人喰い彼女と僕の手記

まにゅあ

人喰い彼女と僕の手記

 彼女は僕を喰らいつくすまで、牙を何度でもたて続ける。


 僕は彼女に殺されるために生まれてきたのだ。


 そして今、その役目を終えようとしていた。


 彼女と過ごした日々を綴るのに、残された時間はあまりにも短すぎる。


 けれど、この先を生きる誰かが、ひょっとしたら僕の拙い手記を見つけ出し、現実にあった、忘れ去られるべきでない過去を、見つけ出してくれるかもしれない。


 その一縷の望みに賭けて、僕は筆を走らせている。


 噛み千切られた小指がずきずきと痛む。ひどく書きにくい。


 小指から滴る血で紙が汚れないように、服の切れ端で傷口を押さえながら書いている。


 ああ、どうか僕の死の間際の言葉が――彼女の生きた証が、未来の誰かに届きますように。


 まずは何から書こうか。


 いざこれまでの出来事をまとめて書こうと思うと、僕の意思は紙の上を離れて、どこか遠くの地で胡坐をかき、とりとめのない言葉ばかりが目の前の紙に綴られていく。


 そうだ、まずは彼女について書くのがいいだろう。これを読んでいる人は、彼女が何者かについて疑問に思うに違いない。


 彼女は人間だ。それは間違いない。


 ただ、ちょっとだけ食欲旺盛というだけなんだ。


 ――彼女は他の人間を見ると、どうしても食べたくなる。


 人間が人間を食べたくなるなんて、おかしいって?


 別におかしくないだろう?


 この世界に共食いをする生き物は、両手で数えきれないほどいるし(今の僕の手は指が欠けていて、満足に数えることもできないけれどね)、昔の人間は食べ物に困ったときに、死んだ仲間の肉を食べたと言うじゃないか。


 彼女はちょっと他者への興味が、食への欲求が、高かっただけなんだ。


 そういうわけで、彼女の内面は食欲旺盛だった。


 だけど、彼女の入れ物――構造が、彼女の内面に追いついていなかった。


 彼女の歯は人肉を噛み切るにはあまりにも脆すぎたし、生肉を処理するには菌への耐性も不十分だった。


 それに、他の人間を捕らえるための俊敏性も向上させる必要があった。


 精神と身体のギャップに悩む彼女をこれ以上見ていられなかった僕は、彼女に身体をつくり変えることを提案した。


 ひょっとしたら彼女に、「そんなひどいことを言うなんて!」と嫌われる恐れもあった。


 だけど、勇気を出してよかったと思う。彼女が二つ返事で了承してくれたからだ。


 その日から僕は、彼女の身体をどのようにして作り変えるのか、そればかりを考えて過ごした。


 人体改造計画と名付けたその計画は、まず彼女を観察するところから始まった。


 彼女がどんなところに困っているのか、不満を感じているのか――彼女の隣で話をしながら、改造すべきポイントを見出していった。


 歯は肉食獣の牙のように鋭く加工した。


 脚部は瞬発的な動きを高めるために速筋を増やした。


 生肉を食べても体調を崩さないように、繰り返し菌を体内に取り込ませて耐性を獲得させた。


 改造には根気が必要とされたから、彼女が協力的だったのは非常に助かった。


 そうして遂に、彼女の身体が精神に追いつき、彼女は心行くまで人間を食べることができるようになった。


 出来上がった彼女がまず始めに食べようとしたのが、まさかの僕だった。


 彼女の中でどういった判断がなされ、僕を第一の食の対象として選んだのか。


 彼女の秘密を知る僕が邪魔になって、僕の存在をこの世から消し去ろうと考えたのかもしれない。


 あるいは最近、彼女は時折どうにも精神が不安定なときがあるから、単に目の前にいた僕という人間を、本能の赴くままに食べようとしたのかもしれなかった。


 いずれは僕も彼女に食べられるつもりだったけれど、それでも今すぐに順番が回ってくるとは思っていなかった。


 僕にはまだ、彼女の改造の結果を記録に残すという使命があった。


 改造を請け負った以上、最後まで責任は果たさなければならない。


 実験とは、結果の記録を残して、初めて実を結ぶのだ。


 だから僕はこうして小指を食べられながらも必死に逃げ、部屋の一つに駆け込み、最後の結果を記録し終え、こうして最期の『告白』を拙いながらも書いているわけだ。


 さて、ここまで彼女の『誕生』について書いてきたわけだが、もう少し過去を遡って、僕と彼女の出会いについて書いておきたいと思う。


 興味のない人もいるかもしれないが、どうしてもこの手記を書いているのが僕である以上、僕という人間を少しでも理解しておいてもらった方がいいと思うのだ。僕が何者なのか(そんな大層な話ではないけれど)、ということも含めて。


 僕はどこにでもいるような研究者だった。


 地元の大学院で薬学の博士号を取り、そこそこ大きめの総合科学メーカーに就職。


 いろんな分野の研究施設があって、僕が配属されたのは精神疾患の治療法を研究するグループだった。


 精神疾患の治療は薬だけでは難しいのでは? と言われていた時代で、治療アプリなどが少しずつ出始めた頃だった。


 僕たちの会社も何か精神疾患を治療する方法はないかと研究を進めていた。


 大学時代の僕は薬の代謝などを研究する薬物動態学が専攻だったから、精神疾患については詳しくなかった。だけど会社でグループに配属されてからというもの、のめり込むようにして研究に没頭した。


