4-6

 メッセージアプリの連絡先を交換し合い、その日のうちに上守は待ち合わせ場所を送ってきた。

 駅前か学校付近、もしくは分かりやすいこの町のシンボルマーク的な場所で集合するものだと思っていたら、それは聞いたこともない店名だった。

 喫茶店かごはん屋さんか、チェーン店ではないし、しかも食事処っぽくない名前。

 どっちかといえばアングラでサイケデリックなイメージで、上守がここを知っていることが驚きで、想像がつかなかった。

 明日当然のように学校を休まなければならなくなり、ト書を探せなくなったけれど、デートという甘美な響きがその罪悪感を濁らせて、薄く緩和していた。

 不安がないと言えば嘘になるけれど、とても楽しみだった。


「ここで合ってるんだよな」

 地図アプリを開いて、現在地と目の前の店名を照らし合わせる。

 間違いはない……もう一度何か勘違いをしているのではないかと、上守から貰った住所とアプリが示す文字列を一つずつ慎重に見ていくが、一字一句合致していた。

 昼前のオフィス街、昼食頃ということもあってOLやサラリーマンが飯屋を目指して通りを闊歩している。

 大きな高層ビルの合間に建つ、両隣よりやや低く、真っ白で壁半分がガラス張りになった建築物。

 周囲の合理的で無機質なそれとは異なり、精緻で芸術的な、過剰な表現かもしれないが聖域のようにも見える。

 上守から送られてきた名前に雰囲気は似つかわしい場所だと思った。

「絶対にカフェじゃないよな」

 間違いなく何か別の場所だ、これが何なのか想像はつかないけれど、恐らく普通のデートにはならないだろうという予感はした。

 まああんまり期待してなかったし、初めてのデートで寝れなかったなんてことなかったし、服頑張って選んだとかそんなことないし。

 早くも不貞腐れた表情を浮かべて、先ほどまで抱いていた浮ついた気持ちが恥ずかしくなって、誰に言い訳するわけでもなく、へそを曲げた。

 まばらに人が行き交う歩道、そのうちの一つの足音が駆けてくるように近づき、早くなる。

「だ、だーれだ」

 振り返るよりも先に手で視界が塞がれる。

「……上守先輩」

「あたり、ふふへ……これ一回やってみたかったの」

 目元に置かれた手は剥がされて、上守の姿が現れる。

 猫背、目のクマ、芋ジャージの上から着られたオーバーオールに目に見えて華奢な体とビビットな色合いの髪――アクアマリン。

 いつもと変わらぬ格好の上守は嬉しそうに頬を緩ませながら、一度離した手を俺の頬へと押し付けた。

「衿谷ちゃんは、うれしくない?」

「う、嬉しいですよ。デートなんて初めてですから」

 機嫌を直して苦笑いをすると、ほっとしたような色を顔に出し、両手を背中で結んだ。

「よかった。普通のデートじゃないから、どう思われるか心配だった」

「普通じゃないとは思ってたんですね」

「だって普通のデートなんて分からないもの。したことないから」

 目の前を通り抜けて、皮肉なんて一分も含まれない純粋な台詞を述べながら目の前の白い建物へと入っていった。

 それもそうか――あっけらかんとした回答がやけに腑に落ちる。

 彼女に反応した自動ドアが閉まる前に急いで後に続く。

 

