続四章
4-7
七日目。
ト書との約束の一週間最終日であり、幽霊少女に会えるかどうかの分水嶺。
放課後の部室には俺と杏だけ。
絵の具とニスの臭い、埃っぽさと黴臭さが充満する室内。
美術室成り得るため、ある程度設備を確保しているせいで、ただでさえ狭い教室はさらに狭く感じる。
十人でギリ、仮に第二美術部員全員が入れば圧迫感は否めない。
「それで、その大事な最終日にあんたはこんなところで油を売ってていいわけ?」
「いいわけ無いんだけどなあ。有り体に言って、諦めた」
肩を竦め、自嘲気味に告げる。
杏は少し頬を引きつらせながら、笑い飛ばした。
「まああんたに似つかわしい終わり方なんじゃない?私としては嫌いなあんたがこうなってせいせいしたわっ!」
「ひっでえ言い方!もう少し同級生の同部生に気を遣うとかないのか!?」
「ないわ」と腕を組み、鼻で笑う。
「そういえば、お前には話して無かったっけ」
「何がよ」
「何がって俺が土日を使って、六日目も無駄にして今日ト書先輩を見つめるための作戦だ」
「諦めたんじゃなかったの?自分の言葉に責任を取った方がいいわよ」
「いやいや違う、時系列が違う。その作戦に見事失敗してどうしようもなくなり諦めたんだよ」
興味無さげに杏は視線をずらす。
けれどここでめげる俺ではない。
「諦めたはいいものの、ト書先輩を見つけられなければこの努力を語れないことに気が付いた。そこでお前にはこれから俺がなにをしていたか教えてやろう!」
「失敗談なんて聞きたくない。つまらない自虐はやめて」
「やめない、結構頑張ったんだから語らせてよ。杏が知っての通り土曜日はお前の部屋で過ごした。そのときに多くの生徒に連絡を入れておいたのも知ってるだろ『ト書先輩を探してほしい』ではなく『ト書先輩以外の生徒全ての名前と顔写真がほしい』と」
携帯のメッセージアプリを開いて、数日前を境に大量にやりとりがされた履歴画面をスクロールさせながら見せる。
その中には九錠先輩――いつぞや呼び止めてト書について聞き出した眼鏡の二年生の名前もあった。
「三四十人くらいだと漏れがあるからねずみ算的に友達を増やして、とりあえず土曜日中に六百八十一人――第二美術部やクラスメイトを除いた、俺が記憶してない人数を集める。それで日曜日丸々一日を使って全員覚えた」
「馬鹿じゃないの?そんなことできるわけない」
「できるとも、いやできなくても良かったんだけど。学校中を巻き込んで、大事にして、そういう噂が立てば良かった。『衿谷百葉は超記憶症候群である』みたいな」
俺は目が良い。
正しくは記憶力が、習得するための落とし込みに関する処理能力が良かった。
一つの概念的なパッケージと多角的な情報を持つオブジェクトを照らし合わせて共通点を見つけたり、一目見た動作を記憶し習得出来たり、人の名前を覚えることに苦労しなかったり。
「大前提として俺は一つの仮説を立てていました。ト書先輩は変装によって姿をくらましていた、それも実在する誰かではなく非実在の存在として学校に溶け込んでいると。ここら辺は上守ちゃんのおかげです」
「だから約七百名の顔と名前さえ覚えていれば、記憶にない人をあぶり出すだけで済む話です。教師や来賓になりすましてもいいと思いますが、さすがに身長と年齢に誤魔化しが効かないですから」
「けれど学校を巻き込み調べているのだから当然先輩の耳にも入るはずです。このままでは捕まってしまう、だから作戦を変えた、変装の種類を変えたんです。たった一日、つじつまが合わなくても、アリバイが不確かになっても、リミットには間に合うと、実在する人に化けた。灯台下暗しを狙って、それでいて俺と会話が少なそうな存在に」
「そうでしょう?ト書先輩」
目の前にいる杏は目を細め、馬鹿にするように手を振った。
「暇潰しにはちょうどいい戯言ね。残念ながら外れよ、私はト書先輩じゃないわ」
「知らないかもしれませんが俺と杏はつい先週の土曜に仲直りしたんですよ。あいつの連絡先はこの携帯にあります、今すぐ電話でもかけてみましょうか?」
ほんの数刹那、一度瞬きをした程度の時間で杏の姿は項垂れるト書に変わる。
藤納戸の髪が下に垂れて、深いため息が聞こえてくる。
「……っ!?」
椅子をがたつかせて、数歩退く。
「いつから気付いてたん?」
「いや、それより変装、それどうやって」
「百葉は人を見分けるとき、何を特徴に見とる?記憶力の高低に関わらず、意識して無意識に関わらず、大概おんなじ部分で判別してる。そこに細工をすれば簡単に変わるもんやで」
無貌という上守の彫刻の意味が少しだけ分かったような気がした。
それにしてもコズミックホラーを彷彿とさせる変装はご遠慮願いたい、心臓が掴まれるような感覚になる。
「ほら次は自分が答える番やで」
「え、ああ、土曜と言ってることが違ったので。だから上手くいったって思ってました」
「くぁー!!だからあんなに大根で喋ってたんかっ!ほんま気持ち悪かったで!!」
「劇作家に演技指導されるなんて光栄ですね」
してやられたと複雑な表情をするト書は観念したように頭をかいて、こちらを睨む。
柔和にも、厳しくも見える視線、それは静かにに敗北を認めていた。
「きげきちゃんは約束は守る主義や。ちょっと待ちい、幽霊のあの子連れてくるさかい」
そう言ってト書は部室を去った。
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