4-5
「なにしてんだ人気者」
頭が強く小突かれて忌々しげに振り返ると、
「げっ浅野だ」
「随分な挨拶だな、元気だったか百葉」
高校野球を思わせる体格の良さと短く切りそろえた頭髪が特徴のサッカー部の友人――腐れ縁の浅野数屋がそこにいた。
「元気だよ、というかいっつも顔合わせてるだろ。何久しぶり感出してんだ」
「こうして放課後会うのは割と久しぶりだろ?それでつい」
「ま、まあ確かに」
部活のことを思い出し、気まずくて目を背ける。
浅野は仕方ないという風に鼻を鳴らして、話し始める。
「そういや部活、今日いいのか?そろそろ総体の時期だろ」
「まあな。でも別にいいんだよ」
「よくねえだろ、俺と一緒にいるって知ったら監督とか先輩とかめっちゃ怒るだろ」
「いいんだよ」
「いやよくないって」
「俺スタメンじゃないから」
一瞬、何を言ってるのか分からなかった。
浅野は生真面目で、行かなくてもいい入部前の朝練に俺を引っ張り出して参加させるくらい誠実で、チームのモチベーションを上げられる温厚さがあって、プレイも愚直なところはあるけれど、パワーもテクニックも申し分ない一年生とは思えないくらい強力な選手だ。
なのにどうし、
「俺のせいか」
「…………」
浅野は否定も肯定もしなかった。
馬鹿みたいに正直者だから、肯定しそうになったのだろう。
こいつは中学の頃スタメンになりたくて必死に練習して、それでもなれなくて泣きながら毎日練習してた奴だ。
名門に入ってスタメン外れて悔しくない訳がない、なのに。
なのにこいつは笑っていた。
実力不足ではない、自分ではどうしようもない理不尽に笑っていた。
俺が中途半端なことをして顧問か先輩を怒らせて、その怒りの矛先がこいつに向いていたんだ。
実力は申し分ないのに、俺のいい加減な行動が足を引っ張った。
「笑ってんじゃねえぞ……はっきり俺のせいだって言えやクソが…………」
その呟きにも浅野は怒らなかった。
なにも、言わなかった。
こんなことで、高々誰かの機嫌を損ねたくらいで潰れていい訳がない。
へこへこ調子よくしてる奴が勝ち取っていい席じゃないんだ。
奥歯を砕けるくらい噛んで、爪は血が出るほど握りこんでいた。
自分の所在が分からなくなるくらいに頭は煮え切っていて、この気持ちを何かにぶつけなければどうにかなってしまいそうだった。
「ふざけんじゃねえ。今から顧問殴ってくる、あと先輩も全員殺す。俺にやり返せなかったからって浅野に八つ当たりするとか許さねえ、絶対殺す」
まだ部活中だろう、校庭に行けばいるはずだ。
深く息を吸って瞳孔は開いたまま、一階へ行こうとして、肩が掴まれる。
「そんなことさせない」
「させないじゃねえよ!お前は悔しくないのか!?悔しくない訳ないだろ!!俺のせいで、俺が馬鹿みたいなことしたせいでお前が責任取ってスタメン外れるなんてそんなことあっていい訳ねえんだよ!!いい選手はいい選手だから大会に出れんだよ!!俺の次に強いのがお前だ!!俺が一番でお前が二番なんだよ!!俺がいなけりゃお前が一番なんだよ!!古臭えしきたりに縛られていいわけがないんだよ!!!」
「……俺はお前をこんな風に焚き付けるために来たんじゃない。落ち着いてくれ」
「なに大人ぶってんだよ、こんなときまで良い子ちゃんぶるなよ。言えよ、俺が悪いって、俺が好き勝手やったせいでこんなことになったって。言ってくれよ、元凶は俺なんだろ!?好きな人追いかけて、美術のセンスもない癖に第二に入って幽霊部員復帰なんて馬鹿みたいなことしててお前の大事な試合潰したんだよ!!言ってくれなきゃつり合いが取れねえんだよ!!言いたくなかったら殴れ!!気が済むまで、死ぬまで殴ってくれ!!」
「殴らないし、言わない」
腹が立った。
その毅然とした態度に、正直者が馬鹿を見ることに慣れた正直者に。
俺は浅野の胸倉を掴んだ。
「…………」
浅野の目は変わらない、こいつは俺を振り払おうともせず、ただ姿勢よく立っている。
