結論が出ました。

増田朋美

結論が出ました。

今日は、10年に一度の大寒波がやってくるという。とはいっても、静岡なので、あまり影響は受けないのであるが、なぜか、サバイバルゲームが推奨されるようになるなど、世の中は急に変わり始めた。そんな世の中についていけるのかは、人によりけりだと思うけど、どうしてもできなくなってしまう人もいる。そういう人を助けることで商売をしている人もいるけれど、それだけでは、なりたたないのが、いまの世の中なんだと思う。

その日、杉ちゃんは、ミシンが故障してしまったため、吉原本町駅近くにあるミシン屋さんに新しいミシンを買いにいった。ミシン屋の名前は伊藤ミシン商会。富士市に何年も前からある、ミシンを専門的にうっている店だ。ミシンというと、訪問販売などで悪徳な店も多いと言われているが、この店はそうでもなかった。

「こんにちは。」

杉ちゃんが店に入ると、店には誰もいなかった。

「おーい、誰かいないのかよ。やってるはずだよね?」

と、杉ちゃんがいうが、ミシン屋さんは誰も出てこないのだ。

「おかしいなあ、いつものおじさんいないのか。あのさあ、新しいミシンを一台お願いできないかな?」

そう言っても返事はなかった。

「せめて新しいミシンを一台お願いできないかな。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「お客さん張り紙に気がついてなかったんですか?今日は都合により臨時休業だって、描いておいたと思うんですけどね?」

と、中年の女性が、店に出てきた。多分、ミシン屋さんの奥さんだと思われる。

「そんなことは読めないよ。それより、ミシンを一台、新品でも中古でも、使いやすいのを一台くれや。メーカーは、そうだねえ。シンガーでもいいし、重機でもいいし、操作がしやすくて、厚地を縫っても大丈夫なやつであれば、特に気にしないから、よろしく頼むね。」

杉ちゃんは、無視して、ミシン屋の奥さんに言った。

「そうですが、今日は臨時休業なんです。今日は、悪いのですが、他の日に来てください。それでは。」

ミシン屋の奥さんはそう言うが、そこで止まらないのが杉ちゃんであった。

「それでは、なにかあったのか?臨時休業しなければならない理由というのがあったんだろ?それを説明しろよ。なにかあったの?それに、いつまで休業するの?それを教えてくれないと、ミシンを買わないと困るんだよ。仕事ができなくなっちまうから。できるだけ早く、ミシンを買いたいんだけどねえ。」

「何回も申しますが、しばらく店を営業できません。他のミシン屋さんへ行っていただくか、ほら、ショッピングモールに手芸屋さんありますよね。そこで買われたらいかがですか?」

「うーん、そうなんだけどねえ。アプリとか、そういうものが、僕はできないもんでねえ。だから、直におじさんと話をして、好きなミシンを選べる個人の店のほうが良いと思うんだけどねえ。」

ミシン屋の奥さんがそう言うと、杉ちゃんはそう反論した。

「だから、おじさんと一緒に、ミシンを選んでどう乗ってやりたいんだけど、そういうのはもうだめなのか?だめなら、なんでだめなのか教えてくれよ。納得行く説明してくれないと、僕も追い出されるだけじゃ、不愉快なのでね。」

「一身上の都合といいますか、ちょっと家庭の事情がありまして。人には言えないんです。それに、このお店も、いずれは廃業するつもりでして。もう、ショッピングモールに手芸屋ができたから、それでいいじゃありませんか。お客さんも、それで良かったことにしてくださいよ。」

ミシン屋の奥さんはそういうのだった。

「廃業されるなんて困るよ。僕は、あのおじさんと、一緒に話をして、それでミシンを買おうと思ってたのに。それに大規模な手芸店だと、ミシンの特徴とか、得意分野とか、細かい説明をしてくれるやつがいない。それはやっぱり、店でミシンを買わないとできないことだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、奥の部屋から、ちょっとかすれたまだ、若い男性の声が聞こえてきた。

