも浅いと予想できた。

 月とは違って天を動く星を目で追って、おおよその時間を把握する。しばしの待機が必要なようだった。オシナ城内に情報が届いていれば今ごろ出撃の準備をしているはず。あるいは届いていても夜襲など不可能だと信じてくれていない可能性もあった。

 それでも夜襲は行う。アドリブでも味方が脱出できる目はある。待ち伏せさえ受けなければ損はないだろう。


 文武はふと正気を取り戻す。

 人を殺して損がないと考えるなんて完全にこの世界に染まってしまった。マクィン兵に特別な恨みがあるわけじゃないのに……。

(生き残るために正気は邪魔だ。今は狂っていた方が生き残れる)

 その現実がたまらなく、おかげで狂えそうだった。隣に伏せる姉の姿を確認して覚悟を決め直す。彼女の肩は規則正しく上下して、寝ているようだった。

(いきなり寝言を口にして敵に見つからないだろうな……)

 ハラハラしているうちに時間になった。まだちょっと早いのかもしれないが、もう待ちきれない。文字通りの伏兵たちに仲間をつついて起こさせて戦闘態勢を整える。

「目的は敵を混乱させることだ。個人との戦いに拘るな。目印と合言葉で味方を区別することも忘れるな」

 小声で注意事項を伝達させる。こういう作戦のディテールは風雲島人の部隊指揮官たちが詰めてくれる。

 兵士の半数が苦労して持ってきた弩を構える。贅沢だが使い捨てにするつもりだった。弩よりも気心の知れた兵士の命が大事だ――この世界にはまともな法も親戚もないのだから。

(いくぞっ!)

 文武は声を出す代わりに、夜空に突き上げた腕を敵陣に向かって振り下ろした。

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