第2話

「どしたん、んな怖い顔して」


振り返った舞の顔があまりに真剣で、私は少し茶化すように笑った。


「ミセンにある霊薬の話、知っとる?」


 あまりにも唐突だった為、私は一瞬その言葉の意味を理解できなかった。

舞が、宮島の、と付け足してはじめてそれが弥山という山の名前であることに気が付いた。宮島で手軽に登れる山として観光スポットの一つとなっている。

 まず、広島住人で知らない人はいないだろう。

 しかし、 “霊薬”という聞きなれない言葉に私は眉根を寄せた。


「霊薬って?」


「千年以上も消えんで燃え続けとる“消えずの霊火”っていうのがあるんじゃけど、その火で沸かした霊水には、万病を癒す効果があるんよ」


 私は、舞が言わんとしていることにすぐ気付いたが、無言で話の先を促した。


「それを飲めば、おばあちゃんの病気、治るかもしれんじゃろ。

 だからお姉、今から一緒に取りに行こう。

 お姉も、おばあちゃんにまだ生きてて欲しいじゃろ?」


「今からって……今何時だと思っとるんよ。いつ病院から連絡が来るかもわからんし、今はそんな所に出掛けとる場合じゃないじゃろ。

 それに、そんなもの飲んだからっておばあちゃんの病気は……」


 私は、それ以上言葉を続けることが出来なかった。

舞の私を見る目があまりにも真剣だったから。


「ウチ、おばあちゃんを助けたいんよ」


 舞の目には、不安と怯えの中に確固とした揺るぎない強い意志の力があった。それは私の心を甚く揺さぶったが、行動を起こすまでには至らなかった。舞は、私の賛成が得られないと判ると、肩を落として目を伏せた。


「お姉ならわかってくれると思っとったのに」


 いつも明るい舞が項垂れる姿を見るのは胸が痛んだが、私にはどうしようもない。馬鹿なこと考えてないで、受験生は受験勉強でもしてなさい、とだけ言って部屋を出た。


 その夜、舞が消えた。

明け方近くにトイレに起きた私は、なんとなく妙な胸騒ぎを覚えて、そっと舞の部屋を覗いた。電気の消えた部屋は真っ暗だったが、私にはそれだけで舞が部屋にいないと判った。子供の時分から舞は、寝る時に小灯を点けていないと眠れない。

 灯りをつけて確かめてみたが、やはり部屋はもぬけの殻だった。一応、舞の携帯に電話をかけてみるが繋がらない。電源を切っているようだ。


 舞の行先は決まっている。私は、急いでタクシーを呼んで身支度を整えると、舞を連れ戻すために広島駅へと向かった。


(ばかなことを……)


 まさか本気で霊薬などという胡散臭い代物を信じているのだろうか。

昔から素直で人を疑わない少し危うい性格ではあったが、もう少し賢い子だと思っていた。所詮まだまだ子供だったということか。

 

(もっとちゃんと話を聞いてやればよかった)


 それほどまで舞が祖母のことを真剣に想いやっていたことに私は初めて気が付いた。

 三年前に祖父が亡くなって一人になった祖母を、うちの両親は快く家へ迎え入れた。私は、大学進学と同時に家を出て上京していたので、祖母との関わりは薄かったが、その間、舞は祖母との交流を深めていったのだろう。

 私は、まだ薄暗く灰色に染まる街並みを横目にため息をついた。

まだ早い時間帯なので道路は空いている。タクシーは、二号線を抜けて、マツダ本社工場の前を過ぎるところだった。


 小さいなぁ、と思う。この小さくてごみごみとした町が嫌いで、私は家を出た。

両親や祖父母のように、このままここで一生を終えたくはない。

私が古い決意を改めて胸に刻んでいる間、タクシーは猿猴川沿いの道をすいすいと進み、やがて古びた石造りの橋が見えてきた。

この猿猴橋を越えると広島駅はすぐ目の前だ。


 広島駅南口のタクシープールで下車した私は、広場の噴水脇に腰掛けている舞の姿を見つけた。ここまで歩いて来たのだろう。赤いリュックサックを背負い、紺色で半袖のポロシャツにGパン、スニーカーという出で立ちだ。

 私が舞、と声をかけると、舞は、ぱっと顔を上げてこちらを見た。

その顔が驚きの表情から一変し、おねぃ、と泣き出しそうな顔で言った。


「財布忘れたぁ~」 



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