「お母さん、お姉ちゃんが、大変だよ。また、薬を大量に飲んでる。」

「お姉ちゃんが大変だって?」

杉ちゃんは、その彼の言葉を繰り返した。

「一体どういうことだ?薬を大量に飲んでいるとは、もしかして、違法薬物でもやってるの?」

杉ちゃんの問いかけに、若い男性は、とても心細そうな顔をした。店の奥さんが、晋也言ってはいけませんといったが、

「いや、僕は誰にも言わないから、ちゃんと言ってくれ。」

と、杉ちゃんは言った。晋也と呼ばれた男性は、

「はい。三年前から、姉は特殊教室に通っていて。」

とだけ答えた。

「そうか。それならお姉さんのそばにいてやってやったほうがいい。それは、やっぱり家族でなければできないよ。」

と、杉ちゃんが言うと、ありがとうございますと言って、お母さんは奥の部屋に戻っていった。あとには、晋也と呼ばれた若い男性だけが残った。

「えーとお前さんは確か、晋也くんだったね。お前さんのお姉さんはどこか病んでしまったんだろうか?そういう事情があるんだったら、僕の知り合いで、病んだやつを援助する仕事をやっているやつがいるからさ。紹介してあげるよ。」

杉ちゃんがいうと、晋也くんは涙をこぼして泣き始めてしまった。

「何だ。お前さんも、なにかつらい思いをしていたのか。そうだよな。お前さんだって辛くなるよな。そういう人がいるとな。だけど、そう思ってしまうことは、罪じゃないんだよ。人間だから誰でもそうなるよ。」

「ごめんなさい。僕は、姉がいなくなってくれればいいのにと思ってしまったことがありました。でも、それはいけないことだから、ずっと口にしないでずっと黙ってました。」

「それはしょうがないことというか、誰でも思うことだから、仕方ないと思え。お前さんは、お前さんの人生を行けばいいよ。お姉さんは、お姉さんなりに、生き抜いていけると思う。お前さんは、お姉さんをそばで見守ってやることが大事だ。」

杉ちゃんは、そう言いながら泣いている晋也くんに言った。

「ありがとうございます。まさか車椅子の方に励ましてもらうなんて、思ってもいませんでした。姉が、おかしくなって、もうそれでは終わりなのかなと思ってしまいました。」

晋也くんは泣きじゃくっている。

「大丈夫だ。もし、可能であれば、今から僕の言うことをメモ用紙にかけ。それで、お姉さんが家から出たいというのであれば、ここへ連れて行ってやれ。住所は、富士市大渕、、、。」

晋也くんは、涙をこぼしながら、メモ用紙に杉ちゃんの言ったことを書き取った。

「宜しくおねがいします。お姉さんを預かってあげられるか、そこの主宰者に聞いてあげるからね。いつでも連れてきてくれや。電話番号控えてあるから、そこへかけてくれれば。」

「はい、ありがとうございます。きっと、母も喜ぶと思います。」

晋也くんは、やっとにこやかに笑ってくれた。杉ちゃんも良かったなと笑い返した。

「じゃあ、ミシン屋を廃業しないで、そのまま続けてくれることを祈るよ。お前さんだって、自分の進路を決めなければだめなときも来る。だから、今のうちから、お姉さんのことをよく見て、しっかり働けるように、気持ちをしっかり持っていてね。」

と、杉ちゃんがいうと、彼も

「ありがとうございます。」

と言った。

「じゃあ、僕はこれで帰るけどさ。いつでも連絡を待っているから、お前さんも自分を大事に頑張ってな。」

杉ちゃんに言われて、晋也くんはありがとうございます、とにこやかに言った。そのまま、杉ちゃんは何も買わずにミシン屋を出ていった。確かにミシンは買うことができなかったけれど、人助けができて良かったと思った。そういうことができるのも幸せだなと杉ちゃんは思うのだった。

その翌日。杉ちゃんが、水穂さんの看病のため、製鉄所にやってくると、製鉄所を管理している曾我正輝さんことジョチさんが、杉ちゃんに、伊藤美穂子さんという女性の方から電話があったと言った。昨日、弟の晋也が、連絡先をよこしてきたので、電話をかけたという。ジョチさんが、製鉄所が、居場所のない女性たちに、勉強や仕事をする部屋を貸していると話したところ、彼女は、ぜひ利用させていただきたいと言ったというのだ。今日の11時ころ、製鉄所に来るという話だった。杉ちゃんは、もう利用を申し込んだのかと、ちょっと驚いてジョチさんの話を聞いた。全く、決断力の早い女性だと思った。

しばらくして、製鉄所の柱時計が11時を鳴らした。それと同時に、

「こんにちは、伊藤美穂子です。」

と、女性の声が玄関先で聞こえてきた。ジョチさんが、はいどうぞというと、お邪魔いたしますと言って、女性は応接室にやってきた。

「初めまして。伊藤美穂子です。弟の晋也の紹介でこちらへこさせていただきました。宜しくおねがいします。」

そういう彼女は、心の問題を抱えているようには見えなかった。確かに、一見すると普通の女性の様に見える女性は多い。だけど、平静を装って入ればいるほど、彼女が抱えている問題は大きいことを、杉ちゃんもジョチさんも知っていた。

