+α 嫌いなあなたへ捧ぐもの

 きっといつまでも、傷跡として残るのでしょう。


 私があなたを選ばなかったこと。


 あなたの手を取らなかったこと。


 だけど私はあなたが嫌いで、嫌いで、嫌いだから。


 謝罪はしない。感謝ももうしない。


 だけど、このままじゃあなたが少し、可哀想だから。


 呪いをあげる。


 だから、いつかちゃんと解いて。


 いつもみたいに腹が立つ笑みを、誰かに見せてあげてよ。




 ○




 度重なる不祥事のせいで、異端審問所の権威は地に落ちていた。このまま進めば、あと十年も経たないうちに組織そのものが解体されるだろう。教会も布施の額が少なくなってきたそうだから、要らない部分は切り落としてしまいたいに違いない。一部の人望ある人間がどうにか存続させようと頑張っているようだが、一度地に落ちた評判を元に戻すのは至難の業だ。そうして潰れてきたもの達を、悪魔は、ホルンフェロンテはよく知っていた。


 それでもどうにかこうにか、その人望ある人間が生きている間は繋いでこれたのは、賞賛に値する偉業だと、彼も思う。


「…………」


 だがしかし、人間はどこまでも人間だった。醜悪で、自分の為ならどこまでも残酷に振る舞える。


 それが、自らの身を滅ぼすことに繋がることなど、つゆ知らず。





 ──雨が降っていた。しとしとと、雨が降り続いていた。


 道の真ん中を、鎧を身に付けた何人かの異端審問官が、拘束具をつけた『異端』を連れて歩いている。


 ボロボロの布切れのような服の合間から垣間見えるのは、血痕であり、青痣であり、みみず腫れしている足だ。よほど酷い拷問を受けたに違いない、可哀想にと、ひそひそと市民達が噂する。


 その『異端』は、若い女だった。拷問の途中で切られたのか、肩ほどまでの毛先の揃っていない朽葉色の髪に、雨の雫がつたい、地へ落ちる。


 そんな『異端』は、立ち止まり、ふっと空を見上げた。この後訪れるのが、死だと理解していないのか、どこかぼんやりとして、その新緑の瞳に雨雲を映す。


 異端審問官が鎖を強く引いた。『異端』はぐらりと体のバランスを崩し、顔から水溜りに突っ込む。口に泥水が入ったのか、はたまた口の中が切れたのか。『異端』は何事も無かったかのように立ち上がり、手で口元を拭った。


 街の中心の広間には、年季の入った断頭台が置かれている。当初は火炙りの刑に処すつもりだったのだが、生憎天気は雨。また、上層部からの圧力もあり、断首の刑が選ばれたそうだ。


 市民達は皆、視線を彷徨わせた。『異端』とされた者の死に様を、見たくはない。あるものは子の目を、耳を塞いでいる。


 かつての魔女狩りの時のような熱気はない。あるのは不運な『異端』とされた者に対する憐憫、それから異端審問所への不信感だけだ。


 女は泣き喚くわけでもなく、大人しく台の上に頭を乗せた。


 あとは刃を落とすだけだ。


 誰もが目を瞑った。市民も、女も、異端審問官でさえ。


 そうして、断頭台の刃が落とされ──。




「よぉ」




「…………ぁ」




「何でこんなことになってんだよ、“ひまわり”」




「……“獣遣い”」




 しかし、その刃を掴むモノがいた。





 ホルンフェロンテから見た“ひまわり”は、衰弱しきっていた。美しかった髪も、肌も、今は見る影もない。一方的に傷付けられていたのは誰の目から見ても明らかだ。


「……なぁ、“ひまわり”。契約をしないか」


 異変に気付いた異端審問官達は、しかし動けない。悪魔の魔法で、手足を拘束されているからだ。


 “ひまわり”はくしゃりと顔を崩した。


「冗談だろう。すると思っているのか? この状況下で」

「今のお前を助け出せるのは、オレだけだ」

「要らない」


 女は少女のようにぷいっと顔を横に背ける。そんな彼女に、ホルンフェロンテは必死に言い募った。


「このままじゃお前、死ぬぞ。苦痛の中で、何も得られないまま、消えてなくなるんだぞ」

「……それでいいじゃないか。私は、十分」

「幸せだった、なんて言うなよ。どこが幸せだったんだよ。どこに救われたんだよ。お前は、もっと、自分の好きなことを、したいことを、心が踊ることをするべきだったんだ」

「私は、もう十分、生を楽しんだ」


 いつかの彼の言葉を使って、女は反論する。なるほど、確かに彼女が生きていた何百年の間には、充実していた日々があったかもしれない。幸せだった日々があったのかもしれない。


