10-1 総督の尻拭い

「その使者を捕まえろ!」

 真琴がいきなり叫んだ。驚くべきことに女傭兵たちは迅速に反応した。言うことだけ言って帰ろうとしたソラト総督の伝令をすばやく取り押さえる。

「なにを!?」

 目を白黒させる使者に真琴は笑顔を迫らせて、

「せっかくだから任務を果たすところまで見届けていきな……ね」

 最後は振り返って文武に同意を求めた。声を掛けられた方は呆気にとられた意識を取り戻すと頷いた。

「そうだな……オレはアイツとは違う」

「こんなことして……っ!」

「それはこっちの台詞だ。大丈夫、終わる頃には貴方も総督から私達に乗り換えたくなっているから」

 さもなければまとめて死んでいるとは言わない真琴だった。八つ当たりみたいなものだが、伝令が戻らなければソラト総督の撤退が多少は遅れて後衛戦闘の助けになるとの計算もあった。実際のところ、総督は言いっぱなしで何もかも放り投げて逃げていたが。


 ハティエ勢は急いで殿軍の態勢を整える。単独で戦うのはあまりにも心もとないので、せめて援護の姿勢だけでも見せてくれないかと友軍に手当たり次第に伝令を送る。

 応えてくれたのはソラト総督の部下で、ドウラスエに進駐したこともあるヘンリー・テナント隊長である。彼は今でも文通で転移者と将棋を指していた。最初は上司に疑われたが駒の動きしか書いていない文面をみせて疑いを解いていた。

 転移者が年若いことを知っている彼は同情心もあって、撤退中に道をそれ、高台に登った。渋滞を避けるための回り道で、高台に一定時間とどまったのも休憩をしていただけとの言い訳を用意してある。

 こうしてハティエ勢を追撃をする敵からは、側面をテナント隊に襲われそうで尻込みする形勢になった。


 ヘンリー・テナントの機転が功を奏するのは、しばらく後のこと。まずは自力で生還の道を切り開くしかない。転移者の部下たちは急速に戦いの準備を整えた。

 湯子も重い弩を担いで前線に向かおうとする。弟は姉を捕まえて小声で話しかける。

「姉さん、大丈夫?また悪夢にうなされない?」

「……私でなければ別の誰かが悪夢を見るかもしれないよ。それなら二人目なら悪夢が浅い私が見たほうが」

「……」

 姉の優しさに言葉がない。シスコンは命の危険を侵すくらいなら自分だけに優しくしてほしいと思ってしまった。

「弩が邪魔になったら捨てていいからね。命が一番大事だから」と言うのがやっとだった。



「一斉射撃用意!」

 湯子は指揮下の飛び道具部隊に指示を出す。オシナ冬の陣で弩の扱いを反省した彼女は状況に応じて撃ち方を変える研究をしていた。今の状況は突撃の破砕が目的。それならば一斉射撃で大人数を同時に倒すことによる心理的な衝撃力を狙うべきだ。

「敵の臭いがしそうな距離まで引きつけろ!」

 一斉射撃では装填手も射手になるから訓練不足で命中率が落ちる。できるだけ必中距離で射撃を行いたかった。

 白兵戦部隊が戦闘に立っているマクィン軍では弓兵が自由に身動きできない。ほとんど矢が飛んでこないことがありがたい。

 こちらは後ろに長物を持った歩兵が控え、飛び道具部隊の援護に万全を期している。一回目の射撃直後に死ぬことはないと、刹那的な安心感がえられる。戦場ではそれで十分だった。

『ウオオオオッ!』

 雄叫びと地響きをあげて、勝利の勢いに乗った敵が歩騎一体となって突っ込んでくる。さっさと矢を放って逃げてしまいたいのに、指は固着したように引き金から動かない。

 先頭を走る敵が槍を投げたのが反撃の切っ掛けになった。

「撃てぇー!!!」

 裏返りそうなほど高い声で湯子が命じると、金縛りの呪縛から解放された飛び道具隊が一斉に矢を放った。彼らは命中の結果を確かめず、矢の反動を利用する感じで反転して槍兵隊の後ろに逃れる。