「はい、伊藤美穂子さんね。それで、ここを利用させてもらおうと思った理由はなにかあるのかい?」

杉ちゃんがそうきくと、

「はい。私は、自宅の中でしか居場所が無いので、たまには外へ出るきっかけがほしいと思いまして。」

と、美穂子さんは言った。ジョチさんが、なにか家庭の問題とか、ありましたかと聞くと、彼女は、家庭には問題がなかったと答えた。だけど、学校で、担任教師に叱られてしまったのだという。理由は単に、成績が悪かったからだというが、それだけでは解決できないと言うことも杉ちゃんたちは知っていた。単に成績が悪いことで叱られたからといって、ひどい引きこもりになってしまったというよりも、本人のプライドや、家庭環境で周りに話を聞いてくれなかったとか、そういういろんな事情が複雑に絡み合っている例がほとんどである。

「わかりました。それでは、今は空きがありますから、いつでも好きなときに利用してくれて構いません。こちらは、朝の10時から、夜の19時まで開室しています。食事を持ち込んでずっといてくれてもいいですし、数時間だけの利用でもいいです。毎日来てくれてもいいですし、週に一回とか、そういう利用の仕方でもいいですよ。それは、あなたが決めてくださいね。」

ジョチさんにそう言われて、美穂子さんは、ありがとうございますといった。

「私は、通うところが無いので、毎日二時間でも利用させてください。なにも仕事をしているわけではないですけど、そうですね。市民文芸に出す小説でも書きながら、過ごさせていただきます。」

「わかりました。じゃあ、どの利用者さんにもいっていることなんですが、一つだけお約束があるのです。それはこちらを終の棲家にしないこと。ここに永住するのではなく、いつか新しい場所を見つけて出ていってもらう。それは守ってくださいませね。宜しくおねがいします。」

ジョチさんに言われて、美穂子さんは小さい声でありがとうございます、わかりましたといった。

「それなら、本日から、利用してもいいですよ。静かに好きなように過ごしてください。」

美穂子さんは、ジョチさんに言われてにこやかに頭を下げた。そうして、製鉄所はまた利用者が増えた。

美穂子さんは、毎日静かに、製鉄所の食堂で、原稿を描いていた。彼女はパソコンを使うことはなく、一生懸命手書きで原稿を描いている。彼女は、文章がうまく、他の利用者からこの小説が面白いと、称賛されるほど文章が上手だった。それなら、雑誌の新人賞にでも応募してみればいいのに、と周りの女性達はそう言っている。でも彼女は自分に自信が無いらしく、どこかに文章を提出するようなことはせず、ただ原稿を描いているだけであった。

そんなある日のことだった。その日も、今年ならではの大寒波がやってくるというので、みんな部屋の中にいた。でも、そういう日に限って、製鉄所

の利用者は、いつもより増えてしまう。そういう日は、精神的に不安定な利用者が多く、自宅にいるのでは不安になってしまって、製鉄所で仲間と一緒にいることを望むからだ。たとえ電車が止まっても、バスが動いてるとかタクシーが動いているとかすれば、そうしてやってきてしまうものである。そういうところは、人間は動物だなと思わせる事かもしれない。そういう辛いことがあるときは、集団で防衛に当たるのは、他の動物もよくあることである。

そういうわけで、製鉄所は賑やかであった。杉ちゃんも、製鉄所の利用者たちに豚汁を提供したりして、忙しく過ごしていた。管理人のジョチさんだって、製鉄所にいなければならなかったが、まあそういう日に限って仕事が増えますねとにこやかに話していた。仕事が増えることを、嫌だと思っているような素振りをしてはいけないと杉ちゃんたちは思っている。それを製鉄所の利用者たちに感じさせてしまったら、それこそおしまいである。

「こんにちは。今日は、寒いなあ。なんでも雪が降るそうだよ。いやあ、静岡で雪が降るなんて珍しいねえ。」

そう言いながら、製鉄所の玄関を開けてはいってきたのは、蘭の父親のお兄さんに当たるという、檜山喜恵おじさんであった。時々、おじさんは、製鉄所にやってくるときがある。ここにやってくるのは、だいたい、編集者から逃げるためであるが、杉ちゃんたちは、それでも良いことにしている。

