閑話-2
「今から絵描くから、好きにしてて」
脈絡無く杏は本題を告げた。
『好きにしてて』なんて言っているけれど、本当に適当にしていたら怒るタイプだろうこいつは。
何が起爆剤になるかもわからず、ひとまず彼女の作業風景を見ていることにした。
背もたれの大きな椅子に座り、パソコンを起動させて、イラストを描く用のソフトを立ち上げる。
ごてごてしたタブレットの液晶には一つのディスプレイの表示、それを拡大したものが映されていた。
大きく伸びをした後に、黒い手袋をした手でタブレット用のペンを持つ。
数度ペンで液晶をつついて操作した後に……動きを止めて、体を曲げずにこちらを向いた。
「気分が乗らない」
「そういうときもあるだろ、さて今日は描けそうにないみたいだし帰るとするかな」
退出しようと扉方向へ一歩踏み出した瞬間、足先が椅子のキャスターで踏まれた。
「いぎぐっ……!お前……やっていいことと悪いことがあるだろ」
足を庇うように崩れ落ち、痛みに悶えて床に体を転がす。
ゲーミングチェアというやつは平気で十キロを超える、そのうえこいつの体重が加算されており、それがキャスター数個程度によって支えられいるとなると、火力の高さは想像に容易い。
彼女は椅子から飛び降りて、俺の前に立つ。
「あ、諦めて帰ろうとするのが悪いのよ!もっと私の機嫌を取りなさい!」
「もう十分取ってるだろ!予定後倒しにして要求呑んで俺はここにいるんだぞ!?」
「うるさいうるさい!気分が乗らないって言ったのは”何か描いてほしいキャラとかテーマがあれば教えてほしいその方がモチベーションになる”って意味なのよ!!そのくらい考えろバーカっ!!」
「ひでえ意訳だ!そんなの誰が分かるんだよ!伝えたいことがあったらはっきり言葉にしろ!そして伝わるもんだと勘違いするな!!」
口を開けたま反論の言葉を吐こうとして、悔しそうに下唇を噛んだ。
「……な、何か描いてほしいキャラクターとかテーマとかあったら教えてほしい、ので……言えクソ野郎」
最後早口で暴言をぶつけられたような気がするけど、気のせいだよな。
「描いてほしいキャラねえ、思い入れのある漫画とかアニメとかないしなあ」
「誰でもいいわよ。ゴム人間でも念能力者でも狐の忍者でも」
「ことごとく週刊少年誌だな、というか男キャラも書けるのか?」
初対面で見せてもらった彼女のSNSのイラストは全て女の子で、男が好きそうな可愛らしい扇情的なものだったはず。
男性があれで描かれるとなると格好良さは皆無だと思うけれど。
「当然でしょ」高飛車に鼻を鳴らし、自慢げに語る。
「あの絵柄だとフォロワー増やしやすいし、依頼も多く来るから、あえてそうしてるの。あと女の子が萌え絵描いてるって思いづらいから、カモフラージュの意味もあるわね」
「考えあってのあれだったのか」
「少年誌は私も好きだけどね。格好良さに振り切ったテイストだと見てもらえないことが少ない……私の実力だとね、まだまだ努力が足りないってことよ」
シビアな発言、顔を渋くさせながら彼女は述べた。
天才に固執しているのに、努力が足りないと自分の力量を計ることができる――少しずつ、杏のことが分からなくなる。
「……決めた。既存のキャラクターじゃないけどいいか?」
「自分を描いてくれてとかじゃなきゃ大歓迎よ」
「言うかそんなこと、まあ似たようなことなんだけど」
杏は首を傾げる。
「幽霊の女の子を描いて欲しい。夕方の校舎にいる女の子、できれば青色メインで」
「やけに具体的ねえ、なに?実在してるのこの子?初恋の人だったり?」
俺は顔を背けた。
茶化せばよかったものをついうっかり”なんで分かった”というジェスチャーをしてしまった。
馬鹿にしたような笑みは引いて、真剣な表情にとって代わる。