 投げられた槍が捉えたのは砂煙のみ。一方、突っ込んでくる敵に放たれたカウンターパンチは外れなかった。先頭を走る兵達に攻撃が集中してしまったきらいはあったが、おかげで彼らはハリネズミになって倒れた。前のめりに倒れた兵士は無数の矢で支えられて、宙に浮いている有様だった。

『!?』

 頭に血が昇っていた敵もこれには衝撃を受ける。それすら視界に入っていなかった者は仲間の死体に足を取られ転倒したり、多勢に無勢で待ち構える槍衾に討ち取られた。


「五十歩ススメ!」

 真琴が槍隊に前進命令を下す。穂先を揃え足の止まった敵を威圧して僅かな地歩を確保する。後列の槍兵は転んだ敵を石突で刺して仕留めていく。真琴みずから範を示した。あるいは既に死んでいる相手だったかもしれないが。

 マクィン軍の騎士が前の方に出てきて、臆病風に吹かれた雑兵たちを叱咤する。

「敵は小勢ぞ!揉み潰せ!!」

 そいつにダーツを投げつけて――馬に命中して落馬した――真琴はゆっくりと槍隊を下がらせる。彼らが通った後には無惨に叩き割られた兵士の残骸が転がる。敵が息を呑んでいる間に、隊列を整え直した弓隊の後方まで下がった。

 まるで精鋭部隊のような立ち回りをできるのは、指揮官の転移者たちが超然としているからだ。彼らは心のどこかで未だに現実感をもって殺し合いをしていない。それが超然とした態度に繋がっている。根っからのバーチャル世代なのである。あるいは異世界に限らず他人の人生に共感しやすいほどの経験がない若者には共通の気質と言えるか。

 そして、精鋭っぽい動きをしているうちに、部隊は本当の精鋭になれそうだった。


(これを繰り返せばいくらでも戦えるのだけど……)

 現実は真琴が考えるほど都合良くない。隘路でもない。敵は広がって側面に回り込もうとするし、遅れていた弓隊を前に出してくる。

「交換で射撃!」

 さっそく矢戦が始まる。そうして足止めされている間に退路を絶たれる危険があった。

「『神輿』を出せ!」

 馬上から様子をみていた文武は後方に控えた特殊部隊に命令した。

「わっしょい!わっしょい!」

 ガンガンガンガン!!

 盛大に鐘を打ち鳴らして黒い箱を載せた神輿が前進する。表面の要所には磨かれた金属片が貼られて少しでもエレベーターを連想させる姿になっていた。そもそも本物はゴッズバラ軍が回収したので、マクィン軍にとってのエレベーターはあやふやなイメージでしかない。

 思わず彼らの足が止まった。

 いきなり箱が空を飛んで自分たちに突っ込んでくるのではないか?

 そんな畏れが拭えなかったのだ。彼らが去年戦闘中に降ってきたエレベーターに畏怖を覚えていることは事前に密偵を送り込んで調べてあった。ついでに恐怖を助長するような噂も撒かせていた。

 担ぎ手たちは神輿を地面に据えると、随伴してきた騎兵の後ろに飛び乗った。

『……』

 奇妙な静寂が戦場を支配する。ちなみにゴッズバラ軍の本隊も転移者から借りた同じ神輿を使って時間稼ぎをしていた。敵が戸惑っているうちにハティエ勢は更に距離を取る。気づいて追いかけようとマクィン軍が動きだしたところで神輿から炎が上がり、また彼らの足がもつれる。

「次はもう使えないな……」

 焼け跡を検証されれば、何の仕掛けもないことは明らかになる。


 テナント隊の見せかけだけの支援もあり、こうして転移者たちは殿軍を務めつつ撤退することができた。

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