「喜恵さんなんですか。また、原稿ができてなくて、編集者に追っかけ回されているの?幸せだねえ。」

杉ちゃんは、製鉄所にはいってきた喜恵おじさんをからかい半分で言った。

「正しく図星だよ。まだアイデアもできてない。全く、締切を設定するのが早すぎるんだよな。しばらくこっちへいさせてくれ。」

喜恵おじさんは、そう言いながら、食堂へ向かった。

食堂では、いつもと変わらずに、伊藤美穂子さんが、原稿を書き続けていた。喜恵おじさんはそれを見て、

「何を描いているのかな?」

と、美穂子さんに尋ねた。美穂子さんはちょっと怖いと思ったのか、あ、あのしか言えなかったのであるが、

「いや、この人は悪い人ではないよ。小説家の檜山喜恵さんだ。時々、嫌な編集者から逃げて、ここに来るの。」

杉ちゃんに説明されて、少し緊張を解いてくれたようだ。

「なにか小説でも描いているのかな?ちょっと、見せてくれ。」

喜恵おじさんは、そう言って美穂子さんの原稿を読み始めた。

「あの、私が描いている原稿はとてもプロの方に読んでいただくようなものではありません。本当に下手くそです。私は、自分のことを整理するために小説を描いているだけですもの。それでは、新人賞も何も取れませんよ。それしか私はできないのです。他になにか仕事ができるわけでも無いし、私は、だめな人間なんですよ。」

美穂子さんは、喜恵おじさんにそう言うが、喜恵おじさんは真剣に小説を読んでいた。

「いや、それだけではとても足りない。これを雑誌に投稿してみたらどうだろう。最近では、自分のことをコントロールできないで悩んでいる若い人はいっぱいいる。そのときに、本を読んで、その方法を学ぼうという人もたくさんいると思うよ。どうだろう?」

美穂子さんに原稿を返しながら、喜恵おじさんは言った。

「いえ、私は、そういうことはできません。そういう、ひょうたんから駒みたいな奇跡的なことに遭遇したら、普通の人は、おごり高ぶってしまって、得意になって格好つけて、人を見下すようになってしまいます。私は、そういう人間にはなりたくないです。それより、悩んだり、悲しい思いをしたり、普通の人間として生活していきたいです。偉い芸術家とか、そういう人にはなりたくありません。」

美穂子さんは、一言一言、支える様に言った。喜恵おじさんも、杉ちゃんも、意外な言葉だと思った顔でそれを聞いていた。

「へえ、お前さんは、随分変わった思想を持っているようだけど、それは誰がお前さんに植え付けたんだよ?」

杉ちゃんがそうきくと彼女はこう答えた。

「はい。私を、精神障害者にした学校の先生です。あの先生たちはきっと、自分が先生と呼ばれるところを変なふうに解釈して、それで生徒をバカにするようになったのでしょう。だから私は、偉い人になりたくはありません。それより自分の気持ちを正直に素直に描いていきたいんです。だから、新人賞とか、そういうものは私には、向いてないんですよ。まだ、自分のことをコントロールできてないんですから。それができない人間は実社会では生活できないでしょ。だから、私は、そのままの世界で生きていくしか無いんですよ。」

「まあ確かにそうだよな。僕も偉くなったって、車椅子であることが変われるわけでも無いし。お前さんの言う通りなのかもしれん。だけど、お前さんがそういうふうに思えるってのは、とてもいいことだぜ。だから、そこは自信持って生活しなよ。」

杉ちゃんが彼女にそういった。喜恵おじさんは、せっかく才能がある人を見つけたのになという顔をしていたが、美穂子さんはもう一度言うのだった。

「私には、平穏な生活が得られることが何よりの幸せです。他の生活はしたくありません。」

「そうなると、美穂子さんは、傷ついたところを乗り越えることは、できたのかもしれないね。世の中には、いつまでも、そういう世界から乗り越えられない人もいるからね。そうやって結論が出ているんだったら、お前さんは立派だよ。そして、それを、武器にしてなにか仕事ができると良いのにね。」

杉ちゃんは、にこやかに笑って彼女に言った。彼女が、そういう仕事を見つけるにはまだまだ時間がかかると思われるが、とりあえず彼女は心の傷をそうやって解釈することができるようになっているのは紛れもない進歩だった。まだまだ彼女には乗り越えられなければならないこともあるだろうが、とりあえず一歩進んだことは間違いない。

「それから、そう思えたら、お前さんのことを、心配してくれる、お母さんや弟の晋也くんに感謝するんだな。」

杉ちゃんはミシン屋であったことを思い出してそういったのだった。


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結論が出ました。 増田朋美 @masubuchi4996

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