 白と灰のマーブル、大理石のような石材が床に敷き詰められて、汚れ一つない真っ白の壁紙が周囲を包む。

 室内は窓から見えた様子以上に広く、受付のような場所と休憩所が仕切り無く所在なげに配置されている。

 一見この建物を持て余す機能の少なさだけれど、その間を埋めるようにいくつか美術作品が置かれていた。

 部屋の雰囲気に馴染む抽象画が数点、板のような金属の大きな彫刻が一つ。

 白い画用紙に色を乗せるように壁に立てかけられたそれらは単独の作品だが、どことなくまとまりがあり、置き場を含めて一つの作品にも見えた。

「いこ」

 腕を引っ張られて、上守とここへ来ていることを思い出す。

 部屋の側面中央から伸びる地下階段へと引かれるままに向かい、受付を通り過ぎた。

「勝手に入ったらまずくないですか」

「まずくないよ、だいじょうぶ」

 曲線を描く白石の受付、そこに建つ女性は俺たちが地下へと進むことに何も異を唱えず、無視する。

 上守もそれを気にも留めない様子で階段を下っていき、遅れないように一歩一歩ついて行く。

 白い部屋から白い階段へ、地下階層はずっと見えているのにワントーンで景色が変わらないせいか、ずっとここを歩いてるかのような気分になった。

 本当は数分、けれど体感十分以上黙っているようで、たまらず上守は口を開く。

「衿谷ちゃんは、ここをなんだと思ってるの?」

「……美術館ですかね。作品が壁にあったし、受付があったし。少なくともカフェではないです」

 「カフェ?」と驚く上守を咳払いで誤魔化して、正解を聞く。

「正解はね、ギャラリーだよ」

「ギャラリー」

 オーディエンスというか観衆というか、劇や試合を見る人たちのこと――自信満々にそう答えると、可笑しそうに首を振られた。

「美術作品を展示するところをギャラリーって言うの、日本語だと画廊って言うんだよ……ふひひ、ひとつ賢くなったね」

「へえ画廊ですか、強そうですね」

「か、絵画の廊下って書くから強いのは響きだけだね。どっちかといえばギャラリーの方が強そう」

「画廊は孤高の武士みたいで、ギャラリーは鎧とランスの騎士みたいなイメージです」

「すっごく分かる」

 