「嘘でしょ?」
「…………忘れてくれ」
「ねえ教えて?どうしてこの子のことを幽霊って言ったの?この子のことを好きになったの?」
「言えるかそんなこと!」
「教えてくれないと描かないけど、いいの?」
「う、うぐ……分かった、言えばいいんだろ言えば!?――
――へえ!そんなことが!なんで言わなかったのよっ!!」
言葉にして数秒後、どっと後悔が押し寄せて頭を抱えた。
何をとち狂ったのだろうか、こいつには決して言うまいと誓ったはずなのにうっかり口に出してしまった。
こいつが悪い、杏は最低最悪の嫌いな女子生徒だったはずなのに、少しずつ知っていって少しずつ分からなくなった。
杏は思ったより個人主義ではなく、幼児的全能感を抱えてはしゃぐ世間知らずでもない――俺よりもずっと理論的に自分を見つめて、不利益な評価を自分に下せる、その冷徹さと人間味を知ってしまったせいだ。
「ああくそなんでお前なんかに言っちゃったんだろうな」
「絶対に誰にも言わないから安心しなさい……じゃあ第二に入ったのもそれが理由なのね。なんだ、しっかり不純じゃない」
「絶対言うと思ったよ、悪かったな!俺はどうせ不純クソ野郎だよ!」
「そこまで言ってないけど。そうね、不純な動機だけど純な気持ちで、私としてはすっきりしたわ。だってあんた第二に入って何がしたいのか分からなかったもの。これでしっかり嫌いになれるわ」
「嫌い!?この流れでまだ俺のこと嫌いなのか?」
杏は溜息を付く。
「あんたの恋は応援する、友達になってあげてもいいくらいに思ってるわ。けどプロとしてこけにされたままなのは嫌だし、一度対立した人とそう簡単に好きにはなれないのよ」
俺は彼女の二面性について勘違いしていたかもしれない。
プライベートとパブリックを分けられる丁寧で真摯な人間かと思っていたのに、ただ自分の気持ちの整理はつくだけで感情のコントロールは出来ないようだった。
つまりどうしようもない。
「なんてめんどくさい奴なんだお前は!俺の勘違いだった!想像以上にお前はおかしい!!」
「おかしいだなんてそんな褒めないでよ」
「褒めてねえ!」
「髪は?」
「濃紺で腰くらいの長髪」
「服装は?」
「セーラー服、学校の。スカーフはしてなかった」
「身長は?」
「俺より小さいくらい……これ意味あるのか?」
イラストの資料にするという名目で幽霊少女について根掘り葉掘り聞かれていた。
杏は背を向け、液晶タブレットという機材にペンを走らせている。
「あるに決まってるでしょ」
イラストの解像度を上げるため、とかだろうか。
確かに再現度の高い幽霊少女の絵が見られるのは嬉しいけれど色々聞かれるのはむず痒さがあった。
「私のモチベーションになるわ」
「イラストと関係ないだと!?」
「冗談よ」
「さいで」
タブレットの全体図を映すディスプレイにはみるみるうちにセーラー服の女の子が描かれてゆく。
セーラー服の少女、俺の言う幽霊という要素を取り入れるべく制服や女の子自信にこの世ならざる者の要素は取り入れ、デフォルメをしていく。
彼女の言うウケの良い絵柄で、下書き無しに正確に線が引かれていく様子はさながら魔術のようだった。
ほとんど線の引き直し、書き直しがされないため早筆、その上クオリティが高い――彼女の才能はこういう部分で発揮されているのかと納得する。
構図も色彩も線画も既に決められており、計画性と理性を伴って描かれる作品、杏はまさしく理知型である。
SNSでの自身の運用も、自分に対するシビアな評価も、端々に滲む努力の成果も、彼女を天才たらしめていた。
「この女の子と会えたら、私にも会わせなさいよ」
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