情けない俺に憐憫を同情も怒りも憎しみも受けず、この扱いが当然だと言わんばかりに目を合わせている。
「なんでだよ、嫌えよ。俺のことを嫌えよ……なに普通に挨拶しに来たんだよ。ぶん殴るくらいしろよ」
「するわけないだろ。俺はお前の親にお前のこと任させてるからな」
浅野から手を離し、自嘲気味に失笑する。
「なんだよそれ……いつの話だよ」
「小学生のときだな」
「そっか、もうそんなに長い付き合いか」
天を仰ぎ見るようにして「悪かったな」と謝り、浅野は笑って「別にいいさ」と許した。
「じゃあお前は俺に何しに来たんだよ。嫌味を言うためでも顧問ぶん殴らせるためでもないとしたらなんだ」
「百葉の中の俺の人物像が気になるところだな……俺は応援しに来ただけだ」
「応援?」
「お前がサッカーじゃないことに熱中してたのは分かってたからな。そしたら第二美術部に入って廃部の危機救ってるって言うだろ」
「あーばれてたか」
「当たり前だ。どれだけ話題になってるか知らないのか?」
恥ずかしそうに頭を掻くと、浅野は続ける。
「俺はそれ聞いたとき”良かった”って思った。お前最近はサッカー楽しそうにプレイしないし、天才かもしれないけど楽しめないなら意味ないから。やっとやりたいこと見つけたんなら邪魔したら悪いなって黙ってた、ごめん」
「浅野……」
「スタメンの件は残念だし、悔しい。けどいいんだよ、俺はサッカーじゃなくてお前とやるサッカーが楽しいんだから。お前が気まぐれにやりたくなったときに付き合ってやるよ」
「けどそれじゃあプロにはなれないだろ。ずっと夢だって」
「夢だよ、けどなんとなく子供のころから分かってたんだ。お前みたいなのがプロで活躍できて、俺はそのオマケ……じゃあ百葉は今やってること止めて、俺と一緒にしてくれるか?」
「それは……」
目を伏せた俺に軽く笑った。
「だろ?いいんだよ、こういうこともある。むしろこの年齢までよく追いかけられた、楽しかったよ。お前には何一つ責任はない、とっくに諦めたから」
諦めた。
浅野はこのたった数文字を簡単に言った――たった数文字を簡単に言えるまでにどれだけ浅野は悩み考えたのだろう。
中途半端な俺を横に真摯な気持ちで取り組んでいたこいつは一体いつから自分に見切りをつけたのだろう。
天才を必死に食らいついてきたのにいきなり目標が無くなるのはどんな気持ちだったのだろう。
俺には分からない。
真剣に取り組んだことが人生で一度も無かったから。
今後俺は本気になれることが見つかるのだろうか、見つかったところで自分に才能が無くて、浅野をなぞるように辞めていくんだろうか。
第二美術部、天才の中でただ一人凡才。
俺はこれからどうするべきなのだろう。
「もし上手くいかなかったらサッカーに逃げてくるかもしれない。そのときは、」
「そのときはぶん殴ってそのやりたいことに向かわせてやる」
伏せた顔を上げると、浅野は少し怒っていた。
「俺は諦めたんだ。あんま期待させんなよ」
「ごめん、いっ!?」
浅野は俺の背中をいつものように強く叩き、その衝撃で数歩よろける。
じんじんと手形が熱湯をかけられたように痛んだ。
「俺の言いたいことは終わった。ほらとっとと帰れ」
「酷くねえか!?お前はどうすんだよ、一緒に帰らないのか?」
「ああこれから自主練、試合に出られなくても次があるかもしれんしな」
「全然諦めてねえ……」
くるりと方向転換し、浅野は背を向けて歩いていた。
手を振り、別れの言葉を告げる。
「応援してるよ。お前のやりたいことと恋路をな」
「恋路!?あっ、くそお……言っちまってた、よりにもよってこいつに…………絶対誰にも言うなよ!言ったらぶっ殺すからな!!」
何も言わず手を振るだけだった。
あーあれは言うなあ、正直だから肯定しそうになってやがる。
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