エピローグ

エピローグ-1

 事後報告、拾え切れなかった伏線を回収をするため、杏宅へ遊びに来ていた。正しくは忍び込み。

 彼女の家の性質上仕方なく事前に連絡を入れておき、早朝に出向く。

 チャイムを鳴らすことなく手筈通り開きっぱなしの扉をゆっくり開けると、見知らぬ夫婦らしい中年の男女が。

 即座に理解した。

 この二人、杏の両親だ――どう言い訳するべきか脳みそをフル回転させ、あることないことこの場を切り抜けるための根拠のない嘘を塗りたくる。

 呆然とする彼らは噴き出すように笑い、なにが起こっているのか分からないところに飛ぶように杏がやってくる。

「おい、これどういうこ」

 言い切る間もなく耳まで真っ赤にした彼女に背中を押されて、部屋へと連れていかれる。

 おおよそ親に浴びせてはいけない罵倒を吐いたのちに叩きつけるように扉を閉める。

 廊下からは微かに笑い声が聞こえ、これがこの家族の日常風景なのだと推測できた。

 寝起きらしい杏は寝ぐせを手で撫でながら、溜息を付く。

「パパもママもあんたが私の部屋に来てたこと知ってたんだって。で娘に、その……か、彼氏が出来たって勘違いして…………しかもあの人たち文学好きだから『ロミオとジュリエットみたいで素敵ねー』とか馬鹿言って、あんたの顔見たさで徹夜してたのよ。ぬかったわ、まさか娘に睡眠薬を飲ませるだなんて」

 最後の発言は不穏だったが、構成はほっこりする家族のエピソードだ。

「どこがよっ!?」

 メイクもしていないし、服装はもこもこの白と桃色のパジャマで、新鮮な格好をしている。

 すっぴんで十分可愛いのにあんなごてごてのメイクする必要あるんだろうか。

「いてててて、痛い痛いですきげきちゃん、手を離してほしいんだけど」

「彼女の前で他の女に可愛いって言うなんていい度胸してるね。あとメイクは君のためのものじゃなくて呆の趣味だと思うな」

「おっしゃる通りでございます女王陛下」

 右頬をねじ切れるような痛みから解放されて、姿勢を崩す。

 杏は何も言わず、隣で愉快そうに笑うト書に目を奪われていた。

 唐突にこの場に現れたように見える彼女は杏からの視線に気が付いて、ふっと消えてみせた。

「ね、ねえこれどういうことなの?」

「どうもこうもないよ呆。君がメディア芸術の世界で才能を振るい、成功しているのと同じように、私の才能は複合的だっただけだよ」

 ゲーミングチェアに足を組んで座る杏の背面に現れたト書は頭を撫でる。

「良い絵を描けば成功できる世界ではないでしょ?私も同じで演技が出来るついでに変装が得意で、副産物として視線を逸らすのが趣味なの」

 ト書は消えたわけではない――企業秘密だと言って原理は教えてくれなかったけれど『人の視界には限界があって、情報の取捨選択をして焦点を当てているからそこ以外にいればよい』と概要だけ説明してくれた。

 この領域に足を突っ込んでいるなら才能ではなく異能だろう。

 杏の両親に見えなくて良かった、もっと話はこじれていたかもしれないし。

「総合的な天才の前で自慢するのは憚れるけどね」

 ちらとト書の視線がこちらに向けられたような気がする、自意識過剰も甚だしいか。

「……じゃあこの人があんたの言う幽霊の女の子で、必死に探してたト書先輩なのね」

 首肯する。

 会わせてほしいと以前言われていたので今日連れてきた次第。

 見上げるように自己紹介をする。

「私、杏呆って言います。え、衿谷君の同級生で同部生です、先輩はこいつ……じゃなくて衿谷君の彼女なんですよね。それで幽霊の女の子…………」

「言いづらそうだね、気にしなくていいよ。私が厳しいのは百葉にだけだから。第二美術部二年、ト書きげき、女優業をしてたりしてなかったり。よろしくね」

「あの、率直な疑問なんですけどなんでこいつなんか選んだんですか?」

 女子同士の台詞としては妬み嫉みが入ってそうな言葉選びだが、杏の目には純粋な疑問しか無かった。

 そんなに悪い相手ではないと自負しているのだが。

 俺のことがまだそんなに嫌いなのか?

「彼面白いでしょ?だから好きで、好きだから付き合ってる」

「そうですか。意外と普通ですね」

「普通だよ、まだあんまり知らないから月並みな子としか言えない。これからもっと好きになれると思うとわくわくする」

 皮肉なのか純真なのか良く分からない笑みを浮かべて、杏の頭から手をのける。

 歩いてト書は俺の隣に座る。

 杏はうざったそうな溜息をつき、俺を睨んだ。

「それで、あんたは惚気にわざわざ朝早くに来たわけ?」

「俺への雑さは健在だな……違うぞ。大事な話をしようと思って、お前のやり方を踏襲して話したくて来た」

「踏襲?」

 こほんと咳払いをし、杏に指を向ける。

 ずっと考えていた自分が本当にしたいこと、才能とは関係なくとも上手くなくてもやっていきたいこと――その一端をつい最近見つけていた。

 発見場所で、きっかけとなった人の前で宣言したかった。

「俺はお前を見返す。嫌いだなんだとほざいていられるのも今の内だ、認めさせて、俺のこと大好きにさせてやる。凡才は凡才らしくイラストでな、覚悟してろよ」

「イラストってあんた上手くないじゃない」

「お前ェ……!気分が盛り上がってるときにそんなクリティカルなこと言うか?そりゃお前に教えて貰うんだよ」

「私を見返すのに、私が教えるの?」

 きょとんととぼけたような顔で聞く。

「わ、悪いかよ。お前以外に頼れる相手いなさそうだし、というかお前以外に頼りたくないし」

 くつくつと沸騰する湯のように笑いがこみ上げてくるような表情をして、唇を噛みしめて、決壊するように噴き出した。

 笑って笑って、いつになく楽しそうに笑っていて――自分が嗤われているのにそんなことなどどうでもよくなるくらい良い笑いっぷりだった。

「はー面白い、そっかそうなのね、そうかそうか……いいわよ、教えてあげる。ついでに機材もいくつか使ってないのあげる」

「いいのか!?至れり尽くせりだな、ありがとう」

「面白かったもの、そのお礼よ」

「やっぱり百葉は面白いよね」

 いやきげきよ、お前の言う面白さとはベクトルが違うような気がするぞ。

「ト書先輩はこいつがサボらないようにしっかり監視してください」

「任せて、片時も目を離さない」

「親切な人たちに囲まれて俺は幸せだよ」

 ト書が首を傾げる。

「皮肉?」

「褒めてるんだよ、本気で」

 

 俺は初めてが好きだった。

 初めての出来事や初めての事は、これから起こる苦難や理不尽を忘れさせ、ただ面前に広がる希望だけを拾い上げる。

 初めては青の味がする。

 愉快で、痛快で、胸の奥まで吹き抜ける爽やかな味。

 初めてイラストに触れたとき、初めてタブレットを扱ったとき、初めて線を引いたとき、初めて色を塗ったとき、初めて加工を触ったとき、初めて資料を見たとき、初めて教本を読んだとき。

 きっとこれからずっと初めてのことは増えていく、慣れるより先に学ぶべきことが増えていくのだ。

 それがたまらなく嬉しくて、宝物のように自分の大切なものとして取り扱う。

 ウルトラマリンの青色はこの世界を淡く彩る。

 透明な色で、けれど鮮やかな手触りで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウルトラマリンブルー うざいあず @azu16

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