3-2
「後輩クーン!あーそーぼー!!」
置き勉常習犯のせいで軽い鞄を持ちあげたところ、聞き覚えのある大声が教室の扉あたりから響いた。
好奇心旺盛な性格とそれを体現するような年齢らしからぬ身長――あと目を引く瞳。
碧眼。
可愛らしい幼女じみた容姿をもつ彼女がそこに転がっていることに俺は頬を引きつらせる。
けたたましい音量に騒がしかった教室はしんと静まり、一拍置いて騒然としたどよめきが広がっていった。
そのどよめきは『学校の有名人が教室に親し気に誰かを呼びに来た』ことへの嫉妬と、『パレット・モネが実在の人物である』ことへの驚愕が大部分を占める。
オーバーな仕草で教室を見回し、あ、目が合った……彼女は零れるような子供っぽい笑みを浮かべて、こちらに向かってきた。
「休学中って聞いてたけど学校来てたんだな。こっち見てるけど、お前の知り合いか?」
「ま、まあな。いろいろあって知り合い……みたいな」
「へえ」
放課後、浅野と適当に話している最中に彼女はやってきた。
こいつがモネのことを知らない訳がないし、勘ぐられるかとも思ったが、特に深入りしてこなかった。
浅野のことだからサッカー部に関連付けてがみがみと口やかましく言ってくると思ったのだが……推測が外れたな。
「じゃあ俺行ってくるわ」
「おう」
席を立ち、モネを追い出すように背を押し、足早に教室から出ていく。
競歩くらいのスピードを維持したまま、教室を出ても彼女の背中から手を離すことは無い。
一刻も早くここを離れたかったのだ。
「な、なんでそんなに怖い顔をしているんだい?君目立つのが嫌って感じでもないだろう」
「悪目立ちは誰でも嫌なもんでしょ……あと事情があるので」
「情事?」
「どうして先輩はなんでも恋愛に結びつけようとするんですか?嘘がバレるのが怖いってだけですよ」
「そういうタイプにも見えないんだけど」
「事情が事情なので」
「はあ」
モネは呆れた調子で「言いたくないのなら別に言わなくていいよ」と話題を切り上げる。
「助かります」
と乾いた笑いで応えた。
浅野にサッカー部を辞めた理由について知られたくない――正しくは、あいつの裏に隠れる諸々の存在にバレるわけにはいかない。
その諸々とは両親であったり、顧問だったり。
俺の体は俺だけのものではない、という話。
幻想的に聞こえるが実のところ将来のレールが既に決まっているという泥のような現実的な事柄である。
「というか何しに来たんですか」
モネは背中が押されたまま振り返る。
「ん?だから遊びに来たんだよ、でも教室は都合が悪いみたいだから部室で遊ぼうか」
「あの……俺も暇ではないんですが」
筆木学、パレット・モネが幽霊少女ではないのだから、残る第二美術部二名の部員が何者なのかを調べたかった。
しかしモネは「サッカー部辞めたんだろう?だったら暇でしょ」と聞く耳を持たない。
ここで暇ではない理由を話すと、何か尊厳に近しいものを失う気がする……女子の尻追っかけるのに忙しくて部活に行かないなんて言えるはずがない。
大人しく、彼女の遊びに付き合うことにした。
部室棟へ辿り着き、四階へと向かう。
行く先々で注目を引き、皆一様に道を開けて、聞こえる声で――少し興奮気味に話し出す。
モネが目立つせいだ。
煌びやかな格好をしているわけではないけれど、外国人の幼女が制服を着て、いち生徒と楽しげにおしゃべりを交わす様子は学校の廊下だと違和感が大きい。
当の本人は気づいていないのか、それとも三年もこの扱いを受けて慣れたのか、ともかく気にしていない様子である。
俺も海外の血が混じっていればこんなに注目されたのだろうか……髪でも染めてみるか。
モネに提案すると、
「君はたまに頭が足りないよね」
と苦笑いで返された。
何を言うか、男子高校生は皆注目されること、特に女子に興味を惹かれてもらうことに熱中しているものである。
下と色で頭がいっぱい――そう思ったところで俺は人のことを言えないことに気が付いた。
モネも俺も、恋愛ジャンキーだった。
客観と主観の楽しみ方の違いはあるけれど。
階段を一階から四階まで昇っていく。
部室棟は旧校舎を改修して作られたもので、新校舎程の大きさは無く――相対的に新校舎よりも旧校舎の方が階段の幅が狭い。
男子高校生と女子高校生が並んで歩けば、もうあと一人分通れるかどうかの隙間しかない。
踊り場を抜けて三階に辿り着くかどうかのところ。
一つ飛ばしに階段を降りる音と共に人がその隙間を抜けていった。
いやそんな忍者のようにするりと消えていったわけではなく、その隙間を無理矢理こじ開けるように――隙間側で歩いていたモネが押しのけられるようにこちらによろける形で、階段を下って行った。
「わあ!?なんだい!!」
ぶつかられたモネは驚いた様子で、少し怒りも混じらせながら、俺に体を支えられて叫んだ。
よろけた彼女は俺に両肩を掴まれ、壁際に隠れるように収まっている。
彼女の肩は俺の胸と腹の間あたりにあり、肩幅も俺のものよりも随分小さい、足のサイズ、二の腕から指先に至るまで細い。
本当に小さいなこの先輩。
その人は体をたまに壁へとぶつけながら、それでも最高時速を保つ姿を見送る。
水色の髪、着崩した制服。
「杏か?」
しかし彼女は泣いていた。
薄くしたメイクが崩れるくらいに顔を涙で溢れさせ、耳や頬は焼き鏝でも当てられたように真っ赤になっている。
表情は苦痛に歪んでいるようにも見えた。
モネはその身長と衝撃で気付いていないようだが……。
そもそも彼女が杏のことを知ってるかどうか怪しいけれど。
俺は自分の腹当たりにある浅葱色の髪を撫でながら少し考える。
わさわさと髪に指を通す――きちんと手入れがされているらしく、引っかかる感覚は無く、艶っぽい触覚だけが指に残った。
「に、にゃーん……いきなり撫でるのはやめてほしい」
むず痒そうで、恥ずかしそうな声が毛玉から聞こえる。
「すみません。ちょうどいいところに頭があったので」
「次からは撫でるときは『撫でます』と申告してほしいな!」
それでいいのか。
「それでいいとも」と自慢げに告げるモネの脇に両腕を通す。
運動しているとはいえ軽い彼女の体を持ち上げると、なんだか猫を抱っこしているような気分になった。
胴が伸びてもおかしくないな。
俺の横――一人で歩ける程度のスペースを確保して、立たせる。
「行きましょうか」
「いいのかい?」
モネは服のすそを引っ張り問う。
「何がですか」
「さっきの生徒、君気になってるんだろう?私のことは放っておいて、追いかけてもいいのに」
「マナチャンを追いかけたときみたく」にやにや下世話な笑みを抱えて言った。
「いやいいです。むしろせいせいしたので」
頭に疑問符を浮かべながら、しかし本人がよいと言うのならそこまでといった具合に階段を数歩上に昇る。
人間性がつくづく腐っていると我ながら思う。
相手が誰だろうと自分をないがしろにした者の泣き顔はすっきりする部分があるのだ。
偽善者になるのは、とても難しい。
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