3-5

  第二美術部現二年、旧一年生の二人は”会える天才”こと前二年生たち、”話せる天才”の前三年生とは一転、”見えない天才”と評される。

 学内限定で広まったこの二つ名のようなものは、奇しくも表面上の特性を同一にする学年別の部員をよく言い表していた。

 話せる天才――円山四条と二架は飛び抜けた芸術センスを有しながら、常人のような会話を交わすことができる。

 会える天才――モネと筆木は存在していることを視覚で把握できるが、個別に親しく話すことが難しい。

 見えない天才――ト書と上守は学内及び部活に所属していることまでは分かるものの、校内で見ることはまずない。

 ト書は出席は取られているのに姿が見当たらないという理由で、上守は不登校であるという理由で。

 モネがフランスと日本の行き来が激しいため深い会話にならないのに対し、筆木がここ一年自分に責任を感じて交友関係を拒絶していた。

 掬い上げた内容は同じでも、隠れた詳細には差異が生まれていた。

「…………」

 杏は顧問から聞いた住所がここで間違いないか、何度も携帯の地図アプリで照らし合わせた。

 赤く腫れた目でぱちくりと瞬きをする。

 コンクリートで凹の字に舗装された用水路のような決して浅くない川、二車線の道路が川の両側に沿って伸びており、その道路から膨らむように建造物が連なっている。

 その建物の並びの中で見逃しそうになるこれと言った特徴の無い一軒家。

 平屋ではなく二階建てで、家族と一緒に暮らしてるのだろう、今にも夕食の良い匂いがしてきそうな温かい家庭を感じるそれ。

 表札には『上守』と筆字で彫られている。

「あーっ!!」

 どこからともなく聞こえてきた大声に杏はびくりと肩を震わせる。

 少し大げさにも見える動作は彼女が弱っていることを示していた。

 苛立ちを隠そうともせず、緩慢に振り返ると、そこには息の上がった、動いたせいでいつもより瞳孔の開いた筆木の姿があった。

 髪はぱやぱやと軽く乱れており、頬や耳も心なしか赤い。

 彼女が筆木であると視認するや否や泣きそうな顔になって、下を向いた。

 そしてその場から逃げようと拳を強く握り――「待って!」筆木は振り切るつもりで速足の杏の左手を引っ張った。

 強く掴まれた腕へと視線は向かい、顔は自然と上がって、筆木と目が合う。

「ごめんなさい!私思い込みが強くて、人に嫌なことも何気なく言っちゃって、それでたくさん迷惑をかけてきたんだけど!」

 息を整えないまま、彼女は謝る。

「違う、そんなことを言いたくて来たんじゃないの……言い訳をしに来たんじゃない!きっと傷つけてしまったから、嫌なことを言ってしまったからそれを謝りに来たの!本当に、本当にほんっとうにごめんなさい」

 潤んだ目で、泣く寸前のような表情で筆木は謝る。

「……痛いです」

 杏は腕が離される前にそれを振り払う。

「ごめんね、痛かったよね」

「……謝らないでください」

 一度合った目を離して、俯く。

 筆木は再び手を伸ばすけれど、指先が辿り着く前に引っ込める。

 汗は引いて悔いるような顔だけが浮かんでいる。

 杏は両手を下に向けたまま祈るように強く組む――唇を強く噛み、目をぎゅっと閉じてから、ゆっくりと喋る。

「私は言ってはいけないことを言いました。なので謝るのは私の方です……すみませんでした」

「そんなことないよ……!私は全然気にしてないし、それに嫌な思いしたのは杏さんだし。ごめんね」 

「もう謝らないでくださいよ。私はそんなに強くないので、先輩の謝罪につけ入りそうになる」

 自分が悪くないことの証明の素材として、使ってしまいそうになる。

 ためらいがちに、少し嬉しそうに筆木は呟く。

「じゃあ、おあいこ?」

「はい。おあいこです、仲直りです」

「そっか……仲直りか。ふふふっ良かった杏さんと仲良しになりたかったの、これでもうお友達よね?」

「ともっ!?ちょっと早くないですか、もっと段階を踏むべきでは」

「段階?お友達はお友達と思ったときからお友達なのよ」

「小説家とは思えない理論ですね。分かりました、分かりましたよ!それじゃあもう友達です!」

「やったー!これからよろしくね杏さん」

「全く、しょうがない先輩ですね」

 嫌味に染まったへの字口はそのときだけ、少し笑っていたように見えた。

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