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夜、両親が共働きで兄弟もいないため一人の自室に籠る。
共働きというが会社員ではなく、母は試合の解説やコーチ等真面目な仕事とは言い難いそれに忙しいため家にほとんどおらず、父は現役を退き国内のチームの監督を勤めており、そのチームがここからかなり離れているため家に帰ることはあまりない。
つまり実情一人暮らしなのだが、中学生くらいからこの生活を続けているので支障はなく、日常だった。
さて明日はどうするか。
ト書は期限を一週間としていた――七日ではなく一週間、つまりそこには土日が含まれるため実際の期限は五日である。
この高校は部活に力を入れていて体育会系の実力もさることながら、文化部の数もかなり多い。
授業が無い分、生徒の動向はかなり不規則で、締め切られた多くの部室内へ外部者が飛び入るのは難しい。
活動中に聞き込みも出来ないだろうし、だだっ広い校舎内を目撃情報も無しに探し回るのは分が悪いだろう。
人がいない方が人が探しにくいなんてこと、あるものなんだな。
今日は火曜日だから、明日から三日後に二連休が来る。
それまでに見つかれば上々、探せなければ残り二日に賭けるしかない。
相手は人から隠れることにおいては他の追随を許さない者である――今までの顧問や部員、浅野から聞いた噂を総合して分の悪い勝負であることは明瞭だったが、あそこで乗らない手は無かった。
しかしト書は幽霊でもなんでもなく、ただの人である。
勝機は確実にあるはずだ。
作戦が無いわけでもないし。
「なんだあれ」
「さあ、誰か待ってるんじゃね?」
「でももうチャイム鳴るけど」
二年生、ト書の教室の前で俺は待っていた。
教室内に彼女がいないことは確認済みであり、授業が始まる前にこうして出入り口付近に立っていれば、授業を受けるためには否応なくここを通る必要がある。
また窓など別経路をもって教室に侵入しようとしても、教室内の状態が分かるほど近くにいる以上視認できるはず。
これが作戦その一。
上級生からの冷たい視線さえ気にしなければ、完璧である。
チャイムが鳴り、教室内では生徒たちが騒々し授業開始の準備をして、授業担当の教師の一言と共に日直が号令をかける。
廊下に目を凝らすがト書の姿は確認できない。
ちらと少し開いた窓から教室の様子を覗いてみるがト書の姿はなかった。
おかしいな、瞬きも忘れるくらい集中して見ていたはずなのに。
きちんと確認できなかったのかもしれない、もう一度窓から教室の様子を、
「君、自分の教室に戻りなさい」
「うわっ!」
一面教室を覗けていたはずの隙間には色黒な教師の顔で埋まっていた。
しまった、気付かれたか。
「は、はーい」
作り笑いをして一応返事、その場を去る。
一応確認したはずの教室、背後から子気味良い笑い声が聞こえた気がした。
「次だ!次!」
自分を鼓舞して、リノリウムの廊下を滑るように歩く。
二年生の教室が集まる校舎二階、食堂がこの下にあるということで昼休みは学年問わず生徒が行き交う。
春の陽気はとうに過ぎて、過剰な穏やかさが西日と共に差し込まれる。
生徒は自然と強い光の方ではなく、窓枠と柱で日陰になる半分に密集していた。
先ほどのやり口は姑息な搦め手だった――ト書は隠れることに特化したような人である、わざわざ相手の領域で勝負をしようとしたのが間違い。
「すみませーん!そこの先行く二年生の方、ちょっとお話いいですかー?」
気持ち悪いくらい満面の笑みで、軽快に走り寄り、前方の生徒の行く手を阻む。
俺の声に反応したのに無視して早歩きになったのがあからさまで少し傷付く。
前に立っても大きく広げた両手の下を潜り抜けようとして、それも許さず防御を続けていると観念したように立ち止まった。
「げ、衿谷だ」
「げってなんですかもー先輩っ!ちょっと話聞きたくて食い止めただけじゃないですかー!」
うむ、我ながら身の毛がよだつ喋り方だ。
けれど気さくな甘え上手後輩みたいな雰囲気は出せてる気がする、多分。
「あ、そう。話ってなんだよ、食堂で友達待ってるから早くしろよ」
引き気味に彼は目を逸らした。
やっぱり気持ち悪いか、俺に演技の才能、もとい甘える才能は無いらしい。
「先輩ってト書先輩と同じクラスですよね。先輩がよく行く場所とか、いつも出てる授業とか知りませんか」
「待て、なんで俺とト書が同じクラスって知ってんの」
「今日見たので」
「見た?ああ今朝の覗き魔お前だったのか」
覗き魔とは失礼な、ちょっと誰にも気づかれないように教室を見ていただけなのに。
彼は思い出すように間を置いて口を開く。
「よく行く場所ねえ、そういうの同じ部活のお前の方が知ってるんじゃないの?」
「知りたいから聞いてるんですよ」
「そりゃそうだ。けど悪い、俺は何も知らん。というか入学してからト書を見たことがない、無論今日も見てないぞ」
「見たことがない……?けど進級できてるから学校には来てるんですよね」
「一年のときはクラス別だからなあ。学校とコネがあるから日数足りてるとか、裏金で進級したとかそういう噂なら聞いたことあるけど」
「また安易な」
彼はずり下がっていた眼鏡を片手で上げて、申し訳なさそうに言う。
「俺もそう思う、悪いな身内の悪口みたいなの聞かせて」
「気にしてませんよ、その手の噂には慣れてるので」
「助かるよ」
ト書と同じクラスの彼には自分の連絡先を渡して、礼を言った。
何かト書についての情報があればすぐに伝えるように告げると、「天才のコミュ力果てしないな」とからかわれた。
他にも通りがかった数名のト書と同じクラスの先輩には、彼女について聞いていったけれど成果は無かった。
皆一様に『ト書は見たことがない』と言い、似たような噂話を嬉々として喋った。
無論全員と連絡は取れる状態にしているので、彼らが何か情報を掴んでくることを祈るしかない。
そんなことを昼食も取らず昼休み返上で、午後の合間の休み時間でも続けていたらあっという間に放課後になった。
ビビットなオレンジ色の夕暮れが窓枠を突き抜けて差し込み、切り分けられたカステラみたくなっている。
「じゃあ何かあればここに連絡ください」
「は、はい!やった……百葉君の連絡先だ……!」
「よかったね!ずっと欲しがってたもんね!」
「もう声が大きいよ!百葉君に聞かれちゃうって!」
全部聞こえてますよー、というか目の前なんだから聞こえるに決まってますよー。
ひゃっきゃうふふと女子生徒二人は俺の電話番号を携え、嬉しそうに走り去っていった。
乾いた笑みを浮かべながら彼女らを見送る。
あいつら確かト書のクラスとは別だったはずなんだけどなあ。
他にもクラスが違う生徒、そもそも学年が違う生徒が興味本位で尋ねに来て、その数約四十人、本来の人数以上がト書と同じクラスということになってしまった。
そんなわけあるかい。
人の顔を覚えるのは得意な方だ。
まあ悪い気はしないし、ワクワクしながら話していたから別に苦ではなかったけれど。
サッカー単品ではモテなかった俺がここまで注目されるとは、第二美術部恐るべし。
流石に後でト書と関係ない生徒はブロックするけど。
人気に浮かれて幽霊少女と話す機会を失っては本末転倒だ。
彼女には絶対に会いたいから。
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