第3話 奇跡の霊薬
私と舞は、JRの始発に乗り、宮島口駅へと向かった。
本当のところは、舞をなんとか説得して家へ連れ戻すつもりだったのだが、舞は頑として譲らない。結局、私が折れた。
「舞の気持ちはわかるけど、身内が危篤状態だっていう時にこんなことするの、あんたくらいのもんよ。第一、霊薬だかなんだか知らんけど、本気で信じとるん?
あんたあほなの?」
「あー、あほって言った方があほなんよ」
「ってか、あのまま私が来なかったら、どうするつもりだったん」
「まあ、どうにかなったんだからええじゃろ」
あはは、と呑気に笑う舞に、私は彼女との血縁関係を疑いたくなった。
さっきまで泣きべそをかいていたことなどなかったかのように、駅中で買った二重焼きを美味しそうにぱくついている。まるで遠足気分だ。
電車を待っている間、母には事情を説明するべく携帯へメッセージを送っておいた。おそらくまだ寝ているだろうから、姉妹が揃って家を抜け出していることを知ったらきっと驚くだろう。
父は古い考えの人なので、年頃の若い娘が二人揃って家を抜け出すなんてと怒る姿が目に浮かんだが、そこは母に宥めてもらうしかない。
宮島口駅まで行くには、路面電車を使う方法もあるが、そちらでは時間がかかりすぎるためJRを選んだ。とにかく一刻も早く宮島へ行き、霊薬とやらを手に入れて家へ帰るしかない。それまで祖母の容態が急変しないことを祈るばかりだ。
「おばあちゃんが教えてくれたんだけどね」
舞が二つ目の二重焼きに手を伸ばしながら、先ほどの私の質問に答えてくれた。
昔、祖母の子供―つまり私たちの父親だ―が赤ん坊の時に高熱を出したことがあったらしい。当時はまだ今ほど医療技術が発展していなかったので、産まれてきた赤ん坊が死んでしまうことはよくあったそうだ。そのため祖母は、父を助けるため、その霊薬を手に入れようと父を背負って弥山を登った。
そして、手に入れた霊薬を飲ませると、父の熱は嘘のように引いていったという。
「つまり、その霊薬を飲んだおかげで父さんは死なずに済んだ、そう言いたいん?」
私の不信感溢れる視線などものともせず、舞は、瞳を輝かせながら大きく頷いた。
「奇跡が起きたんよ」
どうやら私の妹は、正真正銘のあほのようだ。
「今、ウチらがこうして生きていられるのも、ぜーんぶ、あの時おばあちゃんが苦労して霊薬を手に入れてくれたおかげかもしれんのよ。
どう、有難みが沸いてくるじゃろ」
得意げに話す舞には悪いが、現実主義の私には到底信じられない話だ。
祖母の作り話か、もしくは、霊薬の効果ではなく単にタイミング良く病が快方に向かったというだけのことだろう。
真偽のほどは判らないが、私は頭に浮かんだ別の懸念を口にしようとしてやめた。
奇跡は二度は起こらない。
宮島口駅には約三十分ほどで到着した。ここからは、フェリーに乗って宮島へ渡る。
フェリー乗り場前にある売店では、あなご飯やもみじ饅頭などの看板が出ていたが、まだ店は閉まっていた。
舞は、それらを物欲しそうに見やりながら、帰る時のお土産にしようと言うので、私は呆れてしまった。どうせなら楽しみたいじゃん、というのが舞のポリシーらしいが、単に自分が観光したかっただけなのではと疑ってしまう。受験勉強の息抜きに、と舞ならやりかねない。
フェリーでは、風を受けたいという舞に付き添いデッキへ出た。
舞は始終楽しそうにしていたが、私は潮風に踊らされる髪の毛がべたべたと頬に張り付くのを鬱陶しく感じて仕方なかった。
出発して5分も経たないうちに前方に赤い鳥居が見えてきた。
小さな頃から当たり前のように思ってきたが、改めて見てみると異様な光景だ。
今は満潮時で海の上に建っているように見えるが、干潮時には鳥居の足元まで歩いて行くことができる。
鳥居のある厳島神社は、ユネスコの世界文化遺産として登録されている。
このことは世界的に有名だが、これが広島県に含まれていることを知っている人は意外と少ないということを、私は家を出てから初めて知った。
フェリーを降りたところで宮島の観光マップを入手し、弥山への道のりを確認していると、私の携帯が着信を告げた。母からだ。
私が出ると、予想通りの反応を示す両親に私はただ一言、私に任せて、と言った。
父は納得していなかったが、母は思うところがあったのだろう、舞をお願いね、と言うと電話を切った。
その舞はと言うと、餌目当てにわらわらと集まってきた鹿と戯れ始めていたので、無理矢理引き剥がし、足早に弥山へ向かった。観光マップから一番早い登山ルートを選び、もみじ谷公園を通っていく。
登山口前には、ロープウェイの案内が出ていたが、朝早い時間帯なので動いていない。自分たちの足で登るしかない。
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