 最後の段を飛ばして地下の一室に辿り着く、この部屋もやはり白く、そして広い。

 楕円を描いたこの部屋、続く別の部屋も連なるように楕円の構造を取っていた。

 そしてその部屋の中にはいくつか、色とりどりの彫刻が点々と飾られている。

 ト書きげき、パレット・モネ、筆木学、顧問の楽科先生……他は分からないけれど、身近な誰かをモチーフにしていることは明らかだった。

 写真だけでは伝われない、作品に意識を乗っ取られそうになる迫力、思わず息を呑んで手を伸ばしたくなるような――自分の物にしたくなるような。

 はっと気が付いて、声を絞り出す。

 どんな声色だったのかは分からない、けれど苦いものではなかったと思う。

「これ、全部先輩の」

 嬉しそうに、少し恥ずかしそうにこくりと頷く。

「あ、あのね。わたし個展ができるようになって、本当は明日からなんだけど、と特別に。きっと混むだろうから今日のうちに行っておきたかったの」

「ありがとうございます、光栄です」

 美術館と見間違う程の規模感、丁寧で素人目にもお金をかけているのが分かる展示に気圧され、ぶっきらぼうな物言いになってしまう。

 気に留める様子もなく、誇らしげに胸を張る。

 学年が一つ上の先輩の笑顔は子供っぽい愛らしさがあって、まるで年上のような気がしなくて――けれど眼下に広がる作品群は「お前とは住む世界が違う」と咎めてくる。

 全く持ってその通り、年齢なんて感覚なんてどうにでもなってしまうような才能の物量で、並び立つことは叶わないと実感した。

「いっぱいわたしの、見ていってね?」

 腕に抱きつき、体をくねらせながら吐息交じりに彼女は告げる。

「言い方もう少しどうにかなりませんか!?」


 一部屋に五六点の作品、それが四部屋連なっているから計二十点近い作品が集結されていた。

 中には写真で見せてもらったものもあり、作りかけだったものは完成され、展示している。

 確か数日前まで未完だった粘土彫刻はきちんと顔が肉付けされ、表情があらわれ、歯痒そうな面持ちだった。

 彼女は筆がかなり早いらしい――この場合ヘラか指だろうか。

「そ、そんなことないよ。そのときはたまたま、気分が乗ったから……一日で作っちゃったの」

「上守先輩も直感型ですか」

「直感?」

「ああいやその、」

 口元を手で隠しながら自分が口走った内容を後悔する。

 興味津々の目つきで、こちらを見つめる上守、言い逃れは出来なさそうだった。

「……モネ先輩とそういうような話をしたんです。直感か理知か、みたいな」

「ん?衿谷ちゃんはなにを気にしたの?」

「これって一応デートじゃないですか、デートっぽくないけど。なのに他の女の子の名前を出すのはいかがな、もの、か、と……」

 単語を並べていくにつれて、彼女の顔は赤みが増して、笑顔が強く溶けていく。

 腕はさらに深く掴まれて、視線は蛇に睨まれたように動かせない。

「にへへふひっ、ひゃらにょにゅほへひ」

「あ、あの先輩?」

「ふにへ、幸せだよ。衿谷ちゃん」

「それは良かったです、上守先輩の幸せは俺の幸せなので」

「上守せんぱい?」

 上機嫌のまま首を捻る。

「これはデートなんだよ、敬称なんて必要ないんだよ?」

「では上守さん」

「さんは敬称だよ」

「……じゃあ上守ちゃんで」

「ちゃんも敬称だよ」

「先輩もちゃん付けで呼んでるじゃないですか」

「むう、分かったよ。ちゃん付けで許してあげる」

「寛大な上守ちゃんに感謝します」

 ちゃん付けもくすぐったいもらしく、「これはこれで」と呟きいて鼻を鳴らすように笑った。


「そういえば全部人なんですね、仕事の製作物ってことですか?」

「う、うん。これも仕事だし、趣味のやつ見られると恥ずかしいし」

 上守は全く知識のない俺の質問や疑問に対して打てば響くようにすぐ答えてくれた。

 知識的なところだったり、作品に対しての想いであったり。

 モチーフには上守の周囲の人物が用いられており、題名にもそれがよく表れている。

 捻った名前を付けることは無く、両親がモデルなら『両親』、筆木がモデルなら『作家』、のように見る人が見ればすぐに分かってしまうような名付けをした。

 誰をモチーフにして作られたのか、それを聞くのが好きらしく、一つ一つ作品鑑賞は名前当てゲームから始まった。

 作品名が刻まれたプレートは彼女に隠されてしまっている。

「これは……」

 目に留まったのは白い石像だった。

 全長二メートル弱、俺とそんなに変わらない大きさの像で、深く布を被った無貌の女性。

 前に見た作りかけの男性とは異なり、これは顔が無いまま完成されている――無貌と言うものの、頭から被った布は地面に着くほど長く広いものでその全貌が望めるわけではない――ただその布の隙間から見える顔は無いものとして作られているような気がした。

 その体つき、輪郭、布からはみ出るように見えた素足は確かに女性のものと認識できるけれど、少年のそれと言われても納得ができる、青年のような気もするし、老人のような気すらしてきた。

 分からないのだ。

 一見女性の像のようだが、見れば見るほど別の何かのような気がしてくる。

 瞬きをすると全く違うものがそこに彫られているつもりになってしまう。

 お化けか、幽霊か、そういう異形の類――彼女の作品モチーフから大きく外れるけれど、そんな気がしてならなかった。

「衿谷ちゃんの感想は、そんなに間違ってないよ。これはそういう人を作ったから」

「俺が知ってる人なんですよね?」

「知ってるよ」

「話したこともあるんですよね?」

「ある」

 捻りだすようにここ最近の動向を思い出すけれど、こんなあからさまな化け物が知り合い圏内にいた記憶は無い。

「はい先輩!ヒントが欲しいです」

「先生じゃなくて?」

「……はい上守ちゃん、ヒントが欲しいです」

 満足げに手に持つプレートを差し出す。

 そこにはこれの作品名が彫られており、『苦手』とある。

「苦手……ト書先輩ですか?」

 こくりと上守は頷き、煩わしそうにプレートをもとの位置に戻した。

 当てずっぽうなのに正解してしまった、彼女の苦手な相手というヒントで思い浮かんだだけで、この作品が彼女がモチーフだと言われても、ズレというか認識に違和感があるのだ。

 男のような女のような、若々しくも老いぼれて、含蓄がありそうで軽薄、義に厚く情けない少女――曖昧が制服に袖を通したような捉えどころのない先輩ではあるけれど、こんな別人の集合体、人間を越えたような存在ではなかったはず。

 上守はいきなり俺の耳に手を添えた。

 添えた指は後頭部へと移動させ、頭を近づけさせるようにぐいと寄せた。

 目と目が合わせたまま呟くように、

「衿谷ちゃんはね、すごく目が良いの。だってわたしの周りに作品のモチーフを当たられた人はいないから、だから好きなんだけど」

「な、なんの話ですか!?」

「目が良いって話だよ。だから直感に反してても、思考して的外れだったとしても、その目を信じてほしいの」

「……分かりました」

「あなたは頭が良いね」

「モネ先輩には足りないと言われましたけど」

 「足りないから良いんだよ」と慰めだか追い打ちだかよく分からないことを言われた。

「これがもしかして上守ちゃんの言ってたト書先輩が分かることですか?」

「ヒントになったかな」

「ヒントになるよう頑張ります」

 ト書について、そして俺の目について。

 総合して短絡的に考えればト書への認識は間違っていて、ト書の石像への直感は正しい、それが上守の言いたかったこととなる。

 すなわちただの演劇の天才、劇作家ではなくもっと恐ろしい無貌の怪物。

 しかし、もしそうならば、彼女は何者なのだ?

 入学してから数名の天才と並々ならぬ交流を経て、天才がどれくらい突飛な存在かを学習してきたつもりだが、これは群を抜いていることになる。

 上守からは重要な鍵を受け取ったはずなのだが、それが何を意味するのか未だに理解できない。

 いや、今はどうでもいいか。

 デートの最中で、考え事ばかりしていては不機嫌になりかねない。

 思考の隅へト書のことは追いやって、次の作品へと目を移した。

 こりゃまた凄いものを……なんだ?これも人なのか?

 きっと俺の知らない人だろうと上守を呼ぼうとして、振り返る。

 悲しそうな嬉しそうな曖昧な表情を浮かべて、口を半端に開く彼女の姿があった。

 その顔つきは何か大事で不必要なものを手放したようなものに見えた――俺の目は良いらしいから本当にそうなのかも、だとしたら一体何を、捨てたのだろうか。

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