 そうして僕の中に、精神疾患は病気ではないのでは? という考えが芽生え始めた。


 精神疾患患者に見られる様々な症状は、人間の個性の一つのかたちとして捉えるべきなのではないのか、と。


 そんな風に考えていた矢先に出会ったのが、彼女だった。


 きっかけは会社の合コンだった。


 彼女は食事の席であまり食べ物を口にしていなかった。


 帰り際に二人きりになったとき、何の気なしに「体調悪いの? あんまり食べていなかったみたいだけれど」と訊いたら、「実は普通の食べ物だと満足できなくて――」と彼女は話を始めた。


 僕が彼女の『体質』を知ったのはそのときである。


 のちのちになって、どうしてあのときに僕に真実を打ち明ける気になったのか問うてみた。やはり他の誰かに「人肉を食べたいという衝動があって」などという話は、安易にできるものではない。


 すると彼女は、「あなたなら、真実を本当のことだと受け止めてくれると思ったから」と答えた。


 事実、僕は彼女の言葉を信じ、彼女に人体改造計画を持ちかけたわけだ。


 彼女の直感は正しかったと言えよう。


 そして、この瞬間から僕の最後の役目が、彼女に食べられることであると確定した。


 いや、僕が僕自身でそう確定させたと言ったほうが正しいか。


 とにかく、こうして僕と彼女は出会ったわけだ。


 劇的なドラマではなかったために、ここで手記を読み終える人が出てもおかしくないなと、書きながら思っている次第だ。


 今、扉の向こうから彼女がガンガンと扉をたたく音がしているし、この手記に残されたページも少ない。


 だが、やはり僕は彼女との出会いを記しておきたかった。物語の最初は肝心だからね。


 さて、残り五ページくらい書けるみたいだ。思ったよりも少ないページ数で、書きたいことは一通り書けた気がする。


 あとはそうだな、僕が死んだ後に、彼女がどのような結末を迎えるのか、軽い未来予測的なことをしてみようか。


 答え合わせは、この手記を読んでくれた君に託す。ここで彼女に食べられる僕じゃあ、どうしても未来を知ることは無理なものでね。


 さて、おそらく彼女は僕を骨の髄までしゃぶりつくした後、この個人的な研究施設を飛び出し、次なるターゲットを求めて街に向かうだろうね。


 そうして彼女は何人もの人間に襲いかかり、彼ら彼女たちの肉を貪り喰う。


 被害者はそうだね、ざっと百人近くになるんじゃないかな。


 彼女の身体能力はかなり高いし、警察でも捕まえるのに手こずると思う。


 え、創造主として罪悪感はないのかって?


 君は勘違いをしているようだ。僕は彼女の創造主でも何でもない。


 彼女を造り上げたのは、あくまでも彼女自身さ。


 彼女は望んでああなったんだ。


 僕はその手助けをしたに過ぎない。


 僕はね、常々思うんだ。罪悪感とは自分への免罪符なんじゃないかって。


 え、何を言っているのか分からないって?


 例えばさ、君が友達をいじめていて、その友達が自殺したとする。君は友達の死に罪悪感を抱くことで、「私はこんなにも苦しんでいるのだから許されてもいいよね」って、そう思うことで君自身を守っているというわけさ。


 説教臭くなっちゃったかな。だけど許してほしい。僕が罪悪感を抱くなんて話は、お門違いだってことを分かってもらいたかったんだ。


 えーっと、どこまで書いたっけ。


 そうそう、警察でも、身体能力が尋常でない彼女を捕まえるのは至難の業だろうってところまでだね。


 とは言っても、やはり多勢に無勢。彼女一人に多くの人員が投入されて、結果的に彼女は捕まってしまうだろうね。


 強いとは言っても、彼女の身体のベースはあくまでも人間だ。


 麻酔銃、閃光弾、催涙弾――彼女の動きを封じる武器はたくさんあるからね。


 そして、捕まった彼女は実験台として調べ尽くされ、二度と彼女のような『怪物』が生まれないようにと、政府は何らかの対策を講じようとするだろうね。


 だけど、それはあえなく失敗。彼女がどうして人肉にあれほどの執着を見せたのか、結局は分からず仕舞いになるだろう。


 ああ、実験台にまでされて、何一つ成果がないだなんて、かわいそうな彼女!


 とまあ、こんな感じの未来になると予想したんだけれど、どうかな?


 どれくらい当たっている?

 

 全部? 半分くらい? 少し? あるいは全く?


 どんな未来でも、彼女の最期が少しでも穏やかなものであってくれればいいなと思う。


 そんな風に願うだけならいいよね。


 ああ、扉がもう持たなそうだ。


 彼女の唸り声が大きくなる。


 僕は必死にペンを走らせ、最後の最期の瞬間までを記録したい。


 僕と彼女の思い出。


 彼女の赤い目が僕を捉える。


 鋭い牙が僕の肩を、腕を、僕は筆を口でくわえ、こうして書き続け、背中が、腹が温かい、しかいがあかくなって、ぼくは、かのじょのほうを、ふりむいて、ふでをくちからはなし、かのじょのかおに、さいごのくちづけを





 

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