 しかしそれで相殺できるほど、彼女が元来抱いていた願いは、想いは、希は、小さくないはずだ。


「お前はオレみたいな男が好きなタイプだろ……」

「まだその勘違い続いていたのか……あのな、“獣遣い”。私は貴様が嫌いだ。この世の何よりもな」

「…………寧ろそこまで嫌われてたら、逆に愛されてない?」

「愛されてない。諦めろ」


 中々斬首の音が聞こえないことを不思議に思い、目をうっすらと見開いた市民達が悪魔を見て、叫び声をあげる。


 女はため息をついた。


「……はぁ、分かった。そこまで言うなら、契約をしよう。お前には私の魂を対価に差し出す」


 ホルンフェロンテは、上機嫌に歌うように告げた。


「何でも叶えられるぞ」

 彼と彼女の間に、黒く光る陣が浮かぶ。ホルンフェロンテの契約の陣だ。女は目を閉じた。


「なら、四つ、頼みたいことがある」

「……多いな。何だ?」

「一つ、森の動物達に会いに行くこと」

「あー……あいつらには悪いことしたと思ってる」

「ずっと主人を待ち続けて、異形となってしまったあの子達が可哀想だ。……早く解放してやれ」

「分かった」


 市民の中でも勇敢なものが、ホルンフェロンテに向かって発砲する。物理攻撃は精神生命体には効かない。


「二つ。もし私が死んだら、私の師匠の墓参りを代わりにしてくれ」

「何を備えたらいいのかなんて、オレには分からないぞ」

「それでもいい」


 異端審問官の一人が、悪魔に恐れをなして走り出す。ホルンフェロンテはその背中を容赦なく魔法で貫いた。


「三つ。私が死んでも、世界を滅ぼさないこと」

「お前オレのこと何だと思ってんの?」

「害獣」

「ひっど」


 それにしても、先程から女の要求には自分の死を前提にした要求が多いな、とホルンフェロンテは思った。己がいる限り、死なせたりはしないのに。甚だ疑問である。




 …………もしこの時、彼が彼女の意図に気付けていたのなら、何かが変わったのだろうか。




「最後に」

「何だ何だ?」


 ようやく助けを求めるのかと、彼はワクワクとした気持ちで少女の言葉を待つ。すぐに契約を締結できるように、魔法陣の方にも意識を傾ける。


 だから彼は遅れた。


「今、お前が私の前から五秒、消えること」

「……は」

「…………契約締結」


 カチンッと、硬質な音がする。契約が、結ばれてしまったのだ。


 ホルンフェロンテが強制的に転移させられる直前、女の口元が微かに動く。


 その意味を正確に読み取った彼は、生まれて初めて絶望した。




 ──かくして刃が落とされる。


 『魔女』でも『人』でもない異物が、この世から去る。


 それは、世界にとっても、神にとっても、好ましいことだった。


 本人も許容した結末だった。


 まさしく、おとぎ話の終焉に相応しい。















「あああああああああああああああああああッ‼︎」















 ──その日、大陸の四分の一が焦土と化した。


 死者は数百万人に上り、国際情勢が一変する。


 それを引き起こしたのはある悪魔。


 その名をホルンフェロンテ。元“獣遣いの魔女”であり、史上最悪の悪魔として後世に名を轟かすモノである。





 ○





 ──その日もまた、雨が降っていた。


 路地裏に力無く倒れているのは、かつて激情のままに大陸中を滅茶苦茶にした悪魔である。


 このまま終わるのも、それはそれでいいか。


 そのように考えていた彼に、手を差し出すものがいた。


「……大丈夫かい? 立てる?」

「こいつ悪魔だよ。ねぇ、ほっとこーよ」

「そういう訳には、いかないからね」


(人間の男と……幼いメスの龍か)


 悪魔は人の手を払い除け、ぽつりと呟く。


「このまま、逝かせてくれよ」

「あぁ、断る」


 青年は有無をいわせず悪魔を担ぎ、路地裏から連れ出した。





 どれだけ彼が絶望しようとも、あの日の少女のように手を差し伸べるものはいる。


 彼女の物語が終わったとしても、彼の物語はまだ終